19年前の早朝 僕は住んでいた埼玉の家にいて、
当時、愛知にいた従兄からの電話でたたき起こされた。
「兄ちゃん、すぐテレビ付けて!」
まだ映像は不十分だったが、自分の生まれ故郷で
とんでもない事が起こっていることだけはわかった。
すぐに実家に電話。
つながった。
幸い、親類縁者の無事はそのたった一本の電話で確認できた。
しかし結局つながったのはその一本だけで、
あとは、間もなく長い不通となった。
徐々にテレビの映像が増えるにつれ
上空から見る見知った町、というか集落の無残に崩れ落ちた屋根や
がれきの様子がわかってきた。
家や道の境界線ががれきで埋め尽くされ、
全体に不思議に輪郭のぼやけた地面の上を
所在なく歩き立ち尽くす、ゴマ粒のような住民の姿があった。
あのぼやけた住処の中に、その映像を見ている瞬間にも
逃げ遅れ、生死をさまよう人がいたのかもしれない。
神戸の火の海、そして息絶えた大蛇のように
ぐにゃりと横たわる阪神高速道路の映像のインパクトはすさまじく
まるで近未来SF映画のように見えた。
遠くで画面からそれを見る僕は
どうにかそれをリアルに実感しようと
心を向こうに寄せてみたが
揺れを体験していない自分は
なかなかその実感というものがわかず
これは今、本当に起こっていること、と何度も言葉で確認した。
それでも、気を抜くと、どこか遠くの話のように思えてきて、
ほの暗い罪悪感と奇妙に激しい焦燥感に駆られたことを今も思い出す。
昨今、震災といえば東北のことだが、
関西ではそれをすっかり上書きするほどのリアリティは薄く、
震災といえば未だに19年前のそれをさす。
その時の神戸を舞台にした新刊小説本が、ポプラ社から出版され
本日、本屋の店先に並んだ。
原田マハさんの小説「翔ぶ少女」だ。
原田さんは幸いその瞬間を免れたが以前住んでいた家は燃えた。
その御縁というわけではなかったが
像の姿と小説のイメージとが良く合うと気に入っていただいたのがきっかけで
今回、僕のちょっと前の像刻作品「ケルビム」が表紙に起用された。
手元にある本、ちょっと息を整えて読みたいと思いつつ未だ未読だ。
原田さんのことなので、きっと、そこからとにかく前を向き
力強く飛び立つ少女の生きざまがファンタジーを交えてつづられていて、
カタルシス後の復活の爽快感を味わわせてくれるに違いない。
元気になれるだろう。
いずれにしろ、僕にとっては、あの時に思いをはせる道しるべの一つになるかもしれない。
そうだ、今日から読もう。
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