2015年03月19日

うららうらの日

先日、ハリルホジッチ新監督の精悍な顔をテレビで観とれていたら、
はっと思いついたことがある。

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ヘビクイワシ

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ハリルホジッチ



あ、逆か。

そんな、非生産的なことに
凝り固まった感性を浪費しながら、
寒い寒いと猫背の背中をさらに丸めてひきこもっているうちに
気が付けば家の周りではいつの間にか、
ホー、ホキョキョキョ、と
へたくそな春告げ鳥がかしましいほどになっていた。

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にわかに気温の上がった火曜日。
さすがに重い腰を上げて、千葉方面にちょっと出かけた。
梅花も満開、タンポポも控えめに開き始めている。
菜の花の明るい光に目がくらむ。
そうか、おんもはもうこんなになっちゃってたのね。
とやっと背中を伸ばす。
日課の犬の散歩が無くなってしまってから、
毎日確実に刻まれる季節の移り変わりに
触れることが本当に少なくなった。
一日も欠かすわけにいかなかった面倒くさい生活習慣だったけど、
今にして思えば、そういうちょっとしたことに
気が付く貴重な時間だったんだなあ、
ということに気が付く。

ここから桜の時期は、
景色の変化著しい一時期だからか
気持ちがざわざわして、
嬉しいのと同時にちょっと苦手だ。
萌え放つ変化の瞬間を今この時も
見過ごしながら過ぎて行く残念さがいつも
いつもいつも気持ちのどこかに引っかかっていて
焦るから。

毎日の習慣にはならなくても
ちょっとは意識して写真でも撮りに
出かける時間を心がけようかな。

でもこれ、毎年言っているな
多分。
どうすればいいでしょう?監督?








posted by 前川秀樹 at 14:13| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月19日

窓景色

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夜半に雨が上がり、放射冷却で急激に冷え込むと、
朝方、車の窓に幻の山岳の遠景が浮かび上がる。

なんとも綺麗だ。

こんな自然の造形は、趣や妙という言葉で愛でるにとどめたい。
なんでもかんでも、アートだね、とのたまうのは、
たぶん一般の人々のボキャブラリのなかで、アートという言葉が、
なんでもありを表現する便利な形容詞に
なり下がっているからに他ならない。
そう、例えば 「かわいいー」と同じ程度に。

もっとも現代美術の世界の現状は、
社会の中でその目的と存在の意義を見失い、
溺れながら迷走する、一人ぼっちのクジラのようだ。
その枠基準の緩さと、捨てきれないプライドの高さゆえに、
自らの輪郭の維持すら困難極まって久しい。

さて、ギャラリーズ・アイ
賛否両論の中終了した。
招待日をあわせ、3日間で来場者約3500人という数字から、
ファンの方々の興味をそそるに十分な企画であったことがうかがえる。
少なくとも、一石を投じることは出来たのかもしれない。
閑古鳥が鳴くよりはずっといい。

いろいろなもやもやしていた問題点がそれなりに洗い出された、
という点において、僕にとっては意味のある機会となった。
アートか工芸か?
作り手にとってギャラリーにとって、買い手にとって、
その境界線は有りや無しや?
線引きの意義は有りや無しや?

少なくとも、雲を下に見る岳の稜線で、
境界線という線を
僕は未だこの目で見たことがない。

posted by 前川秀樹 at 20:52| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

基礎練習ドリルの日

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 眼前に聳え立ちはだかる壁。
その名は締め切り。
ギャラリーズ・アイ、そして雑誌「住む」の原稿。
どちらもあと1週間。
前者はともかく後者は現在も未だ全くの白紙状態。
一文字すらも出てこない。
あははは・・・・。
あ〜あ、何も浮かばない。
時すらも私を置き去りにして〜〜♪・・・。

こんな時にぴったりの4文字熟語は?!
そう! 敵前逃亡 あ、違う、気分転換。
頭がフリーズ状態になってどうにもこうにも動かなくなってしまったら、
僕の場合は、とりあえず車で家から離れてみる。

いつもなら山方面なんだけど、
路面凍結とか昨日の積雪とかが怖いので、
今日は海へ。

こちらへ越して来た時には、しょっちゅう足を運んでいたのに
ここしばらくは、海方面からはとんと遠ざかってしまっていた。
山より近いのにね。

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とりあえず下を向いてぷらぷら歩く。
一昨日が満月で大潮だったせいか、波は荒いけど今日もよく潮が引いてる。
この石綺麗。これは・・・海鳥の右の翼の尺骨かな?
ウニの殻。全部ことごとく裏側だけ割れているのはなんで? 
ああ、早朝に食通の鳥が中身を食べちゃった、が正解!
砂利を踏む音、波寄せる音、ふと磯の香り。
お、調子が出て来た。
目的もなく歩くだけで、調理前の初々しいクエスチョンにたくさん出会える。
まずはそういう単純な基本練習問題から、
自分の目と頭を動かすことを思い出して行く。
つまりリセットだ。

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プラスチックの器に龍の柄?
なんかちょっと筆が上手すぎないか?

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どうやらヘビガイのくっついた痕跡でした。

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この石は・・・。なんか入っているよ。
化石だ。
貝殻らしきものがぎっしり。

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こっちにも。

このあたり、確か中生代白亜紀の地層で海岸の岩が出来ているそうだ。
中生代 白亜紀といえば、約8000万年前。
はい、中生代を代表する化石といえば、
恐竜、アンモナイト トリゴニア貝 !

実際このあたりの海岸は、異常巻きアンモナイトの産出で有名らしい。
僕は見たことないけど。

とはいえ、この貝化石の入った泥岩だか頁岩だか、
そんなに古くは見えないけどなあ。
貝殻本体も比較的よく残っているし、
僕がずっと前に中世代後期の化石を山で掘った時は、
貝殻なんて全く残っていなくて、母岩の頁岩にスタンプみたいに
トリゴニアの殻の痕跡が見てとれるだけだったけど。
これはせいぜい新生代じゃないの・・・?
いや、実は保存がいいだけなのか?
うーん、ギブアップ。
ちゃんと調べないとぜんぜん分からない。
でも何が分かっていないかははっきりした。
それが大事。

この前のガーネット以来、
つい石を拾ってしげしげ見てしまう。
こんな海岸を埋め尽くすそれぞれの石ころの由来が知れたら、
きっと全く別物の風景がここに見えてくるんだろうなあ。
そんな特別な目を標準装備しようと思ったら、
まあ一つづつでもきちんと知って行くしかないんだな、きっと。


さて、不思議なもので、そんな役に立たない仕事以外の基礎ドリルに
それなりにまじめに向き合ってみると、
するすると頭はほぐれて来た。

この調子この調子。

天気も良かったし、貴重な時間を費やしてよかった。
さあ帰って、今度は手と頭を動かそう。



posted by 前川秀樹 at 18:27| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

足もとのレイヤーのこと

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ゴマ塩おにぎりの断面、ではない。
拡大するとこんな感じ。


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梅干しっぽいところは、実はザクロ石の結晶である。
ザクロ石、別名ガーネット。

快晴。
懇意にしていただいている。識者のNさんに半ば無理やりお願いして、
茨城県某所の地質の調査に同行させていただいた。
ここは数十年前まで採石場だった場所。
地権者のOさんのご厚意で立ち入らせていただいた。


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砕石跡の生々しい崖は花崗岩である。いわゆる御影石の露頭。
花崗岩自体は日本列島の基盤を成すほどありふれたものだけれども、
そこのはガーネットが混じっているのですよ。
と聞けば、黙って居られない。
気がはやる。

現場に着けば、そこここに昔砕石された、あのゴマ塩模様の大きな石の塊が。

あ、ここにもう出てますよ。

ええ!?そんなあっさり?

母石の表面にちっこりあずき色のかけらが。
結晶らしく面取りをされてきらりと艶もある。

おお!なるほどこれは綺麗だ。

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これは沢山含んでますね。と地質のエキスパート、Yさん。
この方の解説付きなので、ただの石くれが輝きを放ち始める。
うん、面白い。
Yさんが900グラムのハンマーを振るう。
われた表面を見ると、
あ、また出てきましたよ。

それからは僕ももう夢中で、ハンマーをふるう。

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なるほど小さいモノならばもういたるところできらきら。
そうなると欲が出て来て、より大きくて色の鮮やかなものが見たいなあ。
となる。

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が、そうそう大きいのは出てこない。
見つけた中ではこれが一番大きかった。
5o程はあったかなあ。でもハンマーをふるうには落石の危険が大き過ぎて
断念。欲をかいて大けがをしては元も子もないし、撤退。

ものの1時間ほどの滞在だったけど、
この場所の花崗岩の成り立ちやらのレクチュアつきなので、
もう楽しくて、おかげさまで実に濃厚な時間を過ごさせてもらった。
ちなみにガーネットは1月の誕生石で硬い鉱物。
粗悪な小さな粒は紙やすりの表面のあのざらざらだそうで、
意外と身近に使われている。
知らずに宝石で木の表面を磨いてるのか。

自分のサンプル袋の中を数えれば大小随分な数になった。
面白かったなあ。
ありがとうございました。

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 最後に、立ち話をしていて、
何気なくYさんがひょいととり出した
コロッケのようなきれいな楕円の形の石。
ごつごつの表面には沢山の小さな穴がある。
持ってみると、手にぴったりと収まる。
それもそのはず、コロッケの真ん中、
表にも裏にも指がピタッとはまる
直径20ミリほどの丸いくぼみがあるのだ。
明らかに人の手が加わった痕跡だ。
それに軽い。
さっきまでハンマーで砕いていた花崗岩とはまるで重みが違う。

どうしたんですか、これは!?

