2013年09月03日

空模様安定に非ず

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不安定な天候にご注意ください。
と毎日のように天気予報の人が言っている。
昨日はとなりの県境をまたいでひどい竜巻があった。
一日中遠くのどこかで、重たい大岩が転がるような遠雷が鳴っている。
突然の発作のように、ざあっと降りだして、
すぐにまたカンカン照り。
夜もまだ蒸す。

夏が居座り続け、最後のあがきをしている。

でもそんな夏と秋のせめぎ合う空中戦は見ものだ。
ふと、戦いに油断したすきに、
迂闊に空がその断面を晒してしまうような、
一瞬が時々ある。
じっと、呆けるくらい見てないと
見逃しちゃうけどね。


posted by 前川秀樹 at 20:44| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月22日

秋木偶募集のお知らせ。

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さて、7月の木偶eXPOの記憶も未だ新しいまま、
やってきました。秋木偶のお知らせです。
早いものですね。
先に、重要なところから知らせを。

参加御申し込みは、9月2日DEE’SのHP上にて開始です。

日時:::::9月21日(土)、22日(日)朝10時。
場所:::::東京 青山DEE'S HALL

そのほか詳細につきましては、
募集要項のページがアップされましたらそちらをご覧ください。
ちなみにこちらは春の木偶講座の募集要項です。

この気温の中、さあ!一緒に彫りましょう!
とは正直とても口にはできませんが、
きっとひと月後には
秋の気配漂う、大人の二日間。
のはず。
しっかり思い浮かべて、
今少しの残暑を、耐え忍びつつ
そろって、お早めにお申し込みください。

またお申込み受付開始の折にはお知らせします。
9月2日からです。




posted by 前川秀樹 at 16:25| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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2013.5 awaji


何だ坂、こんな坂。
汗だくでひいひい云いながら、登ってきた峠、
もう沢山。二度と登らない。
そう思っていても、てっぺんの眺めと、風を受けると
何事もなかったかのように、それまでの大変な思いははがれおちてしまう。

それが峠効果。
その爽快さのためだけにきっと山に登る。
でも、本当は、登りながらだっていろいろあるのだ。
味わっている場合か!
と、はき捨てないで、
いろいろな“大変”もできるだけ覚えていた方がいい。
下り道の味わいと、
平坦な毎日の糧のために。

一昨日の雨で、ほんの少し季節が切り替わったような気がする。
ようやくようやく、盛りを越えただろうか。
どうだろう。そうあってほしいけど。

posted by 前川秀樹 at 15:53| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月16日

ちょっとは涼しげ?

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お盆はどこもかしこも混雑するので、
うちでは、ひっそりと頭を低くして過ぎるのを待つ。
ひっそりしていても、じわっと汗は滲みだす。
暑さはまったく緩む気配がない。

写真はお盆前のこと。
毎年恒例、オガワ家との虫取り大会ー。
の名を借りた、酷暑現実逃避。
今回は途中から
木偶講座でおなじみイガラシさんも合流。
平地の殺人熱波から逃れて、栃木県某所の高地へ避難避難・・。

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今回の一番の目標、ルリボシカミキリ。
ホラ!居ましたー。狙いが的中する痛快さ。

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こっちにも。

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ペアでも。山地の代表的な美しい虫。じっとしているので捕まえやすい。
動かないいい被写体。昼間寝てんのかな?

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こちらも、きれい。ヒゲナガゴマフカミキリ。

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昼間の収穫でもうおなかいっぱい。
のはずなのに、夜は夜で欲張ってしまいます。
折角来たからね。
なんと気温19℃。涼しー。
子供たちは電池切れでさっさと車中で船をこいでる。
あとはおじさん二人でねばりますよ。
結局クワガタが少々飛んできたくらいで、大した収穫はなかったけどね。

でもその後の温泉&ビールは最高だったなあ。
下戸のくせに(笑)
大人で良かった。

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翌日は沢にもちょっと降りて、こまめに涼を補給の3兄弟。
ではなく親子。
本当はばしゃーっと飛び込みたいところ。

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格好の避難場所発見のイガラシさん。
ああ、そこはいいわ、風も来るし。

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最後に涼をもういっちょ。

ああ、平地には帰りたくなかった。
と僕の正直魂がつぶやく。
34℃。
いやいや、ここは41℃と聞いて、慰めとしなくては。

さて、楽しんだ後は仕事しよっと。





















posted by 前川秀樹 at 19:50| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月27日

北海道・4 牧場の日

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今日は、かねてよりメールでやり取りのあった
ミウラさんにごやっかいになる。
ミウラさんは、馬の獣医さんで牧場にお住まい。
12月の青山の個展の時に見に来てくださったかた。
だから半年余りの未だ浅い御縁。

初対面の会話。
え?獣医さんですか?北海道で?
そうなんです。
じゃあ、今度僕が北海道に行ったら、馬の放牧場に入れてもらえませんか。
ええ、いいですよ。
あの、馬糞も分けていただけます?
ええ、い いですけど・・?

個展の会場にふさわしい(?)そんな会話を交わして以来、ここ静内で再開。
(どんな会話だ。)

仮のお住まいが牧場内にあり、ご家族であたたく迎えてくださり、
あちこち案内していただいた。

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厩舎で子育て中のこのおかあさん、サラブレッドじゃなく、乳母役の道産子。
おおきい! 
おとなしいので、触っても大丈夫ですよ。
ええ、いいんですか!
まるまると張りのあるおなかに手のひらを当ててみる。
すごい汗。しっとりと熱い。
大きな動物って、なんかすごいなあ、
ものすごく頼もしくみえる。

ちなみに厩舎の他のサラブレッドをそのあと目にすると、
なんかこっちは本当に9頭身のスーパーモデルみたい。
足、長ー!それに細ー!顔小っさー!
なんかセクハラっぽいな。
え、これ ♂ ?

