2016年08月22日

通過中

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台風9号が丁度、今まさに真上を通過しているらしい。

台風の目の向こうに青空が見えて、風が向こうとこっちで逆に吹いている!
みたいなのを期待していたけど、
家の窓から見上げている限り
なんかそういう空の異変はぜんぜんなかったな。


にしても猛烈な雨風だ。
時折風の塊がずどんと2階の壁にぶつかって窓がきしむ。
地震かと思ってその度身構えてしまう。
防災無線は、市内に停電が発生している様子を伝えてくる。
川の様子は見に行かないように、とも言っている。
見に行っちゃう人が実際居るんだろうな。 
足を運んでもつい見に行きたくなるのが異変。
様変わりした一時の風景。
人ってどうして危ないことをしたがるのか。
いや、好奇心のせいで危険を具体的に知らないことを忘れてしまうんだな。
うん、禁止されればされるほど見に行ってみたくなってきたなあ。

・・・・・まあ行かないけど。

低反発素材製の彫刻家だから。

でもこの閉じ込められている感はもやっといやなものだ。
とっとと行っちゃってくれよ9号。



posted by 前川秀樹 at 17:04| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月10日

瑠璃色と旧交

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 今から、10年以上前だったか、
大学で同期だったヨシカワ君(僕は下の名前でタミちゃんと呼ぶが)
は、カミキリ採集を始めた。
あこがれのカミキリムシは鮮やかなセルリアンブルーに大きな黒の水玉、ルリボシカミキリだった。
当時、彼の携帯電話のアドレスもruriboshiだった。

時が経って、3年ほど前、僕の個展に来てくれた時に聞いてみた。

「その後ルリボシは見つかったの?」

「いや、実は一度も見てないんだ、結局学生の頃、白馬で君と見たやつが唯一で最後だね」

なんと!だとしたらそれはゆうに30年も前の記憶の残像ということになる。
僕と彼は学生の頃、白馬の山荘で夏中バイトをした。
その時に確か薪置き場で僕がそれを見つけたのだった。
個展会場で会話をした時点では、
すでにカミキリ熱はすっかり冷めていたタミちゃんであったけれども、
ルリボシだけはよほど心残りだったと見えて、
僕が、
「いや、行くとこ行けば今も居るって、夏に捕まえに行く?」
と言ったら、二つ返事で「行く」となった。

けれども彼は今やかなり成功した部類の画家であり、とにかく多忙なのだ。
僕とも夏の予定が合わず、なかなかその約束は実現しなかった。
お互いアラフィフとなった今、昔のように気楽に遊べるはずもない。
まあ、そんなものか、と僕は半ば諦めかけていたのだけれども、

それが先日、ひょんなことから叶ったのだった。

すっかりおっさん同士になってしまった二人の日帰り冒険である。
とは言え彼にしてみればやっと取った休み。
ガイド役の僕としてはなんとか口先だけでなく、
結果を残したいとプレッシャーがかかる。
色々と考慮した結果、行き先は栃木方面に決めた。

いるかなあ、いるはずなんだけどなあ。
特別地区や特別保護地区の多い栃木の山間部。
それを避けながらの有力ポイント設定はそれなりに手間がかかる。
もっとも時期的にも全く問題ないし、盤石のコースラインナップのはず。

しかし、

居ない。
早朝から廻った最初のいくつかのポイントでは気配すらない。
山で伐採された広葉樹が積み上げられた場所を土場と呼ぶが、
そういうところにカミキリムシは産卵にやって来る。
産卵にやって来るカミキリムシの活動が最も盛んになるのは夕方だが、
午前中はじっとその上に止まったままの姿が見られる、
はず。
なのに、
ターゲットのルリボシカミキリどころか、
他にも見られるはずの幾種類ものカミキリムシの姿も全く無い。
なんというかあっちもこっちも、からっからに乾燥している印象なのである。

雨、降ってないんだなあ。
ダムを覗き見れば見事に底の泥は深くひびわれたあり様。
首都圏が取水制限もされるわけだ。

昆虫の気配の無さはこの乾燥と無関係ではあるまい。
おまけに、どの林道もどの沢もなぜか大規模に補修作業がなされている。
ああ、そうか、そうだった。大規模豪雨。
昨年9月、あの常総市の鬼怒川堤防を決壊させた豪雨が集中したのは、
上流のこのあたりなのだった。
道理で荒れ方がひどい。

生き物の生息環境に少なからず影響があったとしても不思議ではないのだ。
結局、午前中廻った何処にもその姿は見つけられなかった。

「どうも、今日は見つけられる気がしないよ」
「うん、そんな感じがして来たよ。また来年チャレンジかね・・」

「まあこれが現実ってやつかね」
「そうだね、上手くいかない方が当たり前なんだよね」

すっかりダウナーな二人の中年。
半ばあきらめムードで沢沿いの蕎麦屋でもりそばをたぐる。

あと一か所が大本命ポイントで、もしそこで見つけられなかったらもう今年は無理ってことで
反省会ね。
ああ、大見え切ったのにどうにもばつが悪いなあ、すまんタミちゃん。
と心でつぶやきつつ、ラストポイントへ。

でも、無理だなあ、と落ち込んだところにピンポイントヒットするのが、
ドラマのお約束。
その落差があってこその感動。
現実も捨てたものじゃない。

居ました!
あっちにもこっちにも。


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やー、居たね。実に30年ぶりの再会だ。

セルリアンブルーよりはやや淡く、ブルーグレーよりはずっと鮮やかな瑠璃色。
空の色、水の色。
青ははかなくて遠い。そしてせつない。
緑色の昆虫はいるが、青い色の昆虫はなぜか非常に珍しい。
やっぱりこのカミキリムシは特別な昆虫に思えるよ。


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採れた?  うん、動かないから楽勝。

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「やっぱりね、失敗の後の成功体験って必要だよね」

とタミちゃん。
よかった。ミッションコンプリート。僕の肩の荷が下りた。


さて、あとは温泉につかって明るいうちに帰ろうよ。


 ああ、昔、良くこうやって一緒に遊んだっけね。
風呂の無いアパートも一番近かったしね。
思いだす。
車中色々な“今”の話をした。
ゆっくりのこんな時間は本当に珍しくて懐かしい。
でも互いに昔通りのことなんて一つもない。
彼だって、今やすっかりお父さんだ。
学生じゃなくなって、もう四半世紀の時が過ぎてるんだもの。
それでいいと思う。その方が楽しい。

 久しぶりに会っても過去の話にばかり花を咲かせる旧友に僕は冷めてしまう。
昔話にばかりどうやって笑っていいのか、なかなか思いだせないのだ。
だから同窓会というものが僕は元来苦手だ。
過ぎ去って、もうどこにも無いものを今さら温め直して何になるというのだろうか。

“今”と“これから”の話ができる相手とだけ温める価値のあるのが
本当の“旧交”というものだと僕は思う。
いたずらに古きを温めても、新しきを知る意欲が無いならば、片落ちだ。
賢者は和して同ぜず、愚者は集えども和成らず。
ともいう。
離れていても時間がたっても、
“今”というピントを瞬時に合わせられるのが
僕には理想的関係で、自分自身の望む、寄りかからない立ち方に思える。
賢者にははるか及ばなくとも、そうありたい。



ルリボシカミキリの遠い青を目に焼き付けつつ、
46℃の高温の湯に二人同時に身体を沈ませて、思わず声が漏れる

「あ”〜〜〜〜〜熱い!」

それでいい。











posted by 前川秀樹 at 22:40| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その4

最後は東北旅徒然。
思ったよりも写真を撮ってなかったなあ、
でもどこも色彩の美しさには本当に改めて新鮮な印象を持った。


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冬は北西から、夏は南東から、季節風が常に吹き付ける竜飛岬。
今日は南からの湿った風が山に当たって雲になって、
ずっと霞んでいる。
風下に当たる日本海側はだから穏やかなままだった。


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おお、カメノコテントウ。
久しぶりに見た。やっぱり大きい。


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そういえば、6月の北海道もこのフランスギクが満開だったなあ。


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こう言うところから石が生まれてくるんだねえ。
でもこういう水気の多い所って・・・・・


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ほらな、こういう危ないのがじっと獲物を狙ってたりするから要注意だ。
マムシも久しぶりに見た。
けんのんけんのん。


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白神からの帰り道、JAショップを見つけたので立ち寄ったら、
あったあった、ご当地アイス。種類がものすごかった。
迷いに迷って、この2本。
でも、二人でどちらか一本でよかったかな。
すっかり身体冷えてるの忘れてた。



