平安時代にオリエントに源流をもつ“獅子”が大陸から伝えられ、
狛犬と混ざり合ったものが獅子狛犬(のちに略称で狛犬)と呼ばれる。
僕らにおなじみの神社の狛犬のルーツはざっくりそういうものだそうだが
江戸時代になって、都から遠く離れた地方の神社で
独特の進化を遂げたユニークな狛犬が、作られ始めた。
そして今もひっそりと、
社を守っている。
そこには実に驚くべき造形の宝庫がある。
そのことをあらためて認識するきっかけとなったのが
この本。
なんという豊富なバリエーション。
地方の石工が
大陸から渡ってきた宮中の(最初は木製だった)
獅子など見られるわけもない。
しかし、神社の山門が作られるようになってから
そこに置かれる守護獣として左右一対の石の狛犬の需要が出てきた。
見たこともないものを作る。
おそらく伝聞で伝わった狛犬の形象は
様々な主観の入り混じった劣化したコピーのようなものだったに違いない。
しかしそのボケたピントは、
逆に石工たちの創作魂に火をつけた。
テキストが無い、ということを逆手に取って
旺盛な想像力と鍛えられた職人の表現力が自在にあばれまわった。
本の著者によると、以外にもそのヴァリエーションと表現の最盛期は
大正から昭和戦前にかけてだという。
意外に新しい。
しかしながら、残念なことに現在、こんなものは国内ではまず生まれてこない。
パターン化されたカタログ狛犬が中国で作られるのみだ。
石工は居るのだから、現代の技術と職能が芸術家としての自在な表現へと
スライドしてもおかしくはないようなものだが。
生まれてこない理由として
まず需要がないこと。
それと、知ってしまった人間の悲しさとでもいおうか、
スポンサーも職人も氏子も参拝者も。
テキスト過多はオリジナリティの息の根を断った。
本のページをめくるたび、思わず噴き出しそうになるものも多い。
これじゃ守護職失格だろう。
なんで首びょーんて長いのこれ・・・。
これは、脱糞直前の犬だよなあ。
飽きない。
とはいえ、どれも今は昔である。
そんな狛犬造形でもちょっと変わり種が
狼狛犬である。
秩父は言わずと知れた狼信仰の残る土地。
山は山の神様のもので、狼はその使い。
狛犬は基本、神のガードマンであるが
狼は使いだからさしずめ山神の秘書か使徒といったところか。
この微妙な違いがみそである。
また、狼そのものが神の化身とされることもある。
両神神社もまた例外ではない。
山頂の両神神社本社には立派に苔むした2体が静かに参拝者を迎えていた。
これは雄らしい、欠けているが立派なシンボルが付いている。
稲荷と違うのは、牙と細いのっぺりした尾、それとあばら骨だ。
その3条件はクリアしつつ、
本物のオオカミや犬にそっくりでは化身らしくない。
ここにもディフォルメ、象徴化の作り手の工夫がある。
ふと思ったが、いくつか見てきた狼狛犬には、相手を威圧してやろうとか、
噛み殺すぞ、といった気迫よりも、
どこか愛嬌を感じるものが多いように思う。
じゃあこっちが雌なんだな。
なるほど、険しい登りの果てにこれがあるから余計に
風情があるんだなあ。恐いという感じはあまりないが
執拗に刻まれたずらりと並ぶとがった刃に
なかなかの迫力を感じる。
ともあれここまで来ないと出会えないものなので
見られてよかった。
山を下りて登山口にある里宮で
お札を譲っていただく。
ここも今は無人で、隣り合った一軒だけの民宿のおばあちゃんに
お金を預けて、わざわざ出していただいた。
この木版も一体いつ作られた版木なんだろか。
なかなか達者なデザインである。
それぞれの神社で、姿もいろいろなので、これも集めるのが楽しい。
狼は、火事 盗人よけ、四足というのはシカやサル猪などの害獣のことなのだろう。
で、こちらは三峰神社奥の宮のもの、
表情も分からないほど風化の進んだものは、社の奥のほうにひとまとめに。
なんだか、寄り集まってひそひそ話をしてるようだ。
ちなみにこちらは三峰本社の多彩な狼狛犬。
さらに山を降りる。
これは秩父市街にやや近い、平地に立つ椋神社。
新しいが堂々としていて大きい。首の巻き毛がキュートだ
石造り、素朴、山の上、そういう条件で風雨に耐えるこういった
幻獣の姿をみると、
ヨーロッパのロマネスク修道院の柱頭彫刻を思い出す。
時代はもちろんロマネスクのほうがずっと古い。
けれども、需要にこたえようと頑張ってきた石工職人たち
にスポンサーから提示されたオーダーの中身は、
その不鮮明さにおいて、中世も近世になっても
さほど変わらなかったのではないかと推測できる。
なぞるお手本がない、という点も。
職人の苦悩と試行錯誤と想像力の余地が残された時代の
造形物が僕らの貧弱な造形感覚に喝を入れてくる。
長い長い時を経てなお、鬼気迫る不気味さだったり、
思わずぷっと笑いを取り続けられるものなんて
そうそう作れるものじゃない。
民宿近くまで下山してきたときに、
「あ、前川さん、犬ですよ!」
と前を指すサンペイ君。おお、ここにきて山犬が!?
と思ってみたらば、先ほどの痩せた狛犬とは似ても似つかない
たっぷりむちむちした白犬。
いくら冬だからってこれは太りすぎだろう。
あとからから登ってきた民宿のおじいさんらしき人の飼い犬らしい。
そのゆとりある体駆にもかかわらず足取りは軽い。
おじいさんの10メートルほど先で止まって、待ち、また歩き出す。
この子いくつですか?
17歳だ。
はあ!?
なんと驚くことに2年ほど前まで登山客に合わせて、山頂まで
先導役をやっていたそうだ。毎日のように一日2回も。
なんとな!
とっさにフグみたいなんて思って申し訳ありませんでした。
先ほどから吠えていたのはこのポチですか?
いや、もう一匹、ぽんちゃんつうのが居るんだ。
そっちは現役だ。吠えてたのはたぶん畑に来たカモシカを追ってるんだ。
なるほど、生きた守護獣であり道案内。
言葉なきシェルパ。
で、こちらがぽんちゃん。と、
現役・・・って。
こっちもむちむちもふもふだあ。。。。
ポチ、おかえりー。
二匹から、御山の恐ろしさや厳しさは全く伝わってこないけど、
この人懐こさも犬科の動物のもう一つの側面なんだなあと感じる。
だから、狼も犬も、たぶんものすごく古くから
御山と人里の両方の境界をまたぐ存在だったのだろう。
ああ、だからこそ得られた使徒の資格なのか。
こちら側の使いでもあったわけだ。
境界線。
ふと、その日歩いた細い尾根道の形と
痩せた狼の突き出た背骨イメージが重なる。
厳しさと愛嬌。
狼狛犬はその両面が表されていることが大事なんだな。
やっと少しだけ、作り手の視点を現実的にとらえられた気がした。
今度からはそういう視点でまた次の狼を探してみよう。
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