綺麗、でも壊れそうで近寄りがたい。
実際、乳母の馬に比べてやや神経質、ということだから、
こちらは触れずにながめるだけ。
ちょっと怖い。

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午後、近くの北海道大学の実験農場につれて行ってもらった。
写真の味のある木柵。
明治に畜産の技術指導に来日したエドウィン・ダンさんの指導で拵えられたものらしい。
じゃあ、すくなくとも100年くらいは経ってる?
なんだか、もはや石みたいな風合いだ。
雨ざらしで腐らないのが不思議だ。

牛の糞をさがして、牧場の若い研究員の方に放牧場に案内してもらう。
目的を告げる。

糞の下に穴を掘る、ダイコクコガネという大きな糞虫を探しているんです。
オスは大きな角があってカブトムシみたいですよ。
へえ・・・。
彼らは初耳らしい。

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早速スマホで検索。今時だなあ。
ほどなくして、
おお!かっけー!
と声が聞こえる。
ああ、ダイコクコガネ、画像、の検索が終わったのね。


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いきなりテンションアップで捜索開始。
糞をどけて、孔を探す。

が、一向に見つからず。
結局、気配すら発見かなわずタイムアップ。
時期がちょっと早かったかもしれないなあ。
あるいはここには居ないのかも。
うーん残念。情報不足。

でもまた次の目的がまた出来たので、よしとしよう。
ミウラさん、どうもいろいろお世話になりました。
今度来た時には、ご愛息君も一緒に虫捕りしましょうね。

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北大の研究農場の入口あたりにある、素敵なロケーションの建築。
件のエドウィン博士ゆかりのなんとかかな。
洋風の廃屋って満開の野菊に映えるなあ。



















posted by 前川秀樹 at 08:28| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月24日

北海道・3 静内の浜と意外な御縁のことなど。

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今から242年前。
明治4年のことである。
この静内の沖に、ある船団が着いた。
上陸したのは
阿波藩(現在の徳島県)の500人にも及ぶ家臣団である。

江戸時代、淡路島は阿波藩の支配下にあった。
阿波藩の知藩事、蜂須賀家を本店にたとえるなら
淡路の洲本へは筆頭家老の稲田氏が派遣されており、
洲本城はいわば淡路支店のようなものだった。

明治政府の版籍奉還によって、
本店、蜂須賀家家臣すべてに士族の位が与えられたのに対し
稲田側で、士族となったのは稲田藩主のみ、家臣はすべて卒族とされた。
破格の減給である。
これは困った。
この先どうやって食いつなげばいいのだ。

稲田家臣は、明治政府に対し運動を起こす。
家臣すべての士族への編入と分藩独立を掲げて。

雲行きが怪しくなってきた。

案の定その動きに本店は激怒。
支店の分際で。
しかし、支店とはいえ稲田家は豊かで公家との縁組もあり、
非常に高位だった。
プライドも高い。簡単には要求は譲れない。

きっかけはそれだけではない、
積年、両者の間には根の深い確執があり、
廃藩置県という一大転換点において
必然的に起こった騒動だったに違いない。

明治3年。
とうとう蜂須賀家の一部過激派家臣が決起、
藩知事の制止を振り切り、大量殺傷事件を起こす。
死者17人、けが人20人、投獄監禁300人以上というものだった。
これがのちに言う庚午事変(稲田騒動)である。
明治政府はこれを重く受け止め、
蜂須賀家家臣への厳しい処分を下す。
打ち首10人、八丈島への終身流刑27人、禁固多数。

一方稲田家への処分は、士族への編入を認める代わりに
家臣全員の北海道の静内と色丹島への移住開拓というものだった。
中央集権化を推し進める政府にとって、いまさら藩の独立などという
新たな火種を認めるわけにはいかなかった。
名目上の両成敗とはいえ、こちらもまたあまりに厳しすぎる処分といえた。
事実上のお家解体である。



一連のいきさつは、
船山馨の小説、「お登世」や、最近では「北の零年」という映画に詳しい。
ここ静内には、稲田家臣上陸の碑やお登世の碑などがある。
今も静内(現 新ひだか町)と洲本市は友好都市だ。

僕はその200年後の洲本で育った。
昔、何かで読んだり、母から聞かされた歴史話で、
明治に、沢山の淡路の人が北海道へ開拓に旅立ったことは
ぼんやり知ってはいたけれど、
改めて、郷土史なぞ調べてみたのはこれが初めて。

なるほど、ざっくりそういう話だったのか。
あくまでざっくりなので、勘違いや歴史解釈の偏りなどはご容赦願いたい。


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現在では、このあたり、数多くのサラブレッドの育成牧場で有名だ。
だから静内川に沿ってさかのぼると、見渡す限りの緑野が広がり、
のんびりと馬が草を食んでいるちょっと欧州めいた風景だ。
海沿いの町の中心あたりも大型店舗などが立ち並び、
にぎやかとは言い難いが、それなりに町の顔をしている。
だから、242年前、彼らの目で見た開拓前の風景、
というのは想像することはちょっと難しい。
しかし、屈辱的な無抵抗を貫いた家臣たちに、
追い打ちをかけるような過酷な暮らしが待っていたことは想像に難くない。
記録によると上陸は5月2日
この北の地では春とはいえ未だ冬枯れ残る曠野であったに違いない。
あの島の温暖でのんびりした風景とは似ても似つかぬ
厳しい異国の眺めだったことだろう。
実際、女子供はその地を見て、砂地に突っ伏して泣き叫んだという。

この浜でなあ・・。

もっとも白状すると、
そんな詳細な歴史は旅から帰ってから知ったことなので、
その朝のわずかな時間の浜歩きのときには、
とりたてて感慨深く歩いたわけではない。
ただ、僕はさみしい色の海だなあ、とだけ思った。

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沢山、持って帰りたい面白いものが流れ着いていた。
流木に鹿の角、頭骨、エイの卵苞、ぬいぐるみ・・・。
どれも白茶けて魅力的に映ったけれど、
旅の途中故、そうそう持って帰れるわけもない。
ならせめて写真だけ。
ほら、並べるだけで何かになりそうな予感がする。
やっとちょっと楽しくなってきた。