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陸奥の果ては茨城からでもやっぱり遠い。
茨城空港 青森空港間の飛行機便が就航してくれればいいのに。
車だと茨城の家から青森まで約9時間。
旅程のうち前後二日間はほぼ移動だけになってしまう。
若いころは平気だったけど、二人で交替で運転しても
けっこう疲れるようになってきてしまった。
というより飽きる。
とはいえ、うちのスタイルとして、
融通がきいて、好きなところで立ち止まることができる、
自分の車が一番適していることも否めない。
陸奥、魅力的なスポット濃縮満載なことを知ってしまったから、
ぜひまた長距離ドライブで行ってみたいと思うけれども
悩ましいところだ。

おくの細道を思い出す。
松尾芭蕉はまあ、東北、北陸なので、ルートがぜんぜん違うけれども
記録によれば、3月16日江戸深川を出発して、
ぐるりと東北北陸を廻り、美濃つまり今の岐阜県の大垣に到着、再出発
したのが9月6日、約150日の旅である。
ほとんど徒歩で。
恥ずかしながら、それが早いのか遅いのかすら僕にはわからない。

歩かないと見えないことも多い。
とくに現代人の僕らはそうだ。
高速道路で早送りなんて、無粋で
たぶんいろいろもったいないことをたくさんしているに違いない。

しかし振り返ってみれば日常がすでにそうだ。
ただ過ぎる、そういうシーンは記憶にも残らず
何事もなかったことのようにするりと過ぎてしまう。

人生には大中小の結節が必要だ。
だから時々は早送りボタンを通常の再生モードにしたりスローモードにしたり
一時停止にしたり、調節できる機能が今の僕たちにも
ちゃんと備わっていることを思い出して確認しないといけない。

その時間の不均質な流れの隙間に、感動とか驚異とか美がふいに立ち現われたりする。
そういうものが最初の動機に存在しないようなものつくりはするべきでない、
とあらためて思う。
いや、そうありたい、かな。
芸術家にとって旅は休暇や休息ではないのだ。



posted by 前川秀樹 at 12:24| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その3

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うちの旅行では必ず立ち寄る場所が、土地土地の信仰の場。
日本でも外国でも。
理由はいろいろあるけど、そこで長いこと大切にされているものをそっと見てみたい、
という好奇心が一つ。
二つ目に、信仰の造形というのは、僕みたいな生業の人間には、
なんだかいろいろ基本のような気がするから。
博物館にあるのも立派だけども、現役の信仰の形を環境込みで触れられるのは
まあ、非常に興味深い。


最初の写真は、津軽の名峰 岩木山を望む岩木山神社。弘前や五所川原から近い。
雨でなかったら未だ残雪を纏う津軽富士、岩木山が本殿のはるか向こうに臨めるはず。
今日は残念。


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狛犬も立派だ、りりしい。
片方に角があって、片方は無い。
これは諸説あるけれども、あるのが狛犬で、ないのが獅子。
という理解が一般的。決まりはないそうだけれど。
獅子は大陸由来で、狛犬はそこから我が国で改良を加えられたオリジナルの発想、
と僕は大まかに理解している。
造形とは何事も先行するテキストの模倣と工夫の繰り返しなのだ。




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長い参道が終わって石段を上がれば楼門なんだけど、
ん!? 石段の登りきった両脇の石柱の陰に何かいるよ。




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おやあ!?




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んま〜〜〜〜〜!
なんとめんごい!!


そして左側で対になるのが

この子。


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さらにめんごさ増し増し!!!!!
逆立ちしてる〜〜〜〜〜


なんだかもう造形が自由過ぎて狛犬なんだか何なんだかわからない。
こんな神獣がいたら迷わず連れて帰りたいよ。
何食うのかなあ、雌雄はあるのかなあ。



石柱と一体で彫りぬかれているから、
あとから誰かが寄進した、というのとも違うのかもしれない。
石段ごと寄進なんてあんまり聞いたことないもんなあ。
造営時かはたまた改修時に計画的に
造られた狛犬に違いない。
やるなあ、センスあるなあ。岩木山神社。


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本殿へ。



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本殿脇にある狛犬がこれ。

これもなんだか笑っている。
本殿の彫刻もすごく立派だったけど、
今回は狛犬つながりでこのまま行こう。





津軽からずっと南下して、
宮城県塩釜にある塩釜神社の強烈なインパクトの狛犬がこちら。



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オルメカー!


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アステカー!!


ついでにこれも。


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ティオティワカーン!

これは岩木山神社の手水口。



すごいぞ東北!一体中南米の古代文明とどのようなご関係で!?
濃いなあ。





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はい、ここでちょっと休憩ー。
これも塩釜神社。



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これはやはり宮城県多賀城市のとある神社のもの。
なぜか石ころ一杯。
そう、石はいいよ、石はね。
でも気をつけないと取り憑かれるからね。

甲斐の国の方に丸石神という不思議は石信仰があるけど、
こっちにも似たものがある気がするなあ。
どうなんだろう。


そして最後に同じ多賀城市にあるちょっと変わった小さな祠。


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そのまま鳥居をくぐると、普通の農家の庭に入ってしまう。
ありゃりゃ?と玄関の前を通り過ぎると庭の奥に社がある。


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アラハバキ神社という。
アラハバキの解釈にはこれまた諸説あって、
ハバキは脛巾、という足に巻く旅装であるから、足を中心とした腰から下の神様であるとか、
蝦夷の一つであるアラハバキ族の信仰した神であるとか、
蛇神など、解釈の裾野は広い。
少なくとも、古事記や日本書紀に登場するようなメジャーな神様ではない。
いずれ土着の古い神には違いない。


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だから子孫繁栄的なそれであったり、


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鉄のわらじや義足だったり、


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ちなみにこちらはアラハバキ神の社の隣にある養蚕神社。
ハサミが奉納されているのは。
お蚕様⇒紡績⇒裁ちばさみ⇒病の根を切る。
ということらしい。
裁ちばさみから病、の間に発想の飛躍があって面白い。

自由連想ゲームだ。
こういうのがこの国の戒律的でない信仰の
おおらかな性格を良くあらわしている気がするなあ。


お隣の岩手、遠野地方を舞台にした遠野物語を読んでると、
すさまじいものも多い。
いわゆる姥捨て山、でんでら野の跡地にも鳥居と祠が建っていたけれども
山の中ではない、里の田んぼのほんのはずれである。昔は違ったのかな。
なんにせよ、生きてゆくだけでも厳しい土地柄に違いないはずだっただろうに、
信仰の形にはどこかおおらかさがただよう。
現実とお話の絶妙なオーバーラップと、
逆に絶対に相容れない残酷なギャップみたいなものの同居が
懐の深い東北地方の物語の源泉みたいな気がする。


遠野物語と宮沢賢治だけでも岩手は十分楽しめそうだ。

東北は狛犬の名品 珍品もとにかく多い。
有名な遮光器土偶も津軽で発見された。
縄文の遺物も数多い。
独特の造形感覚と物語感覚が、この陸奥(みちのく)の広大な土地を貫いているのがわかる。
今回は、岩手も通り過ぎただけだったし、
そっち系を追いかけるには全然時間が足りなかった。
欲張るのも限度がある。

「信仰の形と物語」とか。

今度そういうテーマで陸奥の国を旅をしたいなあ。
広いな東北。













posted by 前川秀樹 at 21:33| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月24日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その2


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 昨今の出来すぎたCG画像の視覚的愉悦には、一種の中毒症状がある。
SFやファンタジー系の映像は、ほんの少し前までは想像で補うことで完成していた夢のような光景を、
まるでそれがどこかにある現実であるかのように、脳の外に投影することに見事に成功している。
観客はもうあれこれ考える必要もないし、持ち前の想像力を発揮して、
至らない部分を補完する必要もない。
それは大変なことだが、ここでは触れない。

しかしそこには確かに、知らず身をゆだね、脳をとろかしてしまうような
誰かが仕掛けた視覚的愉悦というドラッグが存在する。

 

 僕は、海岸という場所を、そういう体験をする原型の場であると勝手に思っている。
もっともこちらは交じりっ気なし未調整天然ものなので、
作用する人とそうでない人を大きく振り分けてしまうに違いないけれど。
とりたててこちらが考えたり、積極的に理解に努めようとするのでなく、
ゆだねることが一番の作法だという事を、
子供のころから僕はよく知っている。

波や強い風や足音、どれも繰り返しでありながら、同じではない。
スクリーンは足もとに広がっている。
次々現れる驚異の場面が何処までも延々と続く。
一晩でまたその場面は変わる。
それは世界が終わるまで続く。

この北の波打際がそんなヴィジュアルドラッグの事を強く思い出させる。
どこまでもどこまでも続くフィルム。
そのフィルムには同じコマはひとコマもない。
そして、実際にその場所に立って思った。
どうやらここのは強烈に効く。



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で、ようやく“石”である。
“石ころ”である。
大切な役者である。
ここのはとにかく、たたずまいが、いや石ころにそれはないか、
転がりずまい?が絵になるのだ。
一つ一つもこれまた、主役級の実力者ぞろい。
こんなフィルムは絶対に実現不可能だろう。
という現実の場所がまさにここにあるのだ。

石ころをつい拾って帰ってしまう子供だった過去、を述懐する人は意外と多い。と思う。
子供は何故それに手を伸ばすのか?
それもここではふれない。

今日はとりあえずそういう難しいことを考えたくないのだ。
ただ脳の高揚感をそのまま丁寧にどっぷり味わいたいだけ。それだけなんだ僕は。

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丁度岩手で仕事のあった、さすらいのひよこ鑑別師、サンペイ君と合流。
明日まで3人の旅程とあいなった。
さあ、一緒に脳をとろかすのだ。
君もまたそんなりっぱな変態の一人だと僕は認識している。
その証拠に、今日のこの場に臨んで、彼は自前の籠と潮干狩り用の熊手を購入してきていた。
波打際を果敢に攻めるためだ。



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 やれやれ一服。興奮しすぎて疲れてはないけど。
サンペイくんが熱い珈琲を野点してくれた。
腰を下ろすとなぜか必ずカモメが物珍しそうに寄って来る。
道中、農協で買った林檎を食べて、その芯を投げてやると、
すぐさま咥えてはペッと吐き出す。彼らはそのあと必ず、ミャア、と一度鳴く。
3度やって3度ともミャアと鳴いた。
「なんだよ!」とか、
「ケッ!」とか、いずれそんなミャアなんだろう。


さて、みなさん、成果は?