いや、さっきそこの畑の端に転がってた。

転がってた?
これ、何なんですか?

多分石臼で穀物か木の実なんかを砕いた石器だろうね。
火山性の石だから、このあたりのものじゃない。
形状とか先の摩耗具合、用途から縄文のころだろうねえ。
こういう火山性の石は栃木、
近くても日光あたりまでいかないと手に入んないから、
そこまで歩いて採りに行った人が居たのかもねえ。
あるいはそこから誰かが持ってきたのかな。
加工の出来る石材はこのあたりだって豊富なのに、
どうしてもこの石材で作りたい理由があったんだ。
空気をたくさん含んだ石はぶつけても意外と割れにくいしね。

ああ、そうだねえ。

Yさん達。まるでつい昨日の近所の出来ごとのように、
一つの石ころから、とんでもないことを語り出す。

えっと、あの、5000年以上前にここに住んでた人の話なんですよね、、、。

なんだ、なんだ!?この人、というかこの人たち。
まるで探偵小説の探偵の謎解きの場面に、
今、まさにライブで立ち会っているみたい。

ドキドキしてきた。
僕にも何だか、
見慣れた風景がいきなり、違って見えて来た。
ような気がする。
なんというか、
風景や、足もとがとてつもない多層構造に思えた。
見えないのは、見慣れてつまらなく感じるのは、無知だから。
世界は知によって開かれた、って誰の言葉だったけか。

なるほどねえ。
何にも知らなければ、それは単なる白菜の植わった畑だし、
崩れた白茶けた崖でしかないわなあ。
そこにしつらえられた問い≠ノ自分が気が付かなければ、
世界は謎の存在しないのっぺらぼうだ。

世界はとてつもないレイヤー(多層構造)で出来ている。
無知のまま見る世界はその表面の薄皮一枚のみで、
それを世界のすべてだと思い込んで疑わないのは、
無知に加えて愚者というものなのだ。

世界の奥行きを垣間見ると、
日常の些事がどうでもよくなるものだ。
綺麗に目から鱗の2015年のスタート。
幸先がいいな。






posted by 前川秀樹 at 20:46| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月24日

つかの間の繕い。

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 広島から帰って来たのが9日。
その後今日まで2週間とすこし、僕が茨城で何をしていたのかというと、
力を出し切って放心、とかだったらかっこいいんだけど、
実はずっと家の補修作業に没頭していた。
玄関の土間と倉庫ダルダに板床を張り、
材木置き場に雨よけの軒を取り付け、
パソコンのあるスペースに棚を増設してレイアウトを変え、
昨日からは、玄関と千恵の作業場の間に間仕切りの扉を作っている。

ああ、なんて楽しいんだ(笑)
仕事じゃない作業って何故こんなにさくさく進むのだろう。

家をこしらえて14年になる。
計画当初は、あそこをああしよう、こうしよう、
と外国の雑誌なんかを穴のあくほど見続けて、夢想してばかりいた。
住み始めてからもこのまま改装を続けようなんて思っていたけれど、
実際その場所で日常がスタートして暮らしが定着してみると、
そんなことはほとんどやらなくなった。
例えば2階のカーテンが付くまでになんと10年を経過していた。
それまで窓には画鋲で麻布を止めただけ。
それで雑誌の取材なんか受けていたのだから、
笑ってしまうほどお粗末だ。

ただ、住みながら気が付いたところ、気になるところは
いくつもいくつもずっとたまっていった。

明日やろうは馬鹿やろう、とは学生時代の友人の口癖。
よし、広島が終わったらやろう。
年末までの限定の僅かな時間をそこに当てよう
と決めたら再び火が付いた。
毎晩スケッチをして、翌日材料を見つくろって
すぐ作る。
なるべく手元にある材料で低予算で、自分に出来る範囲で。
思い出した。
必要だから作る。
よりよい暮らしの為に、開いた穴を埋める。
創作する、というほど大げさなものじゃなく、
繕うことの充実感。

僕が昔、生活道具を作り始めたのはこういう気持だった。
身のまわりや、人のまわりに足りないものを思いつく端から埋めて行こうと思った。
ところが、
値段をつけて、展覧会の売り上げが生活の糧となり、
だんだんと繕うべき個所が見えなくなって来た時に
純粋な楽しさが薄れてしまった。
最初はあんなに楽しかったのに、
なんだか自分のモチベーションの限界を感じてしまったので
結局生活道具を作るのをやめた。

そう、ほころびを繕う。その気持ちを忘れてはいけない。
像刻の場合もそれは同じ、そこに無いから作る。
自分がまずその姿を見てみたいから作る。

生活道具と違うのは、
そこに、物語や空想といった量として測れない余地が沢山残されているところだ。
彫っても彫っても一つうまくいくと
他に何かが言い足りなくなって、繕いきれないほどまたほころびてゆく。
生活道具は暮らしの物的な穴をモノで埋めるものだったけど、
像刻はモノであるにもかかわらず、その本質は言葉だ。
足りないコトを言葉で繕う。それを丁寧に紡いでゆくこと。
それを人に聞いてほしいと願う。
それは表現の基本といっていい。

繕う必要が無くなってまで手を動かせばまた同じ轍を踏むし、
また繕う必要のないコトをことさらに大声で叫んで
無駄な上塗りをするような激しい自己主張をしようとは僕は思わない。

その個所を丁寧に確かめながらだから、沢山はできない。
理由があるから手を動かす。
物語も空想も伴わない作業は僕にとってただ苦痛だ。

常に、ちょっと足りない、くらいがちょうどいい。
その塩梅をどうやればうまくコントロールできるのか、
コツはあるが、真の秘訣には未だ至らない。

多分、この繕い大工仕事が終わるころにまた、
無性に顔が彫りたくなるのだろう。
どちらの手仕事も地続きなのに、不思議なものだと思う。
旅行と日常の関係に似ているのかもしれない。

さて、世間ではクリスマスやら年越しやら賑わしいが、
うちの年の瀬は、永年積もった繕い仕事で過ぎてゆく。
それが自分らしい。






posted by 前川秀樹 at 20:46| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月30日

木枯らし


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前川千恵バッグ展、沢山の方々のご来場、
どうもありがとうございました。


千恵の繁忙期もようやく過ぎて、
僕の方も自分の制作を一休みしたかったので、
ちょっと休日することにした。

おりしも28日は木枯らし一号が関東地方にも吹いた。
その名残か、晴天にもかかわらず翌日も風は強く冷たい。

栃木県の八海山神社というところ。
駐車場がすでに高地にあるので、
車を降りてみると寒風吹きさらし。
おおお、凍える!
用心していろいろ着こんできたけど、
手袋と帽子がほしい。
気温4度。

まあ歩くうちに温まるだろ。

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山歩きを1時間ちょっとで到着。
頂上は独特のがれ場の風景。
標高は1539mとある。

ああ、寒いけど、風は冷たいけど、
パノラマは抜群だ。
時々はこういう見晴らしの良いところで、
視界をぐいっと広げることは、たぶんメンタル的に大事なことなんだな。
僕の場合、普段があまりに手元だけにしか視界が無いからな。
猫背の背中もいやでも伸びる。

さて、ちょっと早いけど昼飯にしよう。
祠の陰がまだしも風よけになってくれそう。
昼飯ってもコンビニモノだけど。
水筒の熱いお茶がありがたい。
冷めないってすごいな。
と、こういうとき何度でも改めて驚く。
魔法瓶って呼び名、今も通用するのかな。

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お皿がないから、石の上に。
御あつらえ向けの平たい石ばっかりのガレ場です。

今日の目的はそれだけ。

ああ、あとは麓で湧水を汲んで、
この時期ならリンゴを買わなくては。

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このあたりはリンゴ園が多い。
王林一袋と傷モノの紅玉を段ボールひと箱購入。
安いなあ。
ジャムとかジュースとか、贅沢にいろいろできそう。


紅葉もほぼ終わり、
昆虫の姿もとんと見かけない、僕にとっては完全なシーズンオフの山。
木枯らし一号から春一番まで、山は長い睡眠時間にはいる。

僕もまた準じて長い冬籠り。
といいたいところだけど、実のところ、今現在、
複数の締め切り前で内心は焦燥の木枯らし中(笑)。
12月の広島展まで、
リンゴでもかじりながら追い込み制作するかな。
がんばろっと。




posted by 前川秀樹 at 18:07| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月06日

そうではないのだ。

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先般、ある映画を見た。

「大いなる沈黙へ」

フランスのアルプスの山中にある、グラン・シャルトルーズという
修道院を半年にわたって撮り続けたドキュメント。
BGM無し、ナレーション無し、照明装置無し。インタビューはたったワンシーンのみ。
それが延々と3時間。

