ため息をついてみたい。
後悔や落胆のそれではない、感嘆のため息。
もやもやと煮詰まったものが体の中に折り重なって
どうにも気持ちが悪くてしようがない。
もしや気温の寒暖差から来る秋バテ?
いやいや、違う。要するに夏からずっと、
制作がすっかり煮詰まってしまっているのだ。
奮起一発、泉のごとくあふれ出るフレッシュな力でこれを乗り切りましょう!
そんな道をためらいもなく選びとる
さわやかでエネルギッシュなのは、それは僕ではない。
僕の場合こういうときは後先考えず、
とにかく現実に目をそむけ、
ダメになる。
ぐだぐだ、本を読んだり、落書きしたり
パソコンの前で、じっと風向きが変わるのを待つ。
それでも駄目なときには、仕方がないので行動に出る。
それでも立ち向かうのではない、
もっと後ろ向きのベクトルに従って。
つまり逃げる。
マンネリ&ルーチンワークから逃げたい、
ため息の出るようなとにかくきれいーーーなものが見たい。
理由はそれだけ。
それで僕は本当に逃げた。
9月の末のこと、
いつものごとく北の方面へ。
まずは、人間の気配のない所へ。
ここだ、ここににしよう。
ニセコ、神仙沼。
こういうのを高層湿原という。
気温が低く、流れ込む川がない。
水は雨水や雪解け水、湧水など。植物が腐りにくいため、枯れた植物は湖に
どんどん積み重なってゆき、厚い泥炭層を形成する。
その上にまたコケやシダ類の特異な植物相が出来、
くぼみには水がたまる。
腐らない植物の体。
一体この足の下にどのくらいの死なない時間が埋もれているのか。
季節の色が茨城よりもずいぶん先に進んでいる。
このあたり、昨夜は冷え込み今年初めて氷点下になったそうだ。
せっかくだから、もうちょっと足を延ばして、別の沼へ。
鏡沼。
オヤマノリンドウももう終わりかけ。
それにしても何という色彩。
ため息がついてみたい、どころか、
出るのはため息だけ。
ほ、よかった。
これは安堵のため息。