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おお、五色 錦 なんでもありの色彩である。

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だからこんなこともやってみたくなる。

ここからは家でちょっと磨いたりして撮影した写真。何石とか構成鉱物とかそういうのもまあここでは
触れない。

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さて、十分堪能した。
日が暮れる前に宿に向かおう。

しかし僕はここでだんだん異変に気が付き始めた。
困った。車の窓から見える風景がなんだか変だ。
特に視界の端っこの方。
何時間も、下だけを向いて、色と模様と形と、その取り合わせの妙と、
そういうものだけに集中して見続けると、
ナチュラルドラッグを摂取し続けると、
果たしてどういう事が起こるか。

北海道がかすむ灰色の水平線にも、
重い雲に押しつぶされそうな薄紅色の夕焼けの帯にも
岬に張り付き波打つ深緑の柏の森にも
大岩のダイナミックな褶曲にも 
標識にとまるホトトギスの胸の絣模様にも。
鉄柵に浮き出た錆びにも、
露天温泉の給湯口に厚くこびりつくカルシウムの層にも、
布団で目を閉じても走馬灯のように(笑)
すべてに、

石相を見てしまうようになるのだ。
目に見える全部、これ“石”なのだ。

ああ。。。僕の目、こうなっちゃうのかー。
石に取憑かれるってこういう事なんだねえ・・・、
としみじみ自覚。

でも、遠大な風景も豆粒のような石ころも、マクロもミクロも本来的には違いはないのか。
とも思う。
人の身体のサイズとか、日常の価値を基準にそれとこれとは別物ですよと決めているだけで、
人の存在とは関係なく、
本来石は小さな風景だし、山は大きな石ころの表面なのか。
海は濡れた石ころの滑らかな表面なんだな。
人類学者レヴィ・ストロースのいう“野性の目”
それは案外こういう単純なものなのかもしれない。
面白い発見だこれは。

そんなふうにちょっと言葉を組み立てて見て、
溶けた脳の体裁を整えようとしてみたり。


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夕飯のとき、スズキのお造りをつつきながら、向いのサンペイくんに、

「目を閉じてても開けててもさあ・・」

「あー、キますよね」

「なあ、クるよなあ」


トロの切り口が赤い碧玉の縞模様に化けてしまう
今日は、そんな石のお化けの話。
















posted by 前川秀樹 at 12:43| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その1

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 広島展の終わった翌日、車で一路東北へ。
山とか海とか、とにかく町から離れたくて。
今日は森の日。
秋田県から青森県まで広がる白神山地が世界遺産に登録されたのは1993年のこと。
人の手が入っていない現生の形で残るブナ林が有名だ。

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青森県の弘前からほど近く、車で手軽にアクセスできるここ白神の森は、
白神山地の北のはじっこに位置する。
丁度東北地方の梅雨入りと重なって、この日は雨。
雨の山はこれまで歩いたことないなあ。ちょっと気が進まないかも。
最初は、カッパ着てまで山歩く?
と思っていたけど、実際に歩き始めて見ると、
いやいや、前言撤回。
雨、いいじゃないか!
むしろ最高じゃないか!

誰も歩いてないし。望むところだ。


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ブナ、ミズナラ、カエデ、ホウ、オオカメノキ、ナナカマド。
これがこの島国の本来の懐の深い混成林の姿だという。
初めて歩く雨の森がこんなに静かで優しげなものだとは思いもしなかった。
新緑に染め抜かれた翠霧が、身体の内側まで染み入って来るようで、
細胞レベルで浄化されていく気がする。
僕はこういうところにくると、訳もなく叫びたくなったり
瑣末な問題とか、いろいろどうでも良くなって、
服を全部脱いでしまいたくなる。
それは多分、普段忘れている野性のような気がする。
まあ、実際にはやらないけど。
人の手がほとんど入っていないとはいえ、
今歩いているのはちゃんとした遊歩道だし、
今日はたまたま人気がないだけで、
本当にどうでもよくなったりしたら大問題である。
最近のクマ出没に勝るような話題の提供者にだけはなりたくない。


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途中、聴診器が置かれていて、説明通りそっと樹肌にあてがってみる。
遠くに絶え間なく流れる川があるみたいだ。風の音ではない、葉っぱの擦れる音でもない。
波の音でもない。
なるほど、これがこの時期のブナの旺盛な生命力の証というわけだ。
この一本の中に重力に逆らって小さな川が流れている。
すごいな。


途中、尾根道で一人で木道整備をされている方に出会った。


「今日は静かでいいですね」
「ああ、こういう日は熊も知っていて、ひょこっと樹の蔭から顔出したりすんだ」
「え!?やっぱり熊、生息域なんですね」
「ここのはおとなしいよ。向こうも用心してっから。
この峰で15頭ばっか確認されてるけど可愛いよ」


白髪のおじさんののーんびりした東北訛りが翠の霧になんだかやけになじむ。
つかのまの緊迫感がすっかり薄らぐ。
そんなだったらちょっと見てみたいなあ。
あの倒木の陰とか、あっちの大きなうろのあるミズナラの向こうとか、
通り過ぎてくれたら出来過ぎの絵になりそうだ。


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それからずっと霧に映る獣のシルエットを注意しながら探して歩いたけど、
残念ながら何も現れなかった。


ヒョーホホホホ。

レインフォレストのどこかでキョロロ(アカショウビン)の鳴き声が、降りそそぐ。
身体も冷えたし温泉、楽しみだ。








posted by 前川秀樹 at 21:23| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

息災ですか?ポムじいさん。

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天気のいい今日は、仕事は休み。
朝からちょっと県内某所の山を歩く。
この山には、古い廃鉱山があり、
山の斜面のあちらこちらには未だ廃鉱道がぽっかりと真っ暗な口を開けている。
目指すはそこ。
僕はここにくるのは3度目。
千恵と二度訪れて、今回連れだされたお伴はいつものタキシタタツシ。

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林道を歩く。


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まだまだ歩く。



「結構しんどいですね。」

「そう?そんなにきつい感じでもないだろう?」

「いや、実は今朝出発前に10キロランニングしてきたんですよ」


ええ!なにやってんの!?馬鹿じゃねえの!?
足の筋肉がぱんぱんになるとちょっと嬉しいって・・
運動マニアってちょっと感覚が違うなあ・・・。

程なくしてたどり着く石ころだらけの斜面。
ズリである。

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ズリとは要するに、採掘された岩石から価値のあるものだけを取り除いて、
その大量の残りかすを捨てた場所。つまり鉱山ゴミ捨て場である。
この鉱山では タングステンや錫、黄銅鉱なんかを採掘していたらしい。

さて、物色開始。


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腹ばいになって石をより分ける。



ゴミとはいえ、その中には結構面白いものが混ざっていて、
それを見つけ出すのは宝探しのドキドキ感があって楽しい。

途中、お昼休憩をはさんで、少しずつ場所を移動しながら、
結局この場所で約4時間。
そろそろ集中力が切れて来たよ。
どれ、収穫のお披露目をしようかね。
お互いのエースを出し合って勝負だ。

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「どう?」

「今日はこれですかね」

お、結構綺麗なの見つけたねえ。
僕はこの辺かな。



ここの水晶は透明感もあまりなくて、綺麗なものは少ない。
おまけに完全な六角柱の姿では出にくくて、欠片ばかり。
だから価値や魅力に乏しい、と、石好きの間での評判は芳しくないようだが、
それでも、ビギナーの僕なんかにしてみれば、
土の中でシャープな面にキラッと光が反射した瞬間はどきっとして結構嬉しい。