おおよその予想通り場内にはいびきが秋の虫のよう(笑)
が、これは一見に値する。
と僕は思った。

ほとんど中世のままと言っていいほどの戒律的で
単調(に見える)な繰り返しの毎日。

彼らは個室で祈り、聖書を読み解き、日課のミサに参列する。
誰かが答えを説くことも無ければ、
誰かに教えを広めることも無い。
彼らはただ祈り、暮らす、その事でのみ神に近づこうとする。

食事は個室の小窓からそっと提供され、頃合いにそれぞれが摂る。
週に一度の会食でさえ会話は許されない。

集団生活を営み、一日の共通の日課はあれど、
徹底して守られたプラィヴェートのなかで
彼らはただ祈る。

下界との接触はほぼない。
月に一度家族に会える、しかし例えば用事で
麓の村に降りることはあっても村人との会話などは禁じられている。
そして、幾人かはここでその一生を終える。

盲目の年老いたある修道士は言う。

「私は盲いたことを神に感謝しています。ここでの毎日にこそ歓びがあります」

うろ覚えだけどそんなことを語っていた。

隔絶 別世界
それがこの映画全体を貫く印象だ。


観客のほとんどは自分も含め、紛れもなく下界の住人だ。
経済と結果とスマートフォンにどっぷりとつかった俗世の人々だ。
下界の我々は最初、
その作り物めいた天上の隔絶世界の映像に驚く。

それは奇異なるものを、外側から観察する
博物学的な視点だ。
自分たちこそが常識である、
という圧倒的マジョリティの視点だ。

しかし、スクリーンの中で
ひたすら繰り返される彼らの沈黙の日常に見入るうち
知らぬ間に、その視点は修道士たちのそれへとすり替わってゆく。

鐘が鳴ったら
ああ、ミサだ、行かなくちゃ。
と思い、本を閉じようとするし、
質素な食事をかみしめているうち
ありがたいなあ、
と思うようになる。

不思議なことにあれほどの隔たりは
いつの間にか薄れ、
全ての行為が無駄のない当たり前の、人の暮らしなのだ、
と思えるようになる。
祈り、が特別なことではないような気がしてくる。
なんだか術にでもかけられたように、この沈黙の天上世界に僕らは酔う。

そしてここもやはり
我々と、下界と地続きの今≠ネのだ。
と感じるシーンに安堵するようになり、
その安堵に懐かしさすら感じるようになる。

映像の中にはところどころ
そのことをにおわせる要素が最低限に盛り込まれている。
それは、差しれられるオレンジに残る生産者シールだったり、
剃髪していない理髪師の一人が映ると、ああ、この人は通いの職人さんかな
と思えたりする。
腰の曲がった鼻の赤い、老修道士が残雪をスコップでゆっくりと
掬い覗き、黒い土にニンジンの種をまく、
その種の袋はフランスのスーパーで見覚えのあるパッケージだ。

ああ、そういうところは僕らと同じじゃないか。

これは共感、だろうか?
ほっと気持ちが緩む。
そのとたん、
無言の声が重厚な風の音のように響く。

「そんなことはどうでもいい。そういうことではないのだ」

と、突き放され、また下界の観客に戻る。
その繰り返しなのだ。

印象に残るシーンがある。

カメラが空を振り仰ぐと、
山岳に垂れこめた雨雲の下を
旅客機の淡く黒い影がよぎってゆく。
しばらくカメラはそれを追う。
音はただ風の音だけ。

なんだろう?なんで突然飛行機?
そのシーンの前後には何のつながりもない。
それでもしばらくして、
気が付いた。

ああ、あれは十字架に似ているんだな、と。
うがった見方をすれば、
あれは分かりやすい対比だったのかもしれない。

山岳の雪の地べたを這いずり、
それぞれの内的世界にある頂を
小石を一つずつ手で詰んでゆくように
ただ祈ることのみにて
高みへと、天へと達しようとする修道士たち。

対して巨大なジェットエンジンで
軽々と地面を天へと押し上げ、
空を駆けてゆく、下界の人々。
それは観客である僕らだ。

なんという両者の手法の、根本的隔たり。

しかしながら、
それでも世界は地続きなのだ。
その隔たりをどう思えというのか?

やはり、この映画の作り手も登場する修道士たちも
安易な共感など僕らに求めている訳ではなさそうだ。

いうまでもなく、
すべてのシーンの映像の美しさは筆舌に尽くしがたい。
冷たい漆喰の壁に小さな窓から差す光に浸るだけでも
十分見ごたえはある。
いい映画だったなあ、感想なんて
その程度でもよかったのかもしれない。

観終わった後、それでも彼らの修行の意味も
作り手の意図も
僕はそれなりに雰囲気でわかったような気になっていた。
そんなふうに夢見心地で有楽町の小さな映画館からエレベーターを降り
ガラスの自動ドアが開いたとたん、

津波のように全身に襲いかかる、音、音、音。
爆音には紛れもない実態と圧力があった。
本当に目眩がした。

修道士たちの踏む樫の床板の反発音、ローブの絹ずれの音だけが
あの世界で、沈黙を破るものは、ただそんなものだけだった。

ここに来て絶望的な本物の隔絶を僕は思い知らされた。

数日たって、
言葉としてまとめられないものがずしりと
のしかかる。
あくまで自分にとって、
それはものすごく大きく、大事な意味≠ナあることは分かる。
しかし切りこもうとすると、その内側へ入り込む扉がわからない。
どう解釈しようとしても、十分ではない。
だから未だに、こんな風に書けば書くほど自分の言葉の
陳腐さが際立つ、
いたずらに深読みすれば、またその行為を笑う声がする。
自分の、造る日常≠ニどうにか重ねてみる。
かすかにそれと沿いうるような
輪郭や意味ありげな言葉が浮かぶたび、
もう少しで分かりかける気がするたび
またあの声がするのだ、

「そうではない、そういうことではないのだ」

と。
一体、僕は何に捕まってしまったのだろうかと、
勘ぐりをして、また笑われる。




posted by 前川秀樹 at 19:55| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月04日

空想原野

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尾瀬である。




「そろそろですよ。金色の原野」

いつものサンペイ君から、待ちに待っていたお誘い。
秋木偶も終わったばっかりだし、一も二もなく。
了解。の返事。

尾瀬、と聞けば、
夏が来〜れば思い出す〜♪
とすぐに歌い出せるほど、初夏のそれが有名だが、
逆にそれがあまりに有名過ぎるせいで、イメージの刷り込みも強い。
知っているつもりになっているが、
僕も実際に行って水芭蕉を見たことがなかった。
場所すらあやふやだ。
だから、秋の尾瀬なんて考えもしなかった。

「秋がいいんです」

そうか、サンペーくんがそういうなら、初めての尾瀬は秋にしよう。
と決めていた。
前もってちょっと調べても見た。

意外にも、尾瀬が独立した国立公園となったのは、
2007年のこと。
それまでは日光国立公園の一部という扱いだった。
日光を中心とした広い範囲が国立公園に指定されたのは1934年。
日本で国立公園法が施行されたのが1931年だから、
最古参の部類の国立公園といえる。
国立公園内にあってさらに、特別保護地区、という
最も厳しい環境規制によって守られているのが尾瀬だ。

しかし、そんな守られた地にも
いろいろなことがあったようだ。
行ってみて初めて分かった。

昭和30年代半ばから40年代にかけて、
日本では高度経済成長期というのがあり、
それにぴったりと平仄を合わせるように登山ブームがあった。
駅は夜行列車を待つ人々で溢れたのだという。
当時の若者たちは、週末になると
我先にスモッグに満ちた都会を逃れ、
未だ自然の色濃い山を目指した。

ここ尾瀬周辺にも多くの人がやって来た。
そしてどうやら、その中の一部の人達は、
ひどいことをした。
ここに来てまず、
我ここにあり!
そう、都会の人達は言いたかったのかもしれない。
より清いものを目指し、競って力で侵す。
そういうことを喜びとする人たちが
この山路にかつて押し寄せたのだろう。


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トレッキングコースに沿った立派なブナの木肌。
人の名前や、日付が深々と刻まれていない樹を探すほうが難しい。
ブナの木一本の寿命は250年から400年と言われる。
森が守られ続ける限り
まだまだこの先延々とこの痛々しい記念碑が消えることは無い。
皮肉なことに。

刻まれた日付の数々は、
まさにそのブームとぴたりと符号する。
ブームは集団を生み、群れは、個人の理性や良心を狂わせる。
人が天然の理≠竍人の道≠規範とすることなく急激に群れるとき、
大事な何かや、美しく繊細なものは簡単に踏みにじられる。
だから僕は、基本的にブームが嫌いだ。
というよりも怖い。

今 年配の方々に再びやって来た登山ブーム。
あなたではないかもしれない。
しかし、
疑いようもなくあなたたちですよ。
これを刻んだ世代は。

古傷のことは
あまりに哀れだったので
ちょっと書いた。
とはいえ、今はそんな乱暴は働かれていない。
すれ違う方々のマナーは世代に限らずとてもよい、と感じられた。
不用意に打ち捨てられた、ゴミなどほぼ目にすることはない。
皆がなにかを学んだのかもしれない。
今の尾瀬は成熟度の高い環境保全地区に落ち着いている。
それが僕の印象だ。