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四角く大量の石が並べられていて、ちょっと遺跡みたい。
誰がやったんだろう。一人ではないだろう。
ここに居ると、
そこにあるもので即席で何かを作りたくなってしまうのは、
もしや僕だけではないのかも。

寂しく感じることと、
何かを表現したいことは
関係があるのだろうか・・・。

なにかほのかに見えそうな気がしたけれど
残念ながらそこまでで時間切れ、
宿の朝ごはんの時間。

立ち去る前、
遠く懐かしい洲本城跡の石垣の映像が一瞬
僕の頭をよぎった気がしたけど、
多分、気のせいだ。

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posted by 前川秀樹 at 20:31| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月23日

北海道・2 獲物とか宿のご飯とか


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森を見て足元を見ず、なんてもったいないことは決してしない。
ミクロからマクロまで、ちゃんと味わいたい。
というわけで、虫の話。

旅の前半、僕はあちらこちらにひたすらプラコップを埋めて回った。
全部でなんと60個(よくやるよ)
もちろん、腰につけた鈴をふりふり、おっかなびっくりの作業である。
だって、あの茶色のやけに大きな獣が・・・。

何を採るのかといえばいえば、
オオルリオサムシという北海道限定の美しい甲虫である。
しかもこの虫、
この時期にしか見られず、地域によって色合いが違うという。
僕はこれの動いているところが見たくて、
何年も夢見てきた。
本とネットで生態を調べ、孔のあくほど地図を見て、
やっと、実現した。

ここぞ、という場所を選んで、埋めたコップに酢を入れる。
途中で持参したミツカン酢が足りなくなって、
町のスーパーで、2リットル買い足した。
こんな大きい容器初めて。

数日待つ。
今頃、わさわさ入ってたらどうしよう。
夜に動く虫なので、寝ながらも、夢うつつで
あのシダやフキの根元を徘徊する勇ましい姿を思い描く。
どんな獲物でも、わなを仕掛けて待っている時間というのは
なんでこんなに楽しいんだろう。

我慢が限界に達して、いよいよ見に行く。
すでに熊の脅威はすっかり忘れている。
もう、コップの中で蠢くきらきらの背中しか頭には無い。

シダをかき分け目印が見えてくる。
さあ、どうかなー。
居ない。小さな別の甲虫が酢の中に浮かぶだけ。
はずれ。またはずれ。


まあ、そんなもんだ、そうかんたんになあ・・・。
人生ってね。こんなですよ。
ほら、そんな期待とかしてなかったし・・。
と自分を偽りながら、
覗き込んだ最後のあたりのコップに、

ああ!
入ってるー!
まだ元気に動いてるー!

理解のできない怪異に出くわしたわけではないが、
予測が的中する。
それが思い通りに目の前に居る感動というのは
やはり、特別なものがある。
その何が特別なのか?と思われるかもしれないが、
フィクションではないから、必ず結果が待っているというわけではないのだ。
このギャンブル性が自然相手の読み合いゲームの一番楽しいところ。

やー、臭いねえー。
この虫、独特の臭気を噴射するのだ。
そうとう、臭い。
いや、でもいいんだいいんだそんなのは。
ぜーんぜん気にしない。

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こっちは、マイマイカブリ、これもまた北海道のはキタマイマイという別の種類。
なぜ、関門海峡を渡れないのかといえば、
これは飛べない虫だから。
はあ、長年の目的を果たした充実感。
もう、これだけでもいいや。
と一瞬思ったけど、
やっぱり欲もでる。
なので、補虫網に持ち替えて、
他の北の虫も。

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ケマダラカミキリ。これはヨモギとかハンゴンソウによくいる。

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おなじみオオセンチコガネ。去年は秋口だったから沢山いたけど、
この時期は少ない。

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越冬個体のはずなのに裏までぴかぴかだ。

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今回は千歳、静内、日高、と移動しながらの採集旅。
後半は、父和昭と合流して、おっさん二人旅である。
親子で毎年、酔狂な虫獲りなんぞに興じるのは、じつはここ数年のこと。
二人とも実に30年近くのブランクを経て復活した趣味なのだ。
よくやるよ、と我ながら思う。


虫捕りツアコンガイドのプランニングは僕。
宿や食事を切り詰めて、そんなストイックなのは向いてないので、
まあその辺はそこそこの温泉とそこそこの夕飯にあり付ける宿を毎回探す。
どの日にどのあたりの林道を歩くか、グーグルマップを見ながら決める。
何カ月もかけて。楽しみは長続きする方がいい。

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この日はなかでも立派な夕ご飯。
新冠町(旧静内)の海沿いの宿。おかみさんが愛想がよくて、どれもおいしかったなあ。

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こっちは日高の宿の朝ごはん。バイキングといえるほどちゃんとしてなかったけど、まあまあ。

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千歳のホテルの朝ごはん、朝からこんなに食べるのはどうなんだろう。

若いころと違って強行軍はしない。よく休む。よく食べる。
でも、山に入ると、多分普段よりは不思議と疲れない。

こんなにきれいな欠片を見ているだけでなんだか心も体も
澱が洗い流されてゆくようなのだ。

今度は、場所を変えて青いオオルリオサムシが見たいなあ。
プランニングだけならタダだしね。











       





posted by 前川秀樹 at 22:47| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道・1 模索の森のこと。


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昨年に引き続き北海道の森に出かけたのは6月初旬。
もうずいぶん前みたいに感じる。
噂に聞く初夏の北海道というやつを是非一度肌で味わってみたかった。

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おもに歩いたのは、千歳から支笏湖のあたりに広がる広大な国有林。
本州のそれと違って、山地ではない平らなところに、
えんえんと雑木林が広がる。これぞ北海道なのだと感じる。

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大都市札幌を始め、周辺の多くの町の水源ともなる清流が、至る所に流れている。
もちろん、これらさ程大きくない川にもサケは遡上する。