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これは孔雀石。黄銅鉱の酸化鉱物。昔はこれを粉にして日本画の絵の具にしたらしい。
地味な色彩の早春の山中で緑青色がなんともみずみずしい。



うん、満足満足。必要な分だけパッキングして、持って帰るかね。
家で石のクリーニングするのが楽しみだ。
汗もかいたし、温泉に寄って帰ろう。

で、これがクリーニング後。

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欠片とはいえ、それでも水晶は水晶。魅力的なものだ。
いつか透明なあのピシッとした水晶を見つけてみたい。
ほら、あの如何にも姿勢のいいやつ。計画立てて遠征しないと無理か。

 とはいえ、近場のこのあたりの山にも鉱脈はたくさん走っていて、
多分こまめにあちこち歩き回ればそのうちもっといろいろ見つかることだろう。
トパーズやホタル石なんかも産出するらしい。
発見してみたいものだ。
これはつまりあれだ、山師ごっこなのだ。
山師といえば、ぱっと思い出す姿はあの人。
天空の城ラピュタのポムじいさん。
パズーとシータに地下で飛行石の燐光をかいま見せるあのシーン。
常田富士夫さんの声もまた良かったなあ。

ああいう、なんというか“探索する人”って、やっぱりついあこがれてしまう。
しかしとは言えだ、とてもじゃないが、
僕には今にも崩れそうな真っ暗な鉱道に侵入する度胸は無い。
あんな真っ暗な穴、覗いただけでぞっとする普通のチキンだ。
だからまあ、せいぜいポムじいさん気どりでハンマー片手に
尾根や谷や沢をたどる“ふりじいさん”だけどさ。









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2016年03月17日

慈雨と反省

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 隣町つくばでささやかに毎月開かれている 筑波ジオカフェ。
偶然にも二人の年上の友人から情報をいただいて、
なんだそりゃ?と調べてみたら、
要するに主に筑波山周辺のの地質なんかについて、専門家のレクチュアを受けませんか?
お堅いものではないですよ、お茶でも飲みながら。
という軟式めいたイベントらしい、主催は何処なんだろう、良くわからない。
昨夜のお題は、筑波山の麓のある地域の古い石碑やお地蔵さんなんかの石造物が
何処の石で造られていて、その推測可能な産地から、
当時の地方と地方の交流や石工の様子なんかを推し測ってみよう、
というもの。

平日の18:30〜という微妙な時間帯のようなので、
そんなマニアックなイベント、どのくらいの集客があるんだろうとおもって出かけてみたけれど、
始まれば意外や意外、用意された20席あまりの座席はほぼ満席。
参加年代は、これはまあ予想通り、定年を迎えたかに見える
ひと癖ふたくせありそうな年配紳士たちがほとんどだった。
僕ら二人はその中ではもっとも若造。

にしても、きちんと専門家から、何かを教わるという事が
なんだかものすごく新鮮に感じた。
知らないことを知る。知りたかったことを知るというのは、
春の慈雨のようにじわっと温かい熱がしみ込んでくるようで
幸せな気分の2時間だった。
単に少しばかり知識が増えた事よりも、
思いもよらなかった新しい視点に出会えたような気がするからかもしれない。

 思いおこせば、僕は学生の頃、美術館よりも博物館に足を向けることの方が多かった。
いろんな講座にもまめに顔を出していた。
もちろんフィールドに出かけることはもっと多かった。
美大生なんだからしっかり絵を学べよ!
お前がちゃんとしておかないから。
と今の自分からはきつい突っ込みを入れたくなる。

すっかり出不精になってしまった昨今、
しばらくこういう気分は忘れていたんだけれども、
うん、これはいいことだ。
自分もワークショップを続けているのだから、
たまには立場を逆転して生徒になって初めて分かることも存外に多い。

知りたいことや、理解が必要な事柄を何となく棚上げにすることに慣れてしまっていた。
自分の長年の知的怠慢をちょっと反省した。

 それも学生の頃、自然科学の不思議をたくさん抱えて持てあましていたことを思い出す。
今のように気軽に検索できるツールなんて普及していなかった時代の話だ。
美大から国立科学博物館の古生物研究室に進んだ風変わりなゼミのI先輩に
あれやこれやとその都度なんでも聞いていたら、

「お前の本当に知りたいことへのぴったりの答えは、俺は持ってないよ。多分何処にもズバリのことは書かれてない。 知識となんていうのは結局自分でさがして、それに近い小さな事柄を地道に組み立てたどり着くしかないのだ」

そんなかっこいいセリフでやんわりと愛ある距離を置かれたことがあった。
根気も根性もない僕は、え?何処にも載ってない?
じゃあ、ムズカシイ本とか無理して読んでも無理かあ・・・。
じゃあまあこのままぼんやりとした疑問のままでいいか。
などと、学徒にあるまじきふまじめな事を想ったものだ。
実に怠け者の僕らしい発想だけれども、いまさらながら全くなんてやつだ。と思う。
そんなふがいない後輩の反応にI先輩はきっとがっかりしたことだろう。
今になって、申し訳なかったなあとか、もったいない時間を過ごしたものだなあ、としみじみ思う。

時を経て深い理解や納得にたどり着くことは至福の感動だ。
だから、面倒くさがらずに日々ちゃんとちまちま栄養を摂取しよう。
いまさら、という事もあるまい。
出来る範囲で、あの先輩紳士たちの姿勢を見習うとしよう。
posted by 前川秀樹 at 13:29| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

アウトサイダー

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 沼津にあるベルナール・ビュッフェ美術館で12日に始まった、
ロベール・クートラスの大回顧展。
クートラスといえば日本ではタロットカード(フランス語ではカルト)のようなカード形の
作品が有名だけれど、
今回はグアッシュ、テラコッタ、制作ノートやデッサンなど
展示内容は多岐に及び、その作品量と質において、日本ならずとも
おそらく前代未聞の大回顧展といっていい。

彼の作品のすべてを現在管理なさっているのが、岸真理子モリアさん。
彼女はクートラス氏の最後の恋人である。
彼女が来日されて、
トークショウならびにレセプションパーティがあるとお知らせをいただいたので、
出かけて来た。
例によって青山で土器さんをピックアップしてのドライブ。

オープンしたての時間帯に到着したこともあり、展示はゆっくりと見ることができた。
もう、唸るしかない内容である。
なんというツボを心得た画家なんだろうか。
何のツボかというと、誤解を恐れず平たく言えば、
どれもこれも欲しくなる、物欲を的確に刺激するツボである。
身近に置きたい、できればずっと毎日のように眺めて暮らしたい、
カルトに巧みにちりばめられた染みのようなテクスチュア一つにこれほどの情報量を
どうやったら凝縮できるものなのか。
そう思わせるような魅力をこれでもかと、
作品たちは何にはばかることなく奔放に醸し出していた。

作品が観る人の物欲を刺激するからといって、
クートラス氏自身が生前、その売買に関して積極的だったのかといえば
それは全くの逆で、パリの小さなアパルトマンで制作に明け暮れた毎日は
ただただ造りため込むばかりの、困窮が常の暮らしだったらしい。
まあ、観客目線で言えばそういう生活ベースを想定したほうがしっくりくるような性質の作品群だ。
画廊との契約関係を断続的に仕方なく続けながら、
カルトが売れた日には逆に落ち込んでしまう、という
ある意味困窮が保障されたような(苦笑)画家だったときく。

真理子さんからその話を伺った時、それ、いつの時代の話?
と正直思わないでもなかった。
考えてみればそれはほんの25〜30年ばかり前の話だから、
日本ではバブル真っただ中の頃なのだ。

当時のフランス美術界画壇にも時流の表現にも、おそらく彼は一切興味がなかったのだろう。
生まれる時代を間違えたのでは、と僕は素朴に思ったし、
以前彼の友人が似たようなことを
彼に向って言ったというエピソードを思い出して改めて

真理子さんに聞いてみた。

「中世に生まれればよかったのに、そう彼の友人が言ったそうですが、彼自身も自身の中に中世的なモティーフや魂みたいなものを強く意識していたんでしょうか?」

「いいぇ、かれはそんなこと何も考えてなかったと思いますよ。何しろ石工の修行をするのに良く観たものといえば教会や修道院でしょうから」

との答え。

なるほど、さもありなん。
同時代の画家の絵なんて彼には多分興味の外だったのかもしれないし、
これだけがやりたかった。これだけを描きたかった。
ただそれだけで、
これ、というか教科書がたまたま、中世に造られた造形物だったという事なのだろう。

とはいえ、だ、クートラス氏の根っこの部分に共鳴しえたのがそういう古の品々であったというならば、
やはり呼応する相応の根底はもともと備わっていたのでは、と考えてしまうのだけれど、
もしも御本人にお会いできていたならば、
今一度、根底の横たわるそれ、についての本人の自意識を直接問うてみたかった。
今となっては叶わない願いの一つではある。