さて先に進む。



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湿原までは駐車場から、
どのエントリーコースを選択しても、
徒歩でそれなりの山は越える必要がある。
しかし、その変化に富んだ色合いや、ブナや樺の巨木に目を奪われるうち、
いつの間にかアップダウンは終わり、
厳かに、静かに、そして劇的に、
黄金色の原野が眼前に現れる。

向こうの山まで広がる高層湿原の草紅葉。
燧岳から吹き下ろす緩やかな風が
上質な獣の毛並みを嬲りながら渡ってゆく。

ああ、異界だ。
福島に異界は存在した。


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ところどころにある沼は池塘という。
水草もまた枯れ始めている。
水の中の秋も深い。

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あ、水鏡を泳ぐ魚発見。

残念ながら雲が出て来て夕焼けは見られず。
ところが夜が更ける頃、山小屋の窓を開けてみれば、
あ、晴れてる。月。星も。

よし、と防寒をして、二人で山小屋を出る。
昼間には黄金色だった湿原は、三日月の淡いささやかな明かりなど
全て吸い取って、真っ暗闇がただ広がるばかりである。
それは、闇の海に見えた。
木道はかろうじて頼りなさげに、ぽっと白く浮かび上がり、
先に視線をやると、何処までも伸びているはずのそれは
程なくして闇に消えいっている。
ランタンをあえて消して、
てくてくとそれをたどる。

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宿の明かりが岸辺の漁村のように小さく見えるまでになった頃、
闇空を見上げて、僕の全身にさざ波が這うように鳥肌が立つ。

ああ、そうか、天の川。
そんなのが頭上にあることなんて忘れてた。
降るような。とはこのことを言うんだな。
綺麗だなあ。


キュオオオオオオ〜〜ン

遠くから。西の方の山裾の方?、
哀切な長啼き。
鹿のそれだとすぐに気が付く。


「これは、なんか・・・・・このシーンはすごくない?」
「しびれるほどすごいっすね」

なんだか丁度ぴったりの言葉が出てこない。
不思議な高揚感。
残念ながら、僕は昼間、へまをして、膝を痛めてしまっていたから、
それ以上、凪の沖へと歩き続けることはやめたけど、
万全なら何処までもあの白い頼りない道を歩いてしまいそうで、ちょっと怖かった。
調子に乗らなくてよかった。


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ファンタジーというと、
児童文学やゲームの世界にバイパスが出来てしまっているけど、
現実と地続きで自分の足で踏みしめる地面の上に
異界を感じることは可能だ。

この草紅葉を、コガネガハラと呼べばいい。
一羽の鴨と羊草が揺れていたあの池塘に、トオカガミノヌマと名前を付ければいい。
想像をすればいい。
堂々と頭の内に誰に聴かせるわけでもない物語を描けばいい。

そう僕は思う。
品のない野卑な喧騒を下界にちょっと置いてきさえすれば、、
非日常や異界はこの場所で、誰にでも幕の内を開き魅せてくれる。

いつまでも空想することを許してくれる
黄金の原野が、守られてあってほしい。











posted by 前川秀樹 at 22:52| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モネの眼で。

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 パリから約80q、ジヴェルニーという村に
彼が越してきたのは1883年の事、
43歳だった。
彼はそこで庭に川の水を引き入れ、大きな池を作り、
庭を日本風の庭園にしつらえた。
丸い太鼓橋に柳、そして睡蓮である。
有名な連作 睡蓮 はここで生まれた。
光の画家、そう呼ばれたクロード・モネ

私たちが視ているそれは、
その色とは、固有普遍のものでなく、
実は光なのだ。
目が認識しうるこの世界は光で満ちている

季節のうちにも、一日のうちにも、
自然の中に一時として同じ状態の色など存在しないではないか。
それはうつろいゆくもの。

ところで、彼の日本びいきは有名だ。
ジヴェルニーの彼の屋敷の壁は浮世絵で埋め尽くされ、
日本人の客はとりわけ歓待を受けたという。

行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。

彼が「方丈記」を読んでいたとは考えにくいが、
世界はうつろいゆく、
という彼の感性は、Ce bon vieux Japon
古き良き日本の土壌から生まれた感性と
ことのほか相性が良かったに違いない。

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紅鳶、中紅、榛、深緋、橙、金茶に鉛丹。
こう漢字で書くと、そのものの色を言い当てることはできなくても、
なんとなく、雰囲気でこう言う感じの自然の色、と
僕らは分かる。
日本の古色なんてちゃんと習ったことなんてないのに。
それを、文化と言おうが教養と言おうが、感性と呼ぼうが構わないのだけど、
僕らの中には、思いのほか豊かな色彩世界が内在しているに違いない。


気温 13℃
目のくらみそうな高さの展望台の手すりから見下ろせば、
鮮やかな錦に彩られた岩肌を、大瀑布の白が割り裂いて落ちる。
深呼吸をひとつ。色を いや、光を吸い込む。
すでに晩秋の香りのする9月の終わりの
尾瀬である。




posted by 前川秀樹 at 19:00| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月23日

カンタンカンタン。

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午前中には未だ蝉の声。
初夏に最初に蝉の鳴き声に気が付くことは多いけれど、
鳴かなくなる日に気づくことは難しい。
いつの間にか、だ。
一週間前だったかもしれないし、今日が最後かもしれない。
独唱となった蝉の声ほど、切なさをもよおすものはない。

そして代わりに夜の部には鳴き虫の声が盛況だ。
虫の種類も多いから、聞き分けるとなるとこれは骨だ。
音色はさながら絡まり合った糸葛のよう。

ところが、これがまた不思議なもので、
ひとつ耳が覚えてしまえば、
絡まった糸の束から、難なく
たった1本の目的の糸を引き抜くことができるようになる。

で、我が家で先月の末から澄んだガラスのような高音を響かせているのが
これ。

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カンタンという。
8月の終わり、土器さんや石彫の上田ご夫妻と一緒に山梨で遊んだときに、
土器さんに教えてもらった。

「カンタンを捕まえるの楽しいよ。昔、山の家でよくやったよ」

ほうほう、名前は聞いたことあるけど見たことはない。
声と姿は、検索するとすぐに分かった。
よし、記憶が薄れないうちにさっそく。

標高1000メートル。農場の周りの草藪からは予想通り
盛大に絡まり合った声声声。

うーん。
わからん。

でも
最初にその糸を見事に引き抜いたのは上田亜矢子さん。

ティリリイリリリリリリリ〜〜〜〜〜〜〜

おお、ストロークが長い。確かに似てる。これかも。
主は何処に?

あ、居た!
多分これ。画像確認。
鳴くのは雄だけで、雄には産卵管が無いからすぐにわかる。

当たり、かな・・・。

どう?これ?土器さんに確認。

「そう、こいつ。」

なんてこと。いともカンタンに。

それでロックオン完了。もう耳と目がやり方を覚えて、
次々と見つかる。
結局うちは3頭お持ち帰り。
さっそく100円ショップでタッパーを買って簡易飼育ケースを作る。

聞けば、カンタンの鳴き声は、
茶人の遊びのひとつなのだという、
ひょうたんなんかで容器をつくり、
丁寧に飼って、真冬などの季節はずれに、
茶席の片隅の暗がりで鳴かせるのだ。

趣、というのはそうした意外性にふと呼び起される感情の一つなのだ。

なるほどなあ。
ところがうちのは3頭とも4日たっても1週間たってもまったくの沈黙。
餌が気に入らない?容器が安っぽいから?
捕まって怒ってんの?
あれこれするうち、2頭がお亡くなりに。
あー、気の毒に。
にしても
鳴かないなあ。

ところが採集から12日めの夜。
ふとテレビを消したら、
てぃり・・
あれ、今の何?携帯?
ガス警報器?
てぃりり・・
あ、鳴いた。

てぃりりりりー。
あの声だー。
やっと。
やっぱり綺麗だなあ。

そーっと見てみると、残像が見えるほどの高速で
しきりに立てた羽根をすり合わせている、
体長1.5センチのけなげな姿。
途切れることなく長ーく鳴く。これが特徴。

それからはほぼ毎日てぃりりりり。
と楽しませてくれている。

楽しませてくれていた、のだが、
さすがに2週間も聴き続けていれば、趣にも賞味期限が見え始め、、、
草はらで聴いた時には他のさまざまな鳴き声と相まって、
一本の糸なんて例えても見たけれど、
家の中での独唱は改めて聴くと結構な大音量なのだ。

うとうと寝入りばなに、調子よくぴりりりりとはじまると
はっきりいっていい?
ちょっとうるさい。
そろそろリリース時かな。
気が付けば何のことは無い、うちの庭でも鳴いている。

ちなみにカンタンの名前は古代中国の都市、
邯鄲に由来する。
邯鄲の夢。という逸話が有名だ。
人の一生なんて一炊の間の夢のごとし、というまあ
人生のはかなさをしみじみ含んだお話。

うちのカンタンは、梨がお気に入りらしい。
3日ほどして梨が乾いてくるとよく鳴く。

餌〜!交換しろって言ってぃりりりりりりr〜んだろうがー!