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僕らは漠然と木の生い茂った所を森、と呼んでしまうけれど、
このあたりは原生林ではない。
幾度も人の手が入っているため、巨木は少ない。
2次林、3次林である。
ときおり、“使えなかったために”伐採を免れた大木が
ヌシのように
若い木達を見守るように静かに周囲を圧倒していた。

森は一度人が開いてしまうと通常、最初に日当たりのいいところは
強い葛などのつる植物に覆い尽くされて、
ブナやミズナラやハルニレ、カツラなど森の主役となる大木は
なかなか芽を出すことすら難しくなる。
はずなんだけど、ここに広がっているのはなぜかあのだらしない風景ではなくて、
ピリッとした、多様な植生の森に見えた。
復活が早いのか、これが北の大地の力なのか。

森の中を何筋もの林道が通ってはいるが、そのほとんどが
作業道路であり、一般車は乗り入れることはできない。
基本、太めの主要林道に車を止めて、徒歩である。
いとも簡単に方向を見失い、そんなバカな、
とタカをくくっているうちに
いともかんたんに遭難しそうになる。
足元ばかりに夢中になって、今回も実際たびたびひやりとした。
だからなるべく太陽や、川の位置、大きな木を覚えながら歩く。

今では、
農業や工業の用地として、あるいは材木の伐採のための森から、
水源や、自然保護、教育の場としての森へとその価値は移り変わりつつある。
実際、この広大な土地は、国有林、道有林、市有林のほか、
企業が所有し、植林、下草刈りなどの保全活動がなされている。
ENEOS、ANA、キリンビールなどがそうだ。

森に手を触れず、人が立ち入らないことが、
結局のところ、最良の環境保全なのだ、といってしまうと、
それはつきつめると、人がこの大地から姿を消すのが最良の方法だ、となる。
それは極論だ。
人が大昔のように、そこで狩りをし、食の恵みをいただく依存型に
今さら戻れるわけもなく、
かといって、産業発展のためだけに森を丸裸にすることに何の痛みも感じない、
そんな自然意識もまたとっくに時代遅れだ。


この鮮やかな翠嵐の中をひとりで歩きながら、
濃い酸素を肺にいっぱい吸い込む贅沢を満喫していると、
ふと、むさぼるばかりでなく、かといって依存するでもない、
今だからこそ必要な、人と森の新たな関わり方について考えてしまう。
ああ、そういえば風の谷のナウシカってそういう話だったんだなあ、
なんてことをつらつら思いだしながら。

シダをかき分けた湿った土の上に
黒々としたヒグマの糞を見つけて、
肝を冷やしそうそうに車に戻った。
今だって森の中で人は、この上なくひ弱なままのくせに、
森を離れて人は、とてつもなく強欲で危険な生き物に育ってしまった。
いつの間にか。










posted by 前川秀樹 at 21:01| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月10日

DEKU・EXPOお知らせ。

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いきなりの猛暑日にすでに仕事の意欲が著しく減退中の前川です。
そんななか、いや、そんな中だからこそ。
こういうのをやっちゃいます。

名付けて 木偶の棒エキスポ!

DEE’SHALLで、半年ごとに開かれている
木偶の棒講座。
それもいつの間にやら11回、12回?
ともかくずいぶん回を重ねてまいりました。
そこで、過去現在の参加者の方々にご協力願って、
その皆さんの作品を展示しましょう、ということになったわけです。

今回ご協力いただいたのは新旧、織り交ぜて37名。
ご参加ありがとうございます。
玄人でないからこその発想や素材の扱い方。
形の見出し方。それがとてもフレッシュ&ユニーク!なのです。

参加者の方々、その親類縁者、お友達、そしてどんな講座なのか
ご興味のある方。
ぜひともこの機会をお見逃しなく。
そろってお出かけくださいませ。

僕、前川は
3日間、昼以降、会場におります。
ただ、ぼーっと居るのも手持無沙汰ですので、
展示会場では、いつもの講座の時のように、
自分用のミニ作業場をすみっこにしつらえて、
手を動かしている予定でいます。
多分、なんか作っています。
そんな様子もご覧になりたい方、
また、質問等歓迎いたしますので、どうぞ遠慮なくお声をおかけください。
僕の木偶見本も一緒に展示されています。


ちなみにどの作品も今回販売はいたしておりませんので
そのあたりはご了承くださいませ。

会場で皆さまにお会いできるのを
心より楽しみにしています。
posted by 前川秀樹 at 13:23| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月09日

デュオローグ。

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MAMA!MILK のニューアルバム。
デュオローグ
とうとう出ます!

これまでさまざまなミュージシャンの方々とのコラボという形で
数々のアルバムを発表されてきたママ・ミルク。
ライブもまた毎回、ステージ上の編成がちょっとずつ違う。
じゃあ、ママ・ミルクの核ってなんなの?
これがもっともスタンダードのオリジナル楽曲、オリジナル音源ってどれ?
という要求に対して彼らの返答が、決定版ともいえるこのアルバム、
「Duologue」
清水さんと生駒さん。
コントラバスとアコーディオンの二つだけの最もシンプルなママ・ミルク。
15年の重みのある聴きごたえ十分のアルバムなんですよ。

別に僕は宣伝係じゃないけど、
昨年末のDEE’S個展で奏でてくれた音が忘れられず。
もちろんファンの一人としても。
さらに御縁として、
今回の新譜のパッケージデザイン一切がっさいを、おなじみ
ミスター・ユニバースの関宙明さんが手がけています。
(僕の像刻写真集VOMERから物語集ZUFRE カード写真集COLLIER まですべてミスターユニバース。)
その甲斐あって(?)、もう凝りまくり、やりたいほーだいのすがすがしさ(笑)。
上の写真は、7月17日に発売される通常版に先駆けて
先月、ひっそり発売された特装版のパッケージ。
型押し、特注箱、リボン付き。
この手作業の跡が嬉しい限りなんです。
それで、僕は今回、
フライヤーにちょこっとテキストというかあおり文みたいなのを
書かせていただきました。
デュオローグに寄せて、といった形ですが、
ちょっとした物語風です。
前篇と後半に分かれていて、フライヤーに掲載されているのは後半の部分。
どこで、全部読めるんだろう?