アウトサイダーなどというのは、いわゆる画壇を十分意識して、
それに対する位置づけなのだから、
彼にとってはそんなことすらどうでもよかったのかもしれない。
すごいことだ。
本当にいつの時代の何処の人だ、と僕は改めて思った。

今回同時に展示されているベルナール・ビュッフェの作品群。
ビュッフェとクートラス氏は同時代のパリで活躍したわけだが、
全く対極的な生き方の二人の画家の足跡が
より展示を際立たせている点は実に味わい深い。

 

 昨年5月にヨーロッパに出かけた時に、
僕は実は縁あって真理子さんの現在のお住まいに伺う事が出来た。
滞在中厚かましく2度も。パリの滞在中、他でもちょくちょくお会いして、
これは彼女の明るい人柄ゆえだろうが、
その度ごとの会話や対話があまりに楽しくて強く印象に残る話ばかりだった。

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丁度今回の展示の為の作品集の撮影が行われている合間の訪問だったこともあって、
パリ郊外のフォンテーヌブローの閑静なお住まいの中はクートラス氏の手仕事のあとが、所狭しと
かつ美しく溶け込んでいた。

僕が何より衝撃を受けたのは、
彼のカルトやグアッシュ以外の手仕事の闊達さとその自由度である。
段ボールに錆びた空き缶に粘土。ありとあらゆる“拾いもの”が彼の表現の糧となっていった。

僕たちの知るところの作家の代表的な絵画作品が、一つの樹の幹のようなものであるなら、
その知られざる枝葉のなんと豊かで自由な事か。
丁度一緒にお宅にお邪魔したミスター・ユニバースの関君と二人で、

「この枝葉の多様さがあってこそ樹はちゃんと美しくあるんだね・・・」

と何度も交互にため息をついたのを憶えている。
こうありたいものだね、と深い反省と納得を得た。

同時に、この作品達に必要最小限の社会性を持たせ、
生活の活路を見出すことに奔走されたであろう
真理子さんの御苦労と才能と何より情熱にこれまた深く首を垂れる思いだった。
やはり芸術家には理解者と協力者が絶対に必要不可欠なものだ、といったところだろうか。

今展覧会、期間が8月までと長く、また幾度かイベントも企画されているようなので、
7月の中村好文さんと皆川さんのトークショウにでももう一度伊豆まで出かけようかな、
と思った。
この先あまりない機会だろうから、
さらにゆっくりたっぷり、その魅力に溺れて窒息してしまいそうになるのと必死に抗い
溢れる物欲と格闘しながら作品と対面したいものだ。
いや、まあそんな複雑な形相の観客が自分の作品の前にいたら
クートラス氏にはたぶんドン引きされてしまうかもしれないけれども。







posted by 前川秀樹 at 14:52| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

3月ルビジノ

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どこもかしこも梅の花が満開ですよ。
梅は桜よりも花が長持ちですね。
明日はひなまつりだけど、桃の花は何処に行けば見られるのかなあ。
遠くの山がかすむほどの桃源郷の風景を見てみたいものだなあ。

さて、水温む3月。ルビジノのオープンは次の通りです。


5日(土)6日(日)7日(月)8日(火)

です。

お待ちしています。
posted by 前川秀樹 at 18:37| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月13日

フェティシズム+α

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 砕ける波頭、頬を突き刺す寒風。
そんな色合いだけど、実はそうでもない。
低気圧の影響で海は荒れているけれど、
風は南から吹いてくる。

午前中仕事をして、きりが良かったので、午後からちょっと近場の海まで。
漂着物やら石ころやらを物色しながら、ただ歩く。

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幾分寒さ緩んだとはいえやはり平日で真冬の海、
釣り客以外、人なんていないだろうと思っていたのに、
それなりに若い人たちがちらほら。
中にはアニメの袋を手にカメラをぶら下げた大学生らしき子たちも。
そう言えばここはとあるアニメの聖地にほど近い海岸。

誰がやったのかは分からないけど、
これだけ無尽蔵に石が転がっているんだから、つい積んでしまいたくなる気持は分からんでもない。
まあただ来てもやることないよね。

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茨城から千葉あたりの海岸は、砂浜か岩礁のどちらかがほとんどなんだけど、
こういう石浜もまれにはあって、
だんだんと岩石や鉱物の種類がわかって来ると、
手にして、ハンマーで割ってみて、見て歩くには楽しい。

歩くこと2時間足らず。タイムアップ。
そろそろ暗くなって判別が難しくなって来たよ。
本屋にでも立ち寄って帰りましょう。

成果はこんな具合。


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赤いのはチャート(堆積岩)と、碧玉。ここは碧玉が主流みたい。
碧玉とはいわゆるレッドジャスパー。 
赤いのに碧という名前なのは、緑のもあるから。ちなみに緑のものは出雲で青石として、
勾玉なんかが今も作られている。

透明っぽいのが瑪瑙。見かけは全くの別物なのに、
組成はジャスパーと全く同じ二酸化ケイ素 sio2。鉱物の生成の違いもあるけど
鉄が交じるととりあえずなんでも赤くなる。

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ちなみにこっちは千恵採集。
僕と違っていろいろほしいわけでなく、瑪瑙とか桂化木とか珍しいもの限定にロックオン。

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瑪瑙は堅いので、丸くなるのに多分時間がかかる。
丸いのが見たいんだけどなあ。


こんな無機物を見て愛でてうっとり耽溺出来てしまうのは、
一種のフェティシズムと言える。
フェチ、マニア、オタク、コレクター。
混同されがちだけれど、モノに対するアプローチや動機において
これらは明快に異なる。重複することもあるから、名前は多分、
個人の性質を指すものではなく、
モノとどう関わりを持つか、という関わり方を指す分類といってさしつかえない。
いうまでもなくどれにも該当しない方々にとっては、
まったくどうでもいい分類だ。

で、僕の場合はたいてい、
行為そのものにとことん深入りすることはなくて、
うっとりしつつ、こんな美しいもので何か作れないかなあ、となる。
フェチとアートの重複である。
ただアートというとぼんやり範囲が広すぎるので
丁度言い得た言葉をずっと僕は探している。
自分なりの理想の関わり方を言葉に表すのは難しい。

さて、ともあれ木と違って石はなかなか頑なですよ。
関係を築くにはまだまだ難関多しです。









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2016年02月07日

軟式美術部始動。

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 村の青年団の集まりのワンシーン。
ではなくて、ルビジノでの、軟式美術部、略して軟美。第0.1回です。
試運転ですがとにかく手探りで始めてみました。
初回に集まってくれたのは4人。
初回は座学で、テーマは「感動について」
愛と感動の何某。感動のびっくりプライス。夢と感動をお届けします。
巷にあふれる「感動」という言葉。

さて、感動とは一体何でしょう?
人はなぜ感動したがるのか?
どういう時に感動という状態にひとはなるのか?
感動をもたらす脳のメカニズムとは?

そんなことを雑談を交えて(大いなる脱線を許容しながら)ちょっと勉強してみました。
僕はそのかじ取り役です。
昨日は2時から5時までの3時間。
少人数だったこともあり、ちゃんと全員が程よく参加できました。
僕も楽しかった。

とりあえずこのまま手探りで続けてみる予定でいます。
軟美の内容の詳細、狙い、目的なんかは良い頃あいにまたお知らせいたします。
そんな不確かな情報不足なのにずうずうしく次回第0・2回の告知もします。

次回は5月3日(火)憲法記念日です。

テーマや内容についてはまた追って。


posted by 前川秀樹 at 20:02| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

雪山

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 お馴染み三瓶くんに誘われて、今日は那須の雪山をめざす。

すいこまれそうな群青色の空をみあげて、
一面にきらきらひかる石英の結晶のような地面を、
ひたすら歩く。
ぎゅっくぎゅっく。

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西洋カンジキ、スノーシューはスキー場でレンタル。
これがないと新雪にはどうしようもない。


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ブナやミズナラの樹林帯を抜けて行く。ほかにはダケカンバなんかが目立つ。
クマザサが所々見えるから、夏は藪漕ぎしないと来られなさそうだ。
歩けたとしても、
細い遊歩道なのかな。
そういうルートを全部無視して、
足跡の付いてない好きなところを歩けるのが雪山の魅力。

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今日は尾根伝いのいい眺めだけを堪能しつつ登りましょう、との
三瓶君の言葉通り、眺望は終始極上。風も微風。
降った雪がキラキラと再び風に舞う。




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上の方はガスがかかっている。流れが早い。
晴れないかなあ・・。

案の定、あるところから上まで来ると、
様子が変わる。
吹き下ろす差すような向かい風。
気温マイナス10℃、でも体感温度はもっと・・・。
冷たいー。鼻水凍りそう。
あと、ガスの影響で視界が。

ガスで視界が限られたかわりに現れたのは、
興味深い雪の造形物の世界。

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急な登りが終わるあたりから、面白い造形物は増え始め、
清水平の雪原に差し掛かるころには、すっかり
自分が鉱物の結晶の世界にスケールシフトをしているみたいな、
不思議なシーンに切り替わった。
光と遠景がカットされて、乳白色の淡い光に全部が浸る。
映画なら心理描写シーンか、記憶をたどる演出だな、
うーん、どうにもこれは奇妙だ。
これはいいね。

あれ?どっちから来たっけ?足跡は消えてゆく。
道は無い。雪原だけ。
ざわざわと、不安になる、不安定になる。
やっぱりちょっと怖いなこれは。

寒い!うん、
堪能した。降りよう。

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ちょっと下るとまたこの通り。

異世界とか非日常とかいう言葉があるけども、
対義としては現実とか日常とかになるか、
でもそんなのは地続きでどこかに線引きや境目があるわけじゃない。
意図的な場面転換をする演出家なんて何処にもいない。

当たり前だけどもそれは心の性質の話、
意図的にそう仕向けてそうできるなら心の技術ということになるかな。
自在に心理劇場を演出できると面白いものだろうなあ。

なんてことを思いつつ下山途中、


あ、何だこりゃ?