はかない、かなあ・・・。
むしろこいつ強い自己主張の固まりに思えてきたなあ、

そんな秋、この頃。








posted by 前川秀樹 at 20:17| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

廃屋妄想。

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2014 chichibu


 廃屋とか廃墟という言葉がすっかり有名になってしまって、
なんだかスポットの地図やら、リストのようなものまで
ご丁寧にネットに散見出来てしまう時代になった。
興ざめも甚だしい。
優良物件との突然の出会いも、
こっそりひっそり眺めて浸り、そのことを秘する楽しみも
一気に半減してしまった。
こういうのは、誰かと共有して喜ぶ類の愉悦だとは思わない。

にもかかわらずどのサイトも、
堂々とつまびらかにデータを添付して、自らの冒険譚をひけらかす。
その一種の悪びれないほがらかさ≠ェ残念で仕方がない。
それが時代、なのだろう。

僕が学生の時には、やはりそういうのもの好きな輩が身の回りにいて、
情報はまことしやかにひっそり伝えられたものだ。
「あんまり誰にも云っちゃだめだよ」
禁じられた遊び的な、ほの暗くひそやかな楽しみは、
他人の土地に侵入するというイリーガルな罪の意識
がしっかりあったからこそだった。

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人の姿や生活がそこからすっぽりと抜け落ちても、
その強烈な残り香や息吹の残滓はそう簡単に消えることがない。
時に洗いだされた生々しさは実にエロティックだ。
その残滓たちは、後の侵入者に対して無関心だ。
それらはただ、そこに残され漂っているだけで、
目的も意思も方向性も持たない。
無論攻撃性などない。
だから、侵入者は鑑賞者の立場を保つことができる。
鑑賞者は時としてそのありさまを美しいと思う。

映画なんかだと、多分、
遊び半分で探検する仲間の一人がメッセージを受け取ってしまうのがお決まりだ。

「ここに立ち入ったものを、呪う」

残されたサインは必ずそう解釈される。
美しいと思う、だけでは物語は始まらない。

もっとも、実際にはそんな事件は何も起こらない。
そのかわり
その過ぎてしまった時間を感じることで、想像力が発揮される瞬間には、
代え難いぞくぞくするような愉悦が潜んでいることも確かだ。


優良物件にはばったりと偶然出会い、
出来れば一人でひっそりと
堪能するのがいい。
そんなことはそうそう無いけど。


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おまけ。
写真の廃屋の傍で、実は事件はこっそり起こっている。
右上の3人。
真ん中の人、なんか変だよ。一体どうした。
のんきに手振ってる場合か?
気づけよ両側の二人。








posted by 前川秀樹 at 18:56| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

流れているのは河か水か。


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河が流れている。
否、
河は流れずただそこにある。
流れているのは水だ。

この道は何処に行くのだろう。
否。
道は何処へも行かない。
道の上をただ人が行くのだ。

日暮れの橋の上で
いい感じに、ひねくれてみる。

明日は梅雨明け直後の酷暑の茨城へと帰る。
名残惜しいが、十分楽しんだ、と
思うことにしよう。

そう言えば札幌では、札幌国際芸術祭?
なるものが開催されているようだ。
坂本龍一がなんとかディレクターを務めたことで話題だったが、
急きょ、休養のため参加できなくなったというあれだ。

知ってはいたが、
札幌まで行こうとは思わなかった。

山とか虫とか、こうやって河を見ている方が、
なんだか僕は元気になれるからだ。
僕は刺激をこういうものから得たいと思う。
言葉からではなく、世界に触れて世界を知りたいと思う。

 加工も選別もされる前のそれは、
噛み砕くのにも骨が折れ、消化にもやたらと時間がかかり、
時には消化不良を起こす。
栄養になっているのか、なっていないのかすらも
よくわからない。
しかし、それは、少なくとも
世界に直に触れた、という実感を残す。
それが感動の種だ。

感動は常に激しく訪れるものとは限らない。
それはむしろ、地味で、ひそやかで、そして鋭い。
しかし、僕らは、そんな、
分かたれる前のものとの出会いに
気が付かなければならない。
飲み込んだ、分からないものは、
やがて醸され、
物語を生みだし、
自分の心を動かすのだ。
それが感動だ。

そういうものしか、
ほんとうに
人には伝わらない。

と僕は思う。



さて、暑さで効率は悪いが、
負けずに頑張ってまた作ろう。





posted by 前川秀樹 at 01:34| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月29日

本当の盛夏を知らなかった。


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 これまで、採集を目的とした北海道遠征は、
6月と、9月 10月
印象として、さほど昆虫の層が厚いとは思えなかったし、
種類も個体数も、まあ現実にはこんなものか、
と納得しかけていた、
しかし、短い北の大地の夏がいかに爆発的に華やかなものなのかを
今回初めて思い知った。
7月の北海道はにぎやかだった。

例えば、ちょっと林道を歩いてみただけで、
ミズナラの幹はこんな具合。

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なにこれ?
昼間っからこんななの!?これが普通?
ここでは、平地でも、本州では山地性のミヤマクワガタが基本らしい。
ノコギリクワガタや、コクワガタ、スジクワガタ。
居るにはいるが、少数だ。
珍しいアカアシクワガタが多数みられるもの嬉しい。

とはいえ、実は僕はクワガタ、カブトムシはどちらかというと守備範疇外だ。
それらしい木があると、癖のように探してはみるし、
賑やかに樹液にたかるさまを見るのも楽しい。
手で感触を確かめたくて、捕まえても見る。
だからと言って、自分用に採集して持ち帰ることはほとんどない。

子供の頃のあのドキドキを思いだす。そういう対象である。

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バナナトラップというのも本で知って初めて実験してみた。
昼間、高温の車内でバナナを発酵させ、夕方に木肌に塗りつけておく。
強烈な発酵臭に樹液性の昆虫がおびき寄せられる。
というもの。

しかし、僕は夜には不覚にも寝入っててしまい、
見まわりをさぼり、朝になって行ってみたら、
あら、まあ それなりにちゃんと・・・。
効果はあるんだなあ。


そうだ、明日会うミウラさんちの一久にお土産にしよう。
もし一緒に行ってなにも取れなかったら、保険にすればいいしな。

とおもって、適当に摘んで行ったら、こんな量に、

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結局、幸いにもその保険は使われなかったのだけど、
少しだけ、また別にお土産にして、あとは逃がしてしまおう。



さて、
その、一久との虫取りである。
夜はライトをやるからいいとして、昼間はなにを採ろうかな。
何を喜ぶだろか?と思案した結果、
とりあえず定番のオオセンチコガネにした。

早朝、宿からほど近い、程よい林道に車を走らせ、
何か所かに、ごろんごろんした固まり状の馬糞と牛糞を仕掛けておいた。

お昼に待ち合わせて、見に行ってみると。


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やや!固まりがなんだか平らに慣らされている。
たった4時間ほどしかたってないのに。
恐るべき分解能力。
見ればおなじみの、緑色のキラキラが、人影に気づいて散らばってゆく。
糞を軽くどけると、いるわいるわ!
なんともすごい数である。
これまで僕が見た中では、一番の量だ。


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ほら、早く捕まえないと逃げちゃうよ。
ピンセットじゃなくて、手でいいよ。
洗えば平気だから。


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いっぱい採れたねえ。

クワガタにはかなりびびり気味の一久も、オオセンチのきらきらをみて、
きれいだねえ。嬉しい。
となんどもつぶやく。

なあ、そうだよなあ!きれいだよなあ!宝石みたいに。
この共感がおじさんも素直に一番嬉しい。



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フキも大きい。大人に無理やり着させられて、複雑な表情の幼稚園児(笑)
コロポックルだ、かわいいよ。



 二人と別れて再び一人でニセコ方面へ。
ニセコは基本、高原地帯なので、山地性の花が満開だった。
オオハナウドもその一つ。
白いレースのように美しい。



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オオハナウドの花は、ハナカミキリの仲間やハナムグリ達の好物。
これは、、はじめてみるハナカミキリ。何だろう?