運よくどこかでフライヤーを手に取られることがありましたら、
ぜひお目汚しにどうぞ。
あ、僕のほかにも5人の方の文が載っています。

デュオローグ。いいですよ。




posted by 前川秀樹 at 08:07| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月08日

わらわら

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材料置き場に置いてあった桜の木。
長さが50センチくらい太さは直径15センチくらいかなあ。
そこから、先月末あたりから、
次々とタマムシが羽化してきた。
プラスチックの衣装ケースに桜材まるまるいれて観察していると
日ごとに羽化個体は増える。
現在9頭目。
タマムシは桜や榎の枯れ木が大好きで、そういう倒木に産卵する。
通常、卵から成虫まで3〜4年といわれている。
ぐずぐずしているうちに像刻を彫る前に先に掘られた。
材料は虫とも獲り合いなのだ。




posted by 前川秀樹 at 07:12| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月02日

聖地更新

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先日、お水をいただきに海沿いの大洗神社に出かけた。
僕はずいぶん来ていなかった。
境内には立派な茅の輪が。
ああ、夏越の大祓がもうすぐだった。

ふと左の方に眼をやると見慣れないものが。
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なんだ!こりゃ!?
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これが“聖地”かー!
大洗は、最近のアニメ、ガールズ&パンツァーの舞台として急激に
有名になったそうだ。
だから、あくまでそのファンにとってだけの
限定的聖地なのだろうけども。
そういえばやけにそういった類の看板やポスターが駅周辺やお店で
眼に着くなあと思っていた。
なるほど、
実体験できる舞台の一つ、
ファンのお参りといえばここなのだろう。
じゃあ今、町は聖地だらけなのだ。

それにしても、ただのヒノキの板に皆上手に描くものだ。
絵馬掛けはさながら、イラストの腕試しのスタジアムの様相を呈している。
願いを込めるというよりも、純粋に思いを奉納するといった絵馬のほうが多い。
うーん、限定的ではあってもこれはかえって神社の本来的なあり方なのでは・・・。
とも思う。
ちょっと調べてみると
絵馬は祈願や祈願のかなったお礼として奉納したもの、とある。
室町時代には、神社には狩野派など有名な絵師による絵馬が次々と奉納され
それを飾り見学するために建てられたのが絵馬堂だという。
なるほど、つまりこれが、日本でのギャラリーの原型なのだ。

絵や芸の出来を神前で競い合うことが奉納となったのだろう。
アニメというのはある意味で非常に現代的な形での俗絵の最先端だと思う。
いわゆる伝統とも芸術ともちょっと違うのだろうが、
少なくとも現代に力強く息づく手技のひとつには違いがない。

参拝者や聖地巡りのファンたちが増えたという大洗の町。
どうせ一時的なブームだから、と捨て鉢にならずに
これを機会に古いものと新しいものの融合、そして再生、更新の
一つのモデルケースになってもらいたいものだ、
と思う。
大洗磯前神社のご祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)。
日本の神様は
信じられないほど柔軟で、懐の深いところがまあ一番いいところだね。

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posted by 前川秀樹 at 08:07| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月19日

光跡

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今月の初め。
とある知人につれていってもらった茨城某所。
貴重な体験ありがとうございました。
実は僕は舞うゲンジボタルというものを初めて見た。
子供のころにも近所の田んぼには小型のヘイケボタルは居て
毎年虫籠を持ってとりに行った覚えがある。
ヘイケボタルよりも大型でさらにきれいな水を好む
という性質から、激減しているのだと聞く。
光も大きくて、サイクルも長い。
一斉にすーーーーっと光跡を引く。
こんなところが近くにまだあるんだなあ。
静かにずっと見ていたい冷たくてやわらかな光。

posted by 前川秀樹 at 12:23| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月06日

木霊

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2013 ibaraki



木霊(こだま)、を調べてみると、齢100年にして霊威をなす。とある。
そうだとするなら、樹齢1300年といわれるこの杉にはいったいどんな霊が・・・。
先日、とある方に案内していただいて見ることができた
この並はずれた巨木。
ただ圧倒された。
地元では 佐久の大杉として、保存会の方々が大切に守っている。
こんなにすごいものが家から40分ばかり走ったところに
鎮座していたことをまったく知らなかった。

巨樹信仰というのは日本のみならず北欧などでとりわけ厚いと聞く。
縄文とケルトの間に底流する共通項はことのほか多い。

幾度もの落雷や台風に痛めつけられ、
弱い枝はすべて削ぎ落されている。
木肌は大きくねじくれ、洞だらけ(洞は樹医さんによって、ていねいに埋められていた)
にもかかわらず、
今なお、放たれる強烈な精気。
この威容。
ただひれ伏すばかりだ。





posted by 前川秀樹 at 17:39| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月27日

大神社展なるもの

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というのを、上野の国立博物館に先日観に行ってきた。
売り文句が
〜全国の神社パワーを結集した空前絶後の神道美術展!〜
とある。
まあ、どうなんだろう・・・。
とはおもったが、内容は国宝、重文が一挙に160点、
見ごたえはあった。

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小丹生之明神 若加佐国比女神 (おにゅうのみょうじん わかさこくひめしん)
鎌倉時代 若狭神宮寺

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童子立像 平安時代 12世紀 広島 南宮神社

さまざまな貴重な神宝のなかでも観たかったのが、
神像というもの。
仏像は見慣れていても、神道の神の像というのは、
実はほとんど僕らの目に触れることは無い。

もともと数が少ないうえに、それは秘するもの、
というのが今持って常識なのだろうか。
仏教が、立派な経典と仏像という輝かしい二大看板で
日本に入ってきたのが6世紀のこと。
そのころ、神道というものはむろんあったのだろうが、
もともとの日本の信仰の形はもっと素朴で
大岩に〆縄だの、滝や山そのものを拝む拝殿だの、
そういうものが主流だった。
社の奥深くに収められたアイテムとしては、鏡、剣、玉、
そういった象徴としての宝であり、
具体的に、誰かの言葉であったり、誰それの姿かたち、というものは無かった。