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宇宙人家族雪山を行く。



「お父さん、たまにはいいわね地球の雪も」
「うむ、ちょっと足を延ばして見るのもいいな。こんないいところまで10光年なんて案外近いな」
「お母さん、お昼にカレー食べたい」

はい、脳内劇場止まりません。
シャクナゲ星人寸劇でした。


三瓶君、
カレーもいいけど我々はラーメン&温泉で締めたいもんだな。








posted by 前川秀樹 at 09:48| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

横浜行ってきましたよ。

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 先週の金曜日。冷たい雨のなか、横浜に出かけた。
横浜美術館で始まった村上隆スーパーフラットコレクション展。

初日30日の前日、その開会式と、内覧会がありますよ、
という招待状をいただいたので、
土器さんと仲田智さんと3人でお呼ばれしてきたのだ。

開会式で逢坂館長の、今日午前中まで倉庫からここまで出品作品を運んでいました、
と、疲労をにじませながらの挨拶に、
これを準備してきた沢山の人達のご苦労、奮闘がしのばれる。
大変だったんだろうなあ。
 
ところでこれは、普段いったい日本のどこに保存されて居るの?
量も大きさも。素朴な疑問。
多分どこかの倉庫にはさらにこの何倍も・・・。
そこからセレクトされて、ここに凝縮している。
骨董から現代作家の作品から80年代のアニメフィギュアまで、
その価値の凸凹ちぐはぐが、村上さんの脳内で見事に並列化されている。
まさにスーパーフラット。
正直、これらが個人の所有物とはとても思えない。
まるで一つの都市規模が管理する共有財産のようだ。

 それで、このとてつもないコレクションの一部を、ほんの一部を担う感じで、
僕と仲田智さんの作品がささやかに出展されている。
写真は入り口で、名札と生コサージュをつけてもらって、
内心おどおどの不慣れな二人の図。撮影する土器さんは嬉しそう。

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てれてれ。

それにしても、連動して森美術館で開催中の話題の五百羅漢図展とあわせて、
改めて、村上さんの底の見えない大熱量に僕は慄然とした。
いや、村上さん、というよりも村上隆と呼ばれる人の型の器をした、
エネルギーの塊。と形容した方がより近い。
そう言えばこれらの制作準備もしながら、丁度1年前の2月にはギャラリーズ・アイも
やってたんだなあ。

一人で倒れるまで頑張るよりも
複数の人をまとめて同時に動かし続けていくことの方が莫大なエネルギーを要する。
才能っていうとちょっと話がずれてしまいそうだけど、
熱量というのはもう持って生まれた、
としか言えないもののような気がする。

自動車やバイクの排気量があらかじめ決まっているように。
50ccのスクーターの車体にハーレーの1801ccのエンジンは搭載できないし、
50ccのエンジンに、ハーレー並みの性能を期待しようともそれは絵空事だ。
少年バトル漫画じゃあるまいし。
 
とはいえ、大は小を兼ねるというのが
必ずしもものごとの真理というわけでもないように、
これはそれぞれのステージにはそれぞれの特性があるよ、という話だ。

ただ残念ながら、人にはメーカーの取扱説明書は添付されていない。
設定された基本スペックはあらかじめ知りようがないのだ。
これが厄介なところ。
自分のスペックを推し測り、
現実的に特性を最大限発揮しようとするならば、

自身への過大評価や過小評価のバランスを保ちつつ
自身のもつ思い込みや偏見に向き合い、
その時々のコンディションや、将来への延びしろを適正に認識、判断する。
それが出来るなら、
というのが前提だけれども(笑)
こりゃ難しい。

せーかいにひーとつだけのはーな〜♪
ひーとりひとーり違う種をーもつ♪

とか口ずさんでみてもこれはやっぱりそんな簡単な話ではないのだ。
多分ナンバーワンになるよりもずっと難しい。




そう言えば、
NHK日曜美術館で丁度スーパーフラット展をやっていたのを見逃してしまった。
来週、7日 20時からの再放送で観ようっと。


posted by 前川秀樹 at 18:16| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

フェイルションシュタット閉門

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 フェイルションシュタット、無事終了いたしました。
御蔭さまで沢山の方々に訪れていただきありがとうございました。

DEE'S HALLでの像刻展、いつの間にか今回で7回目を迎え、
年数にして10年を越えることができたのですが、
回を追うごとに僕自身、いろいろな意味で偽物だなあという思いが募ってきていました。
それが気楽さでもありまた一方で、大きな不安ともなって積もって来たのです。
積み上げて来た足もとの脆弱さを見過ごせなくなっていました。

とはいえ、それならどうやったら本物という実感が得られるわけ?
というのが最大の壁でした。

今回はその壁にに向き合ってみよう。2015年初め、そんな1年をスタートさせました。
それにはまず発想の転換が必要でした。
つまり、本物になろうとするのではなく、偽物であることを肯定してみよう。
と厚かましい開き直りから始めたわけです。

偽物のなにがいけない?偽物であることとはどういうことなのか?
そんなことを毎日のように考えながら、制作は進み、年の半ば5月に長い旅行に出ました。
南ドイツから始まり、パリ、ピレネー、バルセロナまで。
本物、とされている先人の名作を正面から見て、腹に落とし込みそれに挑んで、そして
大敗を喫しよう。
こてんぱんに負けに行くための旅です。
負けるという事実を得たかったのです。

先に進むためには、必ず上手に負ける必要があります。
博物館や教会や修道院の古い木の像を穴のあくほど観てスケッチして回りました。
結果、こりゃとてもかなわん。どうやったらこんなことが出来るの?
と、時を経てなお鬼気迫る
マイスター達の気迫に僕は予定通りぺしゃんこになりました。
しかし、そのままでは仕方がありません。
どうにかあそこまで、とまではいかなくともそれを目指して登坂を開始しないとなにも始まりません。

帰国後、取り組んだのは複製です。顔より唐草や髪の毛から彫り始めました。
正直、オリジナリティや自分らしさみたいなものは、
今回は少々どこかに置き去りにしてきたところもあります。
それまで自分の表現だと、かたくなに信じてささやかに積んできたものが、
どうしようもなく薄っぺらに思えたのですから、これは致し方ありません。
500年以上も前の親方に鼻であしらわれて、
このくらいできるようになってから出直してこい、
腕もなく素材も道具も知らずなにが表現だ、なにがアートだ!なにが現代的解釈だ。
と一喝された(気がした)のです。
まったく小僧っ子の気分です。

無知は知り理解するしかありません。出来ないものは練習するしかありません。
例えばこれまで二日で形にはなっていた分量の作業に7日間かけるようにしました。
技の底上げが足もとを幾分かは強固なものにしてくれるに違いない。
それは偽物の意地のようなものでした。
日本人的な職人の魂がうずいたのかもしれません。
ぺしゃんこになったとはいえ、出来ることを増やす、上手くなる、という
分かりやすい動機を得た制作はしかし一方でやりがいもあり、初心に帰ったようで
とても楽しいものでした。
ただ負けるのと上手に負ける事の違いはつまり、開き直ることができ、
なおかつそのどうしようもない微力感が
エネルギーに転換可能な種と成りうるか否か、ということかも知れません。


しかしこれは典型的な独りよがり的潜伏期間でもあります。
練習にいくら時間を費やしたところで結果が伴わなければ
意味がない。
作家は求道者でありさえすれば良い、とは僕は思いません。
他者の気持ちを意識を、望む場所まで引き連れて、引き込めなければなりません。
個展というのは観てくれる人、購入してくれる人がいて成り立つものです。
芸術の価値とは作品の出来不出来ではありませんし、上手下手で決まるものでもありません。
また作家の自己満足の度合いで成り立つようなものでも到底ありません。
芸術とは作家と他者が出会う、渚のように不安定で
あいまいな境界線で起こる現象の異称に過ぎません。
そういう意味では常に相手を自分の意識のなかで生き生きと住まわせ、
決して置き去りにしないことがことのほか大切です。
お互いが望む(であろう)場所、境界線の発見や設定が個展という期間限定のハレの場です。