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おお、アオアシナガハナムグリ。これもはじめてみた。
居るところには居るんだ。

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これは普通種、アオハナムグリかな、鮮やかな緑色に見入ってしまう。

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このノリウツギにもいっぱい来てるなあ。
アカハナカミキリにマルガタハナカミキリ。

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これはノコギリカミキリ。


採集旅行は日が経つにつれて、採集標本がたまってくる。
夏の車内の高温ではあっというまに虫は死んで、あっという間に腐り始める。
そうなると、せっかくの採集個体が綺麗な標本にはならず
無駄になる。
昆虫は、高温には弱いが低温には驚くほど強い。
冷蔵庫に入れても、休眠状態になるだけで死ぬことはあまり無いので、
新鮮さは保たれる。
だから、いかにして保冷をしつつ運ぶか、というのが、
夏の採集の大きなポイントになる。

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死んでしまったらば、仕方がないので、そのまま、腐らせず、
なるべく乾燥していただく。
ホテルの部屋の窓際で、まさか客がこんな作業に没頭しているとは
フロントも思うまい。


それにしても、7月の北海道。
興奮するに十分な要素が目白押しだった。
目標の狙いを変えれば、また別の層を覗くことができるに違いない。
それほど、何もかも一遍に動き出す、という感じだ。
これが、北の夏なのだ。

さて、残すは8月となったが、
きっとまた、違う舞台装置が待っていることだろう。
さて、それはいつになるのか。









posted by 前川秀樹 at 23:56| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

移動だけにとどまらない日。

今日は移動日のようなそんな日。
移動が多いと何となくその時間が無駄にも思えるけど、
車窓からはそれなりに発見もあって楽しい。
この道は何処に抜けてるんだろか?
と、ハンドルを切り、分け入って確かめるてみるのもいい。
林道は道路地図にはなかなか載ってないからね。
そうやって、助手席の道路地図には、どんどん新しい道や、
発見が書き込まれてゆく。

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後方羊蹄山は今日も雲。てっぺんまで綺麗に見える日と
半々くらいだったかなあ。

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もう、ここは通ると必ず立ち寄る。
喜茂別にあるチーズ工房タカラ
昨年、初めて立ち寄った。
見晴らしの良い街道沿いに牛が見え始めたとおもったら、
とつぜん現れたこのアイキャッチのユルさ。
自家製チーズ販売、とか控えめに脇に書いてある。
こりゃ、なんか面白いに違いない、とふらりと寄って、
美味しそうなチーズを何種類か買ってみた。

これが大当たり。
そうそう、こういう熟成の進んだ臭いチーズってなかなか日本で食べられない。
どれもすごく味に工夫があって、食べる時期によっても味がどんどん変わる。
今回はこれ。

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ドライトマトとかオイルとかいろいろ混ざったクリームチーズ。
その名もタカラとソガイ。
それと、カチョカバッロの燻製。
深い奥行きのある味わいだ。

ちなみにソガイとはトマトを作っているのがソガイさんだからだそうな。
ネーミングもなんだかユルい。
パンフをもらったら、おおざっぱな地図が出ていて、だいたいこの辺。と矢印がしてある。
とにかく徹底してユルい。
でも味は、なかなかどうしてユルくない。
このギャップが狙ってなのか偶然なのか、はたして。

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いい小屋もちらほら。
前後の車のスピードが速く、なかなか止めて撮影できないのが歯がゆい。

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おお、良くできた恐竜だなとおもったら、
道の駅なのか。

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ちょうどお昼時、でもあまり時間をかけたくはない、
なんか運転しながら食べられるもの、、、。
決めた。ゆがいたトウモロコシとサクランボにしよう。
シンプルだけど、どちらも朝摘みの新鮮なお昼、考えたら結構贅沢かもしれない。



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ちなみにこちらは、また別の日、同じ道の駅での昼飯。
漂う香りにつられ、あれもこれもと屋台をはしごしてしまった。
手前のは、野菜、キノコ盛りだくさんの汁もの、200円。
その名も大滝汁。地名なのかな。
売り子をしていたオヤジに、


「キノコ汁一杯ください」

と200円出したら、

「いや〜。お客さん、勘違いしちゃってるかなあ。これキノコ汁じゃないんだよねえ」

うわ、なんだか面倒臭いおやじ?
ああ、ほんとだ商品名大滝汁って書いてあるな。
でもなんか言い方にイラっときて

「どっちだっていいよ。いい匂いだから、これがたべたいんだよ。」

とぶぜんと大鍋を指さしたら、
むこうもぶすっと無言になって、なみなみと注いでくれた。
ここぞと自慢したかったのに遮られ、さらにいい匂いと褒められて、
客に下げられて上げられて、
ちょっと酔いそうだったのかもしれない。

味はすごくおいしかったよ。オヤジ。
だから黙って注いでくれればいいんだよ。





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標高の高い峠を越える。
空気がひやりとしてきた。

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これは、たぶんあれだ、元スキー場なんだ、きっと。
雪深い場所の建物の倒壊は、容赦がない。
すこしでも柱の重心がずれたり、屋根が痛んだりするのを、
長い冬の雪は見逃してはくれない。
みしみしみしと、上からものすごい圧力をかけて、
押しつぶす。
夏に見るとそれが、
姿の見えない巨人が今も乗っかっているかのような奇妙な様子に映る。
夏はそんな巨人があっちにもこっちにも居る。






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おお、薪積み職人の美意識が冴える。

が、こういうのは気をつけなければいけない。
そう、おもしろくてもこれはアートではない。
何でもかんでも、まるで現代アートだね、と例えてしまう風潮に、
昔からぼくは、ちょっと警戒している。
おそらく、そういう例えをするとき、その人は、
じゃあ、アートとアートっぽいモノとは本当はどこが違うの?
そんな問いについては考えない。
そもそもそれが違うものだ、とは思いもしない。
 こういう、ちょっとした風景のひずみを見出して、
なんでもかんでも、アートのフィルターをかけてみてしまうのは、
現代アート症候群とでも呼ぶべき、現代疾病なのじゃなかろうか、とも僕は思う。
そして自分もまた病んでいるのか否か、
常に自己診断する必要がある。

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目的地に着くまでにうろうろ寄り道をしすぎて、
日が暮れて来てしまった。
採集旅行のはずなのに、今日の虫はゼロ。
代わりにいろいろと面白げな種を採集できた
だからよしとしよう。

お昼がモロコシだったから、
程よい空腹感を覚える。
夜は宿でがっつり食べようかな。





posted by 前川秀樹 at 20:58| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダイコククエスト

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ダイコクコガネという、立派な角を持つ甲虫がいる。
堂々とした体躯は漆黒で、まるで武将の兜のようであり
蒸気機関車のような力強さを感じさせる実に魅力的な姿の昆虫だ。

僕は子供の頃、地元の愛好家の方に標本を見せていただいた。
ぎゅっと詰まったエネルギーの塊のような造形に
衝撃を受けた。
が、40年近く前ですら、兵庫県ではもう見られないと
言われていた希少種だったので、それはもう過去に生息していた、
いないものなのだ、
と思い込んでいた。


大人になって、全国的には未だ生息している昆虫だということを知った。
この目で見てみたい。
と思った。
針に刺さったのではなくて、
手の中で動くそれを。

ダイコクコガネは牧場などの牛馬糞を餌とする。
情報を集めてみるとやはり全国的に激減している種で、
ここ酪農王国の北海道でも、
「絶滅の危機が増大している種」レッドデータの絶滅危惧U類に分類されている。

実際に場所を見に行ったのは昨年。
北海道某所の馬の牧場と牛の牧場だ。
案内してくれたのは、現地にお住まいの獣医、ミウラさん。
その時には広い牧場内の、糞を目指してそぞろ歩いたが、
結局まるで生息の痕跡を
見出すことは出来なかった。
やっぱりそう簡単にはいかないか、、、。

しかし、その後も続けてずうずうしくミウラさんに、
現地情報を集めていただいた。
そのなかから、ある程度有力な場所が浮かび上がって来た。

先日、2年越しのリベンジのために北海道に行って来た。
そのあたりに滞在予定は1日半。
糞を探すのは、ほどほどにして、
方法はライトトラップに絞ることにした。
日暮れの迫る中、ミウラさん運転の車で、
あそこでもない、ここでもない、と迷走の結果、
ようやく選んだ場所がここ。

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遠くに見えるのがどうやら放牧場のようだ。
手前にも牛の姿がさっきまでは見られた。
光も届く。来るとしたらここでしょう!

日暮れが待ち遠しい。
期待に満ちたいい時間だ。

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暮待ちの間に、夕飯食べましょう。
ミウラさんとご長男の一久君。
携帯食のインスタントだけど、ほら外で食べるとなんでもそれなりに美味しいでしょ。

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7:00pm 点灯。
周囲の光も少なく、風もなく、月も雲に隠れている。
これ以上ない好条件。
30分も経たないうちに来るわ来るわ。
乱舞である。

蛾の。

小さな糞の分解者、マグソコガネがゴマをばらまいたみたいに
白布の上を歩きまわっている。

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ああ、クワガタが来始めた。
ミヤマクワガタの雌。

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2時間ほどもすると雌クワガタだらけ。
しかし本命未だ飛来せず。

最初ははしゃいでいた一久もとうとう眠気でダウン。
まあ幼稚園児にしてはものすごく頑張った。えらいぞ。

うーん、やっぱりこの方法でも駄目かねえ・・。
いないのかなやっぱり。
大人チームにもそろそろ疲れが見え始めたころ。

お!?

おお!?