当時のインテリ達は、口ぐちの叫んだ。
おお!なんという洗練!こんな斬新な具象を初めて見た!
経典というのも、なにやらむにゃむにゃよくわからんが、
とても尊いことがぎっちりと書かれている。
みたいだ。
とにかく素晴らしいな。大陸。

とまあ、たぶんそんなふうだったんじゃないかな。

なにしろ、それまで我が国に存在した、人の形は、
土偶や埴輪なのだ。

もともとの信仰であった古神道もきっと大いなる刺激を受けた。
いいじゃん。仏像。
これは便乗すべし、イエーイ!その方向でよろしく!
とすぐさま神像に着手した。

わけはない。
日本人の性質上、そういうノリでやって行くには真面目すぎた。

そこには巨大な葛藤が立ちはだかっていた。
八百万の神々は、どのお柱も人の形をしていないもの、
だからだ。
ほんの一時人の形をもって霊験あらたかに現れたとしても、
それはせいぜいぼんやりと人のような影であったり、人のような声であったり。
かように、我が国の神は、眼に見えずかすかに顕現するのみであった。
また、かすかな印であればある程、その神威は本物とされた。
観えないから恐ろしく、人ごときに普段は感じられないから、
想像上のそのすさまじさは逆に際だった。

が、しかし、
そうした観念的なものは、
具体的な実像の前ではかすむ。
台頭してゆく大陸の外来信仰を前に、
神道としていかに生き残り体裁を立て直すか。
それがいかに大きな変革であったのか想像に難くない。

実際に、神社に神像がつくられ始めたのは、
仏教伝来よりさらになんと200年の時を経て、8世紀に入ってからというから
その葛藤の長さがうかがえる。
当時、古の在来の神々は疲弊していた。
長い時間をかけて収集編纂を繰り返していた、最古の歴史書
古事記が献上されたのがやはり8世紀のはじめとある。
我が国の神話時代を記した歴史書と神像。
物語、と、ヴィジュアル。その両方がいびつな形ではあったが
どうにか整えられたのが平安時代である、
とおおざっぱに僕はとらえている。

さて、そういう僕の得手勝手な歴史解釈を踏まえて、
今回展示された神像なるものを、眺めてみたが、
あれ?変だ。

アマテラスやスサノオやツクヨミは、いずこに?
オオナムチやヤマトタケルは?
そう、なぜか古事記や日本書紀に登場するような
スーパースターはどこにもいらっしゃらない。
すべて、
男神立像、童子像、姫神像 などなど、
なんだかその由来がどうも振るわない。

全国の神社パワー集結!じゃなかったのか?
神像って、神様の像のことじゃないの?
それぞれの神社の御祭神は、この方々じゃないでしょうに・・・。
唯一、八幡神があったが、これはちょっと特殊で、仏教と神道にの中間に立ち
度々託宣をする、というどうにも在来の日本の神の性質とは異なる。
つまりそれは外来の神とされている。

はて、そうした、由緒正しい血統の神々の御姿は
やはり表わされるれることはタブーなのか、
もしくは、今もそれらの像は社の奥深くに鎮座ましましていて、
博物館などに貸し出される代物ではないのか?

僕は不見識でそれ以上はよく知らないけど、
どうも前者なんじゃないかと思う。
同じ多神教とはいえ、あの地中海の陽明なリアリズムと
日本のそれとはあまりに異なる。
アポロンの像は多数存在しても、
やはり天照大神が人の形で作られることは
決してなかったのではないか。

だから、その日、上野のガラスケースの中で居並んでいたのは
つまりその御使いとうか、神々の眷属。
いわば代理の姿なのかもしれない。

だとしたら、この前の秩父の狼たちとさして意味合いは変わらない。

具象を受け入れる条件として、ぎりぎり精いっぱいの表現が
神々の代理が御姿を体現する、それをご神木など大切な木で、仏師が彫る。
なんて廻りくどい手続き!
またこんな手段もあった。
天照大神は実は大日如来が御姿を変えた存在であるという。
一見へりくだったような神様の位置づけ。
いわゆる本地垂迹。
だから天照大神の名を聞いて、大日如来の御姿を思い浮かべる・・・。
でも実は本当の本体は、姿は見えないけど天照大神で、、、、。
えええい!まだるっこしい!

いやいや、まて、
廻りくどいのではなく、
それが本当の奥ゆかしさなのかもしれない。
ストレートは不敬、つまりまず絶対にNGで、
何度もわざと曲がり角を作って
反射させて。意味をすり替え
ようやく神を形にする。

御名はある、それは確かに居り、存在する。でも眼には見えない。

それをどうやって具体的に人々に提示する?
あくまで奥ゆかしく。

ものすごい難題だ。
迂闊なことはできない。
大変だっただろうなあ。
作る職人もディレクターも。

仏像と神像を比べたときに
いわゆる決まりや約束だらけの仏像に比べ、
神像にはルールがないから素朴で自由で表現が闊達である。
といわれるけれど、

正直僕にはとてもそうは見えなかった。
どれも、造形としては素晴らしいものだとは思う。
それは舌を巻く。
しかし、
早急に、具象という土俵でアンチ仏像を打ち出す必要があり
神道の立て直しという巨大な使命を背中に背負って
苦しんで苦しんで、
ようやく見出した作り手としてのひとすくいの自由。
そう思うと、
像そのものの背景にある神威よりも
当時の職人たちの要求への苦しみや、
在来種の悲痛な存在証明のようなものが僕には伝わってきてしまった。
でもその苦しみこそが
信仰と芸術の宿命なのかもしれない。
職人はその板挟みの間でいつもアップアップしている。