振り返ってみれば今回はそんな望む場所、
待ち合わせ場所であるフェイルションシュタットの街。
そこでのランデブーが見事叶ったのかどうか・・・。

フェイルションシュタット「うそぶく街」12月15日開門。
僕の中では観に来て下さった方々は、
旅をする人、訪問者、一瞬通り過ぎる者、という設定でした。
僕は1年かけて街の住人たちと開門の準備をしてきました。
街を作る住人のように振る舞い、住人であると錯覚することで過ごしてきました。
僕は住人の擬態をしてきたのです。
そして開門から僅か1週間。街に沢山の人達がやってきました。
その間僕は住民でも訪問者でもどちらでもない中立の立場で街を見て回りました
毎日。そして、
冬至の22日にフェイルションシュタットという小さな町の城門は閉門しました。
その日、僕もまたその外側へ退去しなければなりません。
僕もまたあっけなくまれびとに戻ったわけです。
城壁の中ではかつてもこれからも、沢山の街の人々の人生が始まり終わりまた
続くのかもしれませんし、もしかしたら閉門と同時にそれこそ蜃気楼のように、
塀の向こうには今はもう何もないただの空っぽの土地だけが広がっているのかもしれません。
城門の外からはうかがい知れないのです。

きっとまだ変わらず彼らはそこに生きていて、街もそこにあるんだろう。あってほしい。
僕にもそうささやかに望むことだけしかできませんが、
望む、という事は大切な事かも知れません。
その望む、という心の働きをいくばくかの方々と共有出来たとしたら、
それは作家冥利に尽きるというものです。
が、まあそこもまた確かめられることではありません。
野暮というものですし。

 野暮と言えば、
問い詰め、決着を回避することの方が良いことも世の中には沢山あります。
例えば
本当と嘘、例えば本物と偽物。
思うにそれは、対立するものでなく、丁度一枚のカードのようなものです。
どちらかだけしか認めない、どちらかが物事の真理だ、と強く言ってしまっては
これはやはり残酷な結末しか想像できません。
カードは容易に裏がえりもすれば重なって層を成し断面をさらすこともあります。
嘘や作り物の存在を許容することで、カードの一面だけしかみられない不安から
人はいくらか解放される様な気がするんです。

ここで肝要となるのは、カードを前にした時、偽物はいつも明快にありありとその面に描かれていますが、
その裏側にはもしかしたらなにも描かれていないかもしれない、ということです。
勢い込んでめくってみれば白紙だった、などという事もあるかもしれません。
本物はあってもなくてもいいんです。
けれど、きっとこんなふうな絵柄なのだろうな、と想像することで、
偽物は生き生きと存在できるんです。偽物は必ず実態を伴います。
逆はありません。
もしかしたら、偽物の裏側に描かれているのは、理想とか希望といった観念なのかもしれません。
観念は実体を伴いませんから。

それがフィクションです。
偽物の存在理由でありカードの存在条件です。


フィクションの役割、偽物の役割。
その役割をたゆまず果たす。
偽物であり続けるために成さねばならない研鑽がある。
常にらしくあれ、であれらしかれ。
そう望めば街はこれからもそこに、うそぶき続けられる。


そんなところがまあ、今回のオチというか、
これからも作家とうそぶき続けるしかない僕の
今回の落とし所であり一里塚だったと、
そういうことなんです。

 街の閉門の宵に合わせて奏でられた mama!milkの官能的でどこかさびしげな音色に
僕は、街の人々の日常や人生みたいなものを重ね合わせて浸りました。

鍛冶屋の親方は先月旅立たれたよ。
仕立て屋の娘は間もなく嫁ぐんだそうだ。
教会の屋根の修理に今、人足を募っているよ。
今年の葡萄の出来が驚くほど良かったよ、こんなのは何十年ぶりだ。
市長の家の煙突のコウノトリ。やってくるのが今年は遅いねえ。

虚構の街、すべて作り物のはずなのに、
なんとも名残惜しい思いで僕は胸がいっぱいになってしまいました。
演奏は1時間、インターバルもMCも無しでしたが、
導入部分の滑り出し。
今回初お披露目の旋律だったこと、お気づきになった方いらっしゃいましたか?
フェイルションシュタット。
いくらかの写真と文章のやり取りから
生駒さんがイメージしてこしらえてくださいました。
展覧会会期中、頂いたデモテープ?の最初の鐘の音を聞いたとたん、狭い会場内は一瞬にして
街のお祭り前のさわさわとした、人々の期待に満ちたざわめきに満ち、
うそぶく街の石畳が城壁が、樫の木と石造りの頑丈な家並みがぱあっと広がりました。
音楽ってすごい!で、ちょっとずるい(笑)と思いました。
視覚から入る造形物の何倍ものスピードで心の襞の細かい隙間に滑り込むんですから。

曲自体はまだまだ未完成で、未だ4分の一くらい、と彼女が言っていたので、
きっと完成すればそれは魅力的な長い曲となるのでしょう。
虚構の街の風景を、人々の息遣いをそのままモティーフとして素晴らしい表現者に
そっくり託せた気分で、僕はその音色にこれまでにない深い感銘を受けました。
完成が楽しみでなりません。
少なくとも二人は、“望んで”くれたことになるわけですから。
こんな心強いことはありません。
僕の街づくりのスタートは1年前だったわけですが、
閉門から始まる街造りのフィクションはまたより深い意味があるとおもうんです。
音楽で。
完成の暁には何らかのコラボがまた実現すればいいなあ、と夢見つつ、
僕は僕で、滞在記でも書こうと思います。



次回 DEE’Sはまた1年半後。の予定です。

そして約半年後、夏の少し前あたり、
広島での個展が次の僕の締め切りです。
次はどんな嘘をつこうかな。

2015年残すところあと数日です。
つかの間、やり残したさまざまよしなしごとを片づけながら、新しい年を迎えたいと思います。
2016年は新しいことを何かスタートさせたいものです。


今回訪れてくださった沢山の皆さま、
どうもありがとうございました。感謝いたします。
またいつか、別の待ち合わせ場所でお会いしましょう。
皆さまそれまで息災で、ごきげんよう。


posted by 前川秀樹 at 20:04| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

日本海トレジャーハント。

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遅々として進まない制作に業を煮やし、
えーい、もう耐えられん!やってられるか!
と、一日だけ休みを取ることにした。

どうせ逃亡するなら(日帰りだけど)遠いところまで
と、上野から北陸新幹線に乗って新潟 糸魚川まで足を伸ばした。

目的は最近急激にはまりつつある石拾い。
改めて言葉にするとなんて地味なんだろう。
昆虫から鉱物へとシフトしつつある今日この頃。

 さて、浜の波打ち際に出てみるともう石石石。
こういうところを歩いてもこれまでは、
全部ひっくるめて漠然といろんな石でしかなかったものが、
連日の予習のかいがあって、なんかそれなりにわかる。
それぞれが、別々のものと判別できることに興奮を抑えきれない。
おお!蛇紋岩、花崗岩、チャート、流紋岩、方解石の結晶 、これは蛇紋岩に碧玉が混ざってる。
エトセトラ。
どれもたいして価値のあるものではないけど、知ればこんなに興味深い。
来てよかった。幸せ。

とはいえ、石で有名なこの浜を選んだからには一番のお目当ては別にある。それは、

翡翠。

僕の拙著ズフラの中で、「そにどりの話」というのがあって、
それは、若いころの主人公が山中に翡翠を探しに来て、奇妙な出来ごとに出会う話だった。
翡翠はカワセミ(そにどり)と同じ名を持つ僕のあこがれの鉱物のひとつなのだ。

今回は山には入れないけど、このあたりの浜には上流の川からまれに流れでてくるらしい。
有名な場所なのでずっと前から知ってはいたけど、なかなか機会がなかった。、
けれど今日はやっと、やっと念願かなっての翡翠探しの日だ。
期待は膨らむばかり。

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さてと・・・・・
えっと、どれ???がそれなのかな・・・?