クワガタにしてはやけに太短いシルエットが。

ミウラさん!ミウラさん!来た!来ました!居ました。本当に。

ついに来ました。立派な角を持った雄個体、記念すべき第1号。




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写真は後日撮ったものだけど、
手の中でうごめく感触は忘れられない。
やはり、死骸とは別物の存在感。
独特の黒光りがヘッドライトを反射する。
手に取ってすぐには、擬死といって、手足を縮め
動かないが、しばらくすると、へらのような平たい手足で
僕の指の間をぐいぐい掘り広げ隠れようとする。
すごい力である。
こちらも負けじと指に力を入れる。
ああ、生きている。

いやあ、ほんとに居ましたね。

ここまで2年越しでしたね。

なんだか、40半ばのおっさん二人で
こんなことにうきうきドキドキできるなんて、そのことが面白い。
知っている人にはきっと、些細なことで、
興味のない人にはこんなくだらないことはないだろう。

しかし、このたぐいの感動はあくまで体験した個人にしか味わえない。

決して難しいタイプの謎ときクエストではないのだろう。
しかし、情報から予測を立て、想像をしながら徐々に正解に至る行為は
やはり年齢に関係なく、この上なく面白いものなのだ。
モノが手に入る喜びよりも過程が楽しい。

結局その夜はもうそれで満足をして、
消灯。閉店をした。
ミウラさん、お付き合いどうもありがとう。


が、それで終わらない。
翌日。
さらにもう一か所でライトトラップを試みた。
今度は僕一人だ。
こちらは昨晩の場所から車で1時間ほどの距離だが、
情報は皆無。
ただ、昨年、ここは居るんじゃないかなあ、と
目星をつけておいた場所だ。

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元牧草地らしいが、場所によっては草も深く、
今も乗馬トレイルなんかをやっていると見えて、馬糞はある。
が、道は無い。
広範囲に光を照らすことのできる
丘の上まで車で行くには、
馬の通ったあとを慎重かつ正確にたどるしかない。

四駆でもない軽自動車にはちょっと厳しかったが、
まあ、どうにか日没までに良い場所にたどり着けた。

hokkaido 2014 7 (110).JPG

さて、準備完了。今夜はここで一人ご飯。

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エゾシカの若い雌が、こちらを警戒している。
普段は彼らのホームグラウンドなのだろう。
迷惑そうだ。

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さて点灯ー。

昨夜に比べて、丘のてっぺんだったせいか、
風があって、ライトに飛来する虫たちはことごとく
オーバーラン。

にしても。
暗いな。

見通しのいい場所での闇、というのはこれまた独特のこわさがある。
シカの警戒啼きもフクロウの啼き声も、
遠いのか近いのか全く分からない。
手持ちのライトに、立木が照らされるわけもなく
光はただ闇に飲み込まれるだけだ。
ごく遠くにチラチラと見える、集落の灯りにちょっとホッとする。

そうこうするうち、
開始1時間半。
お!見覚えのある丸い背中。
やりました。雌が最初の個体。
その後も1時間に一頭ほどのペースで飛来、
結局その夜は3頭採集できた。



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場所の目星が当たるのもまた、嬉しい。

3頭目が来たのが10時半ころ。
さて、もう少し粘ってもいいけどどうしようかな。
と、懐中電灯を車の方に向けたとき、僅かに異変を感じた。

あれ?

眼鏡曇ってる?

違うか。違うな。

じゃあ、なんで?
と思いながら懐中電灯を麓の方に向けて、愕然とした。

帰り道見えないよ!真っ白。
地面ばっかり見てて、まるで気が付かなかった。

ガスである。
丘とはいえ山地のこと、あっという間に背後の山から
ガスが降りてきていることに全く気が付かなかった。

麓の方向は分かっている。この丘陵地帯への唯一の進入路だ。
でも深い草の方にうっかりハンドルを切って、
出られなくなる可能性は高い。
普通のオンボロ軽自動車なのだ。

うわー。
どうしよう。

落ちつけ落ち着け、自分。深呼吸。
それからの撤収の早かったこと。
ライトの熱が冷えるのもそこそこに
コンテナに詰め込み、とにかく車に全部積み込む。
忘れ物確認よし!ゴミよし。

車はあらかじめ帰る方向に向けてあったから、
エンジンをかけて、ライトをつける。
すぐ手前に馬の道が見える。

方向よし。そろりそろりと発進させる。
しかし、すでに推定視界10メートル未満。
地面むき出しの馬道もすぐに見失った。

車から降りて、懐中電灯で捜索。
で、また方向を決める。とりあえずこっちに10m進む。

多分こっち、大丈夫。
でもそれも思い込みなんじゃ・・・。
引き返して、ガスの晴れるのを待つか?
いやいや。
不安はどんどん募る。
明るい時とはまるで別の場所にいるようだ。

もし、ぬかるみやくぼみにはまって動けなくなったら、
JAF?

いやいや待て待て。

いい大人が、虫取りでこんな夜中に
JAFに助けられるのでは、恥ずかしすぎる。
仮に電話がつながったとしても、
まず居場所の説明は困難を極める。
そもそも自ら好んでそういう場所を選んだ。

「はい、JAFです。今どちらですか?」

「ええと、、今、なんか丘の上でー。住所は分からなくて、は?近くに見えるものですか?、、
ええと、あ、ガスです」

これでは痴ほう中年だ。
こんな電話を受けた人はどんな相手を思い浮かべるだろう。
いくらあこがれの獲物とはいえ、
この3頭とその恥では代価が釣り合わない。

何度か車を降りて、進んで、を繰り返すうち、
車のライトがようやく、見覚えのある
人の道をわずかに照らし出したときの安堵感と言ったら。

よかった。合ってた。
でもまだ膝は笑ってるけどな。

幸い、林道ではガスは嘘のように晴れており、
程なくして宿の明かりが見えた。

大黒クエスト、とんだオチがついた。

その夜の宿の温泉は沁みた。









posted by 前川秀樹 at 19:20| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月14日

お山の参拝と木

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 天の岩戸にひきこもってしまった、アマテラス。
しかし、その外で開かれた賑やかな神々たちの宴の途切れぬ笑い声に、
ちょっとだけ外の世界が気になった。
岩の戸にそっと手をかける。
しかしまだ外の様子はわからない。
ぐっと手に力を入れると、ごごご、と低い音を立てて
戸が動く。
歌声と笑い声はその薄い隙間からなだれ込んでくる。

私が失意の果てに閉じこもっておるというのに、
この楽しげな様子はどうしたことか。

しかしその様子はまだ見えない。
さらにぐっと力を込める。
ひんやりとした夜気とともに、なだれ込む、
アメノウズメノミコトのエネルギッシュでコミカルな舞姿。
やんやの喝さい。
カケコー!一斉に鳴き出す長啼きどりたち。

その時。薄く開いた岩の隙間から、岩戸の中へとにゅっと
差し込まれたものがある。
ごつごつとした木の根のようなものは手であった。
みしみし!
その指はみるみる岩の戸をしめつけ
両の腕に岩を締め砕かんんばかりの、力がみなぎったかとおもうと、
一瞬驚いて後ろに飛び退ったアマテラスの眼の前で、
岩の戸は軽々と持ち上げられた。

たくましい腕の主が、その時
どりゃー!っといったのか、そいやー!叫んだのかは定かでないが、
アメノタジカラオの怪力によって、岩はそのままひゅーんと
どこかへと投げ飛ばされてしまった。

アマテラスの復活は再び地上に明るい光をもたらしたのであった。

それが天の岩戸伝説のクライマックスのくだりである。

それで、投げ飛ばされた岩の戸がその後、何処に落下したのかというと、
戸は中空を飛び、日本のだいたい真ん中あたりにどすんと落ちた。
今の長野県の北にある、戸隠山がそれであるという。

なんともスケールの大きな話だ。
神様でかい!

上の写真の社屋のバックにそびえるのがその戸隠山だ。
のこぎりの刃のように荒々しい岩のむき出しの山肌。

さすがにそれに登ろうとは思わなかったが、
長野県 戸隠、そのなんとも神秘的な神話の山には一度行ってみたかった。
御山の入口的な宝光社から、最も高い位置にある
奥社、九頭龍社まで合計5社から成るのが戸隠神社だ。

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これまで歩いた数多くの参道のなかでも、
間違いなくトップ3に入るだろう。
すばらしい気の流れるまっすぐな奥社への道。
清い、は 気良い と同義であろう。
緩やかにずっと登って行く歩きやすく清められた道。
道の両側は、ブナやミズナラ、トチなど
古木のそびえたつ原生林。山自体が鎮守の森だ。
山門を過ぎると広葉樹の風景はがらりと変わる。
現れる巨大な杉並木。


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400年前に植林されたものだそう。
参拝者がとても小人に見える。

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天の岩戸伝説よりもずっと古くから祀られていたのが、九頭龍大神という土地神らしい。
龍神系の山なのだ。
現在に至るまで、水清く信仰の要として人々に踏みしめられた土地というのは
やはりそれなりにちゃんと理由がある。
人出が多く観光地化されてしまって、まったくだめだ。という声もあるだろうが、
そこを歩く人々に漠然とでも信仰心というものがないかといえば
そんなことは無いと思う。
老若男女、それぞれ汗をかいて、お山に登り、拝殿で手を合わせ、
こうべを垂れる。
思惑や身なりはそれぞれ違えど、
やはり目的は参拝≠ネのだ。
それを僕は、信仰の堕落とは思わない。
信仰の根本は強制ではなく自制だ。
こうした清い場所を歩きながらゴミを平気で捨てたり、
森の苔を踏み荒らし若木をへし折って持ち帰ろうとする人も
まずいないだろう。
教えられることではない。
そうした無言の自制が
日本人の心根に流れているのであれば、
スタイルや思いはそれぞれでいいんじゃないかな、
と思う。