観ているうちに、
つらいところだよね。でもよくがんばったね、
と、作り手へのねぎらいの気持ちがふつふつとわいてきた。

岡本太郎の言うように、
造形として、我々の血の中にある自由を本当に見出したいなら
やはり縄文の造形に行きつくのかもしれない。



ええい長すぎる!
ブログ不適格。

まだまだ実は疑問や発見はあったのだけど
ここに書くのはやめる。
切りがないから。

いや、展覧会自体はそういう意味で
僕にとっては大変に有意義なものだったのですよ。







posted by 前川秀樹 at 20:51| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月19日

丹精の庭

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淡路島の実家の庭が今、盛りだ。
父母の丹精を受けて潤う草花は輝くようだ。
僕の手はぜんぜん“緑の手”ではないらしくて、
あっと気がつくと
観葉植物すらしおしおと枯れてしまう。
見るのは好きだし憧れはあるのだけど、
なかなか手は緑に染まってくれない。
もっともそれは才能の有無ではなく
単に愛情と情熱の差かもしれない。

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僕がここに暮らしていた頃は、ここは畑だった。
祖父母が、野菜や果樹や仏さんの菊なんかを沢山育てていた。
海岸沿いにマンションが建つ前には
枇杷の木の梢の向こうにすぐ海が見えた。
海に行く時には夏ミカンや枇杷やトマトを
枝から好きなだけもいで手に持って出かけた。
今は、野菜の部分はずいぶん縮小されたが、
果樹はそのころよりもずいぶん増えた。
サクランボにキンカン、ヤマモモ、プラム等々。
そしていつの間にか西洋と和風、花壇と果樹の微妙に混ざり合った
立派な暮らしのなかのガーデンに様変わりした。
虫たちもたくさん飛び交う、
うろうろするだけでなんだか楽しくなる庭だ。
二人が定年後コツコツ始めた庭作りなので、
一朝一夕にこんなになったわけではない。
やっぱり自然相手は時間がかかるのだ。
年一回、島内の何ヵ所かの庭を見て回ることのできる
オープンガーデンのイベントにも参加しているらしく、
訪れるひとも毎年結構いるのだそうだ。

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いつも木偶ワークショップで僕が例えていう里山のあり方。
自然と人とが半分ずつ分け合いせめぎ合って保たれる危ういバランス。
自然の木を素材に選ぶ面白さと困難さはそれに象徴される。
茨城の僕の家でもちょっとやってみようかなあ、
まずは土づくりから。
また時間のかかりそうなことを思い描く。

理想はある。
南仏のセリニャンという片田舎に、
ジャン・アンリ・ファーブルが苦難の末ようやく購入した
赤土と石ころだらけのわずかばかりの土地とその庭だ。
彼は村の雑音から遮断されたそのエデンの庭を「アルマス」と呼んだ。
プロヴァンスの言葉で「荒れ地」である。
実際そこは、植物や生き物たちができるだけ自然の状態で
観察できるよう、“荒れた庭”に作り込まれた。
その時、ファーブル先生55歳。
彼は91歳の生涯を終えるまで、そこで研究に没頭して過ごした。
日本では有名な昆虫記が書かれたのもこのアルマスだった。

今もそこは(十分とは言えないが)管理されていて
見学できる。はず。
なにしろ僕がそこを訪れてからはや17年ほど経つ。
しかし今も憧れだ。

まあ、憧れたり理屈ばっかり言ってなくて、
やってみればいいだけの話。
実際やってみると、
分かることもきっと多々あるはずなのだ。
何事も愛情と情熱、それに丹精なのだ。







posted by 前川秀樹 at 18:46| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月17日

大口真神の御導き。

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境内には御山の神の眷属である、御犬様の像が
いたるところでにらみを利かせている。

三峰神社

ここの御祭神はイザナキ、イザナミとあるが、
国生み神話の主人公であるこの二柱の神様は、
こんな深山には御客様風情でどうにも似合わない感じだ。

ここは、狼信仰の(諸説あるが)総本山なのだ。
狼(大口真神、御犬様、大神 ...)は、御山の神様の御使い、眷属である。

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山中の苔むした風情の古刹を想像していただけに
実際の拝殿の色とりどりの絢爛さには正直、あっけにとられた。
いきなり現れた異界という印象だ。


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昨年、個展「漂泊の森」で僕は大きな白い狼をこしらえた。
ちょうどそのころ一冊の本を読んだ。
「狼の護符」という大変興味深い本だった。

作者の御実家である神奈川県川崎の古い農家。
その土蔵の入口にはいつからか、
黒い犬の姿が刷られたなぞの護符が張り付けられていた。
大人になった今、その護符のルーツを探る旅が始まる。

過程で見えてくる、百姓と御犬様の深いかかわり。
まったく思っても見なかった御山と異界の存在。

そして、旅は現代という時代への深いメッセージへと結ばれてゆく。
プロローグで、書かれているのは、作者の悔恨と謝罪の手紙である。
子供時代、百姓という生き方に対し抱いた、
疎ましい気持ちへの、深い悔恨である。

とても印象深い内容の名著だと思う。
この本の中で、重要な役割を担うのが、
どちらも御犬様講の総本山、武蔵御岳神社とここ三峰神社である。

広い駐車場から茶店のある表の参道を過ぎ、
神社の立派な楼門を抜けたとたん
空気がさあっと変わった。
左右の灯篭の回廊の合間から狼たちが黙ってこちらを見ている。
奥の院を抱く妙法ヶ岳を遥か彼方に拝する、遥拝殿。
岳から吹く強い風が遥拝殿の鳥居を抜け、本殿の前を通り抜け
反対側の端にある御仮殿へと吹きぬけてゆく。
その風を受けるていると、ああ、
ここは今も何かの通り道に建っているのだな、と分かる。
道も良く、自動車で登れるようになった今も
未だ生きた御山、という印象を受けた。
来てよかった。
もともとこの地方は狼信仰の盛んな土地なので、
いたるところに、狼がいる。
多分、狛犬や獅子よりも多いのではないだろうか。
そのうち、是非御犬様巡りをやってみたいなあ。