めげずにさがすさがす。
しゃがんで立って、歩いてまたしゃがんで。
しばらくして目が慣れてくると、
予習してきた翡翠の写真の石に似たものが結構見つかる。
なんだこりゃ、いくつもあるにはあるが・・・
いったいどれが本物なのだ?
見てすぐにこれだ!と分かるものかとてっきり・・・。
これぞ!という決定打が出せない。
どれも違うように見えるしどれもそれのように見える。

流れ着く翡翠輝石という鉱物は、取り立てて特徴的ななりをしているわけでもなく
白が基本で薄い緑からグレーだそうだ。

それに似た紛らわしいものがまたここには実に多い。
途中、立ち寄った道の駅に展示されていた
「ヒスイと間違えやすい石」
なるものを見ただけでも約10種類。
それらのうちさらに紛らわしい2種類ほどを俗称「きつね石」と呼ぶ。
ああ、僕ら見事に化かされてます NOW。

大量のきつね石のつまったビニール袋がさらにずっしりと感じる。
候補のうち大半がここで脱落。

でもまあ標本として僕は他の石もきつね石もしっかり持って帰るけどね。


しかし、こりゃ、なめてました。
わからん。

一休みしてお昼にしよう。

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たら汁定食。
鱈腹でした。

さて、再開。
すくなくともきつねがどういうものかは理解したぞ。多分・・。


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浜には平日だというのに、釣り人が結構いた。
その人たちがなぜか波打際を、右に左にと走り回る。
走っては沖に向かって仕掛けを投げる。また走る。
だからのんびり下を向いて歩いているとぶつかりそうになる。

一体何を狙っているのか、とふと目を沖に向けてみれば、
遠くに近くにざわざわと波だつサークルが見える。
魚が沸いている。
聞いてみるとワラサらしい、要するにブリの稚魚だ。
でワラサが追っているのは、イワシの稚魚。
みれば逃げ切れなかった透明な稚魚が沢山波打ち際でぴちぴちもがいていた。
なるほどなあ。それをおっさんが狙うわけか。

「釣れますか?」
「うんにゃ、だめだ。イワシで腹いっぺえだから喰わねえ」

でしょうね。
仕掛けの疑似餌、繊細なイワシとは似ても似つかないもん。
きつねにしても出来が悪いよ。
それじゃ化かせん。

そこでふと気が付いた、
幾人かのおっさんの背中に、見慣れない棒が見える。
長さ1・5メートルほど。
先にはステンレスの大きめの茶漉しみたいなものがくっついてきらきら光っている。
釣り?には関係なさそうだけど・・・・。

ああ!なるほど、このおっさんたちは、つまり翡翠ハンターでもあるわけか。
ワラサ釣れなかったら、代わりの獲物は宝石かー。
つまり波打ち際の浅瀬から、あの長い茶こしでひょいっと。
それがこのあたりの地元紳士のたしなみなんですね。

あ〜、こんな猛者たちの歩く場所で、素人が調子こいてましたー。
ちょっと脱力してしまった。

気を取り直してそのうちの一人をつかまえて、
あつかましく簡易鑑定をお願いした。
午前中に千恵が発見した。もっともイメージに近いかけら一つ、と他。

すると、

「ああ、これはそうだろうね」

よかったー。暫定翡翠1号!!!
これがそう。

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いわれてみればなんだかほかのものと輝きと品格が違って見えて来た、ような(笑)

それからも、暫定1号を手本にして何度も見比べながら
日の傾くまでうつむいて歩いてみたけれど、
あの輝きには出会えることは無かった。

でもこれはきつねか、いやいやもしかして。というものをいくつか手土産にして、
日本海を後にした。

駅の物産館でおばちゃんに、ひとつ拾えましたよ。
と言ったら、
え!本当に?それはすごいね。
と驚かれた。
やっぱり、名所となってしばらくたってから、
今では、めったに見つらない珍石となっているらしい。
だからこその宝石の価値なんだなあ。
展示された研磨済みのものって、
まるで新緑の渓谷のようにみずみずしい透明感にあふれていて、
なおかつ堂々とした輝きを放ってる。
うっとり。

あー、このポケットの虎の子もこの分じゃ怪しいかも・・・。

近いうちにつくばの地質学研究所で鑑定してもらおう。
白黒はっきりつけたいようなこのままの方がいいような複雑な気持ち。

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でもこんなに興奮できる楽しい宝探しは久しぶりだ。
冬が終わったらぜひまた行こう。
次は茶こしおやじに素直に教えを乞うことにしよう。



posted by 前川秀樹 at 21:44| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月06日

11月ルビジノ

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2015 oct.fudoki

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2015 nov,niigata

前川千恵ペイントートバッグ展。
無事終了いたしました。
ご来場いただいた方々に感謝いたします。
あらためてありがとうございました。


さて、そのため先月お休みをいただきましたルビジノですが、
11月はちゃんとオープンします。

11月7日(土)8日(日)9日(月)10日(火)

です。
ルビジノの庭の銀杏の葉っぱ。
見事な黄色、というほどにはまだもう一歩。
枝先がようやく色づいて来たところです。

幸いなことにストーブを焚くほどにはまだ冷え込んではいませんので、
丁度良いお出かけ気候ですよ。
お待ちしています。
posted by 前川秀樹 at 12:07| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

前川千恵個展のお知らせ

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レザー地にアクリル系塗料でペイント、スタンプ、スクラッチ。
古い絵のような、シンボリックな柄のような。でもその実ラフなトートバッグ。
名付けてペイントートバッグ。

その新作個展です。

展覧会タイトルは「宿り木の歌」
未だ新鮮な作家の旅の記憶が垣間見え、
ちょっと遠くにいざなわれてみたくなる、
そんな個展になればいいと思います。

 fu do ki HP。

直前とはいえもう少し先になりますが皆様よろしくお願い致します。


posted by 前川秀樹 at 08:05| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月25日

秋木偶募集開始!

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お待たせしました。
恒例、秋の木偶講座、Vol.17 参加者募集開始のお知らせです。

参加者募集開始は

9月28日(月) からです。

DEE’S HP evenntにお申込フォームが、28日にアップされますのでそちらからどうぞ。


日時:10月17日(土)18日(日)
 
場所:東京 青山 DEE’S HALL


初めての方へ:
木偶の棒を作る講座は、伐採された木の枝を小刀、鑿、彫刻刀で彫り刻み、
木偶をこしらえる。というものです。
初めての方でも大丈夫です。基本的に刃物初心者のための講座です。
興味をお餅の方、いやお持ちの方は是非、
この機会に思い切って参加してみてください。
土器さんの作るお昼ごはんも大変魅力ですよ。


念のためもう一度。詳細、参加募集こちらから⇒



ひんやりとした夜気に金木犀の香りが強くただよい始めました。
それが僕の場合秋木偶の合図。ああ、準備しなくては。
さて、今回はどんな木にしようかなあ。
課題はなにか考えた方がいいかなあ。
見本には今回どんなのこしらえようか。
皆さん、息災でお元気だろうか?

個展の制作の合間にそういう思いが少しずつ交じり始めて、
だんだんと木偶に傾いてゆくんです。

さて、ともあれまずは秋晴れを願いましょう。
10月17日18日、皆さん青山でお会いしましょう。
楽しみにしています。

*10月3日の時点で両日とも定員となりましたので、募集を終了いたしました。
お申込みありがとうございました。







posted by 前川秀樹 at 06:54| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月24日

せめてもの収穫

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 ひんやりと乾いた風に高い空、しかし超渋滞の秋の連休。
山では紅葉が始まっているという便りも聞いた。
うう、出かけたい、でも渋滞はいや。これはもう絶対にいや。
でもまあ近場でなら。

というわけで、いつものタキシタタツシを誘って、
近場の海の方へ出かけることに。誘い文句は、
「化石が出るかもよ」
そんなマニアックであどけない(笑)誘い文句で同道してくれる大人なんて
今のところ身近には他に心当たりがない。

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しかし、

なんか見つけた?
いや、まったく。

程なくして二人の間では
そんな短いやり取りがすっかりテンプレートになってしまった。
重いハンマーを振るえども叩けどもめぼしいものは、
まったくなんにも出ないんだ。
めぼしいものとは、なんというかこう、はっと嬉しくなるような何かだ。
大きな貝とかアンモナイトとか、ほら。そういういいもの。
程よいインスピレーションがわくような・・・。
あーもー、テンション上がらない。
こんなに見つからないものかなあ。

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んん!?こりゃなんだ?
何かの背骨?わからんなあ。何か、ではあるんだろうが・・・。
うれしいかっていうと、どうだろう。

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結局、二人とも自然と途中から漂着物を物色して歩くように。
タツシのほうは漂着物のなかから、
なかなかの逸品の収穫があったようで。
よかったことです。

僕の方は、最初の写真のいしころが収穫かな。
二つはメノウ。
真ん中のえんじ色のは丸くなったチャート岩。
さほど珍しくはないけど綺麗でちょっと嬉しい。

僕の方はまあこんなもの。
結局テンションは上がらなかったけど、
海風と最後の温泉にはかなり癒されたかな。

でも重いハンマーを振るいすぎたせいで、
翌日、肩と腕が痛いの重いの(笑)

差し引きすると・・・・。
いやいや、こういうのは天秤にかけるべきではないのだ。

さて、今日もテレビで渋滞の映像を見て、
「大変そうだなあ」
と呟いて、
アトリエで鑿を振るおうかな。
あー、肩が重いー。

posted by 前川秀樹 at 17:37| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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