mama!milk ライブ。
いつもながら、贅沢な時間を過ごさせていただいた。
さらに、今回はライブ前に、動画収録の時間があった。
定点カメラで一発撮り。
曲はアン・オッド。
観客は僕らだけ。贅沢プラス至福だった。
動画はたぶん近くyou tube で公開予定です。
アン・オッドは僕のリクエスト。
訳せばただ「唱歌」
不思議な曲だと思う。
僕はずっと
どこか国のトラディショナルだと
思っていた。
永い経年変化で角が取れ、丸くなってすべすべの手触りのような
なじんで耳慣れた曲
でもこれはお二人によって創作された曲。
聴くたび新しい風景がふわりと浮かんで、自然に脳内を旅できる曲。
それだけ懐が深いということなのだろう。
像刻展の作品たちとの空間的なコラボ、
というには舞台装置のしつらえが少々
物量不足気味なのは否めなかったけれど、
作品が前提というのとは違って、
言葉のやり取りだけの準備期間があって、
迎えたライブだったからか、
よりお二人の想像力が発揮され、
雰囲気の凝縮された良い時間だったようにも思える。
どうやら、恒例になりそうな雰囲気。
いらしてくださった方々。
お楽しみいただけましたか。
どうもありがとうございました。
ライブ後はみんなで夕餉。
土器さんのごちそう。
簡単なものだけでね、っていってたのに、
あれあれ、次から次へと。なんだか十分豪勢なんですけど。
ごちそうさまです!
あ、でも土器さん写ってない。
写真右下隅のハイライトの吸殻の向こうあたりにいます。
この日の夕餉はマイノリティ達の宴。
これだけ人がいても不思議と話が割れない。
人の言葉を聞いてちょっとづつ積み上げていける会話というのは
単純なようで、実はそうそう出会えない貴重なものだ。
その行く先が楽しみになるような。
たいていは、
自分の言葉は誰にも受け取ってもらえず
誰かの言葉にはリアクションだけが返され
生きた言葉は返ってこない。
情報の投げ合いだけが延々と続くだけの時間が過ぎる。
誰かの独演会を聴く羽目になったり、
愚痴試合になったり、
そして
場にがらんどうの笑いだけがある。
こんなに空虚な時間はない。
だから僕はそういう匂いのする場所に極力近づかない。
だから、この夜にような味わい深い時間は貴重だ。
何カ月ぶりだろう。
楽しかったなあ。
まあ、ごちそうは時々だからいい、とも思う。
それなりの丁寧な蓄積が
会話を美味しく味わう下ごしらえだからね。
展覧会本番はまだ先なのに、
ちょっとすっきりしてしまっている
自分がいる。
いけないいけない、気を引き締めて
詰めの作業を始めないと。
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