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ちなみにこんなテレビドキュメンタリー番組もあった。
絶滅したとされるニホンオオカミの存在を信じ今も追い続ける人々。
こちらもまた面白い。
「見狼記」

ニホンオオカミは実際に未だ生息するのか否か、
それは分からないけれど
御犬様(大口真神、大神 etc.)はどうやら今も健在で
それは時折本当に人に獲り付くらしい。

狼は人に沿う。
狼は強く賢く逞しく、頼もしい。
そして恐ろしい。














posted by 前川秀樹 at 21:17| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月28日

隙間のこと

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6月22日からの像刻展、
広島、ギャラリーたむら
制作中の毎日。
1,2,3、月と冬籠りよろしくこつこつ制作作業にいそしんだ結果、
いつになくいいペースで作品が出来上がってきた。
とはいえ、時間にゆとりができればできたで
仕上がったはずの数点がまた気になる。
これでいいか?
これ以上やると蛇足なんじゃ・・・。
仕上がった、てのは、思い込みかな。
安易な道をたどりすぎじゃ・・・。
どうにも、切りがない。
なんにせよ隙間やほころびというのは、
気がつくとどうにも落ち着かないものだ。
見つければそこを埋めたくなる。
しかし、何事にも隙間は大事だ。
隙間や抜けのない作品は息苦しくていけない。
ちょっと、時にはかなり、足りないくらいがちょうどいい。
それは未完成なのではなく、そこがちょうどいい状態なのだ。
だからその状態で完成とするべきだ。
行きすぎたら戻る。わざと抜く。
でもわざとがあざとく見えるようでは、それは拙い証拠だ。
うーん、難しい。
精進精進。
広島初日までの
残り2カ月弱は、
制作続行と同時に
生きた隙間を見つけ出す時間なのだ。




posted by 前川秀樹 at 20:55| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月19日

ウィークエンド木偶。

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DEE'S木偶の棒、準備完了。
いつもの隅っこが僕の居場所。
半年ってあっという間ですね。
明日、ちょっと天気がおもわしくなさそうですよ。
あー、あんなにここ数日暖かかったのに、
なんで週末に限って〜〜〜〜〜。
気温15℃程度しかなさそうで、
参加者の皆さん、暖かくしてお出かけくださいね。
長丁場ですし、せっかくの木偶ワークショップ。
風邪なんて引いてもつまらないですから。

明日、明後日、皆さん宜しくお願いします。
posted by 前川秀樹 at 16:52| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月16日

高機能まごの手。

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初めてIKEAという、巨大北欧インテリアショップに行った。
広大な建坪。商品展示の仕方、客の動線、
買い物袋やカートなどの配置、カフェのメニューと値段設定。
どこをとっても、よくまあこれほど合理的に実現できたものだ。
と、とにかく感心しきり。
商品に関しても、
どのデザイナーがこれを考え、拵えたのか、
そういう体温が感じられる品ぞろえ。
で、安い。
ディノスや通販生活には無い洗練されたデザイン性と、
家の中の機能丸々全部、実物を見て選べるというメリット。
コーディネートも頼むことができる。
無印良品には無い、あえて加味され、忍ばせた遊び心。しゃれっ気。
コンランよりは少々質は落ちるが、そのかわり安価。
作品とは違ういわゆる、工業生産品なんだけど、
その範疇ではかゆい所に手が届く
実に上手な狙いうちの仕方だなあと思う。
高機能のまごの手だ。

さて、僕はかつてこれに飲み込まれそうになって、
生活道具を作るのをやめてしまった。
あふれんばかりの工業製品の洪水に立ち向かい、
アンチを明快に打ちだす気持ちが揺らいでしまったのだ。
アイデアだけでも、素材の希少さだけでも、作品性や手作りをアピールしても、
自分自身の明確なポジションが絞り切れなかった。
その時点では。
足りなかったものは、一つには手の技術。
なによりもうひとつは生活道具への理解と情熱。

制作が像刻に移行した今も、興味はある。
大量にモノが生産され、受け入れられ、忘れられてゆく、その仕組みには。
人が何を買い求めて、何を捨てていくのか。
モノに価値がどうやって発生するのか?

IKEAでは我が家で長年保留にしてあった、衣服のチェストを二つ購入。
なんだかんだいいながら、僕自身もこのラインに準じ、
まんまと消費者となっている。


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ちなみにこれは、先日、近所のアンティーク倉庫のセールで購入した
ガラクタ達。
どれもこれ単体では、なんの役にも立たない。
が、これもまた同じ工業製品なのだ。
そして、非常に魅力は感じる。
アンティークパーツとしての魅力だ。
役割を失ったからこそむしろ何かにはなりそう、という予感。
時を経てもう生産はされなくなった希少性。
質や錆びたテクスチュアの美しさ。
けれど、これだけではアンチテーゼにはなりえない微弱な存在でしかないのだ、
ということを、僕は思い知った。
リプロダクトは思ったより簡単ではない。
 
さて、それならこの役立たず達は何なのか?

なんとなくこういうのが好き。
好きなものと暮らしたい。
飾れるオブジェに。
好きじゃなくなったら、手放せばいい。

それでいいじゃないか?
それ以外に何か必要?
と、消費者の立場からはそれでいいのかもしれない、
でもそうはなかなかいかない。
モノツクリは消費者でもあるが生産者なのだ。
その魅力はなぜか?に答えを出さなくては、
その理が立たないのだ。
あるいは、社会に対してこの魅力は何であるか?という提示が出来なくちゃならない。
厄介だ。

さて、
資本の畑から次々生み出される高機能に対して、
個人のレベルでも打ち出すことができる「ウリ」とは
結局のところ何なのだろうか?
繰り返し繰り返し、
今もそれは自分に突きつけられている。









posted by 前川秀樹 at 07:37| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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