ただ誠に残念ながら、
日常のなかでも、メディアから流れてくるニュースの中にも
そんな清いことに触れる機会は少ないのだけれども。

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こちらは最初の宝光社の石段。登りがいがあった。

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こういう石の小さな祠の並ぶ様にはぎゅっと掴まれる何かがあるなあ。

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あ、クジャクチョウだ。

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戸隠といえば蕎麦でしょう。下調べしてなくて、適当に入ったけど
そこそこ美味しかった。


その日は、戸隠から南下し、信濃大町の近くで切られた木を
戴きにとある場所に伺った。
実はそっちが主目的。
白樺とヤマザクラのいいのがあったので、お言葉に甘えて
車に積み込む。

秋の木偶講座にはこの白樺を持っていこうかな。










posted by 前川秀樹 at 20:31| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月01日

思い立って。

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個展が終わってしばらく経つのに、
何かとばたばたといろいろなことがあって、
なかなか制作のペースが取り戻せない。
ちょっと分かりやすいリセットが必要だ。
それに梅雨のじめじめとか、もろもろからちょっと遠ざかりたくなった。
時間もとれそうだし、
よし、明日出かける?
明後日からなら。
そうしよう。
今からチケット取れるかな。
とにかく安くお得に、が目標だからね。
それで、いつもの北の方面へ。

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残念ながら抜けるような青空は臨むことはできず、
後方羊蹄山もずっと雲の中。

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装備はちゃんと持ってきてるし、
こっちなら、どうにか歩けるかな、
とニセコ最高峰、アンヌプリに登ることにする。
ところが、こちらもガス。
気温14℃。寒い

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頂上もこの通り、残念ながらな〜んも見えない。
ま、こんなものかな。

すっきり澄んだ高地の空気も悪くはなかったのだが、
眺めがなあ。

それなら、と翌朝は、ブーランジェリー・ジンの美味しいパンと
タカラでチーズを買って、海の方まで移動。

海に近い森を歩く。
ここ白老には初めて来た。

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うん、やっぱり森はいいぞ。
こちらは今が新緑。
しっとりと水気を含んだ空気にむせそうになるほどだ。

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アイヌの博物館の湖沿いの食堂でお昼。

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伝統的なアイヌの汁ものの定食だって。
素朴だけど結構おいしい。

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ヒグマのはなこ″に餌をあげてみたり。
雌なのに大きいなあ、雄はもっとすさまじい大きさだった。
檻の中ではまあかわいらしいけど、
林道でこんなのに出会いたくはないなあ。
試しに博物館の迫力のあるハクセイと向き合い、中腰で構えてみる。
むりむり!
10mあっても、一瞬で詰められそう。

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土産には新鮮な白アスパラも沢山買えたし、
そうだ、今夜は焼き魚が食べたいな。
美味しいものと温泉。
思いつきにしては、程よい気分転換にはなった。
計画的なのもいいけど、思い立って、
という気軽さも捨てがたい。
さて、制作モード準備完了。
心機一転
また励みましょう。







posted by 前川秀樹 at 19:50| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

瑠璃色探し、お初でやんす。

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初夏とはいえ、未だ残雪のちらほら目立つ、ブナの森を歩く。

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山頂の山肌にはまだまだ雪模様

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ブナの巨木。
でも実は今回の目的はこれ、

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コルリクワガタという。
その名の通り小さい。体長約1,5pほど。
クワガタ特有の大きな顎も控えめで、
およそクワガタらしくないクワガタである。
これでも雄である。
小さいがしかし、色は美しい。
生息場所によって色はさまざまらしいが、
このあたりのものは、紺色のメタリックだそうだ。
実際には写真よりももう少し明るい紺色だ。

標高の高いブナ帯で、しかも芽吹き時のわずかな期間にだけしか姿を現さない。
出会うことがなかなか難しい類の甲虫である。

長年、ぼんやり夢見てきたが、
なかなかタイミングが合わず、断念し続けてきた。
そんな、素人がちょっと出かけたくらいで、
見つけられる虫じゃないんでしょ。
と、高根の花となかばあきらめてもいた。

が、今年はタイミングも良かった。時間がとれる。
よし、見つけに行こう。ダメ元でいいよ。
とはいえ土地勘はない。
よし、
こんな時にはいつものサンペイ君に電話。
芽吹きのブナの森に行きたい。
これこれこういう生態の珍しいクワガタを見に行きたいんだ。
どこが良いだろう?
とリクエスト。

彼は山岳のベテランではあるが、昆虫はまったくの専門外。

それでも、丁寧に下調べをしてくれたらしく、
地図から、
このあたりどうでしょう、とあたりをつけてくれたのが、
福島県某所。標高1400メートル。
北側の斜面なので、日当たりも悪いはずだから、
この時期でも育ちすぎてない、
ちょうどいい具合の新芽があるかもしれません。


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緩やかに上る気持ちの良い道。
林道の両側は森は開けていて、
日当たりも思いのほか良好だ。
見上げればこれ以上は望めないほどの空。
ああ、個展がおわったんだなあ。
と今更ながらの解放感とともに、
ブナの若芽をつぶさに見ながら、ひたすら歩く。
約一時間ほど歩いただろうか。
さすがにちょっと疲れてきた。
コルリクワガタ気配ゼロ。

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うーん、やっぱり居ないんじゃないのかなあ?
若芽も図鑑で見るよりもちょっと成長が進んでいるみたいだし。
時期が遅かったかなあ、、、。
あるいは生息場所がずれてるか、、、。

ポイント変えてみる?

と引き返しかけたその時。

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居たー!

第1号発見は
サンペイ君。

え、うそ!うわ!すごい。ほんとだ!教科書通り。
新芽にもぐりこんで食事真っ最中。
こんなにちっちゃいのか!
でも、ブルーだね。雄だ。うわー!

大騒ぎ。

こんな小さなものでも、読みがどんぴしゃりと当たった時の痛快感は大きい。
図鑑の中だけでしか知らなかった生き物が
本当に生息していて、目の前にうごめいている。
そこには感動が少なからずある。

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興奮冷めやらぬまま、よくよくあたりを見てみると、
あちらにもこちらにもくっついている。

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ここにも。

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こっちはペア。

気温も上がってきたせいか、こういう盛り場のような場所には、
次々とあとから飛来する個体もあるようだ。
飛んでいると、きらきらと青く反射するのですぐにそれとわかる。
なるほど、これは綺麗だ。綺麗なだけじゃなく、なにより品がある。

いやー。どん底気味だったテンションが急激に沸騰しましたね。
いや、まったくだ。これだけ騒いでると熊も寄らないよ。

それからさらに少し登って、引き返すことにした。
今日はもう十分。
それにしても楽しかった。



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これはまた別の林道。標高もだいぶ下がったせいか、
ブナは無いが、桂の大木がいくつもあるこれまたいい森だった。

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はい、コーヒータイム。
今日はちゃんとドリップ式野点セットで。
いつもながら準備周到なサンペイ君。
それ背負って歩いてくれてたんだね。
今回は翠嵐に染まりながら。いや、ほんとに贅沢です。
5割増しくらいで美味しいね。

そしてその後はお決まりの、温泉&蕎麦。

それにしても、今回の森、
コルリクワガタにとどまらず、ほかの種類のあれやこれやもやたらと多い。
とにかく生き物の濃度が高い。
これが大規模なブナ帯を形成する山の
生物多様性というやつなのだろう。
歩くだけで、
自分もまた、
内側からむくむくと生命の気が満ちてくるのがわかる。
こういう森はずっとこのままあってほしい。

ああ、また次もがんばって制作しよう。

遠かったけど行ってよかった。
また来年来られたらいいなあ。

























posted by 前川秀樹 at 21:33| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月30日

個展終了

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像刻展 portrait of a witch
おかげさまで無事終了いたしました。

遠方より来ていただいた方々、何度も足を運んでくださった方々。
皆様、本当にありがとうございました。

図版「portrait of a witch」のご購入もまた、ありがとうございます。

図版に関しましては、今後も引き続き、DEE’S HALLでの販売を予定しております。
また、店舗卸、個人購入等についての詳細は
DEE’S もしくは、前川の当ブログまで御問い合わせくださいませ。
在庫が無くなり次第販売終了となります、増刷はいたしません。

DEE'S HALLでの次回の個展はまた一年半後、2015年12月となります。
広島、ギャラリーたむらでの像刻展は 本年末、2014年 12月です。

またこつこつ制作の日々が始まります。
またよろしくお願いいたします。
posted by 前川秀樹 at 08:06| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月15日

図版出来!

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ポートレイト・オブ・ウィッチ の図版、とうとう納品されました!
展覧会の図版ですので、最初の写真集vomerに比べて、
軽量で片手でみられる フルカラーのコンパクトサイズです。

うーん、展覧会はこれからなのに、
ページをめくっていると、
レアな希少古本をこっそり見つけたときみたい。

写真集ヴォメル、物語集ズフラ、カード写真集カルトコリエに引き続き
アートディレクションはミスターユニバース
信陽堂は制作協力という形で今回は参加してくれています。

内容は出品作品がほぼ全部収録されています。

価格は、税込み2900円です。

自分であえていいますが、良い出来ですよ(笑)

まずは展覧会場で是非手にとってご覧ください。




posted by 前川秀樹 at 12:14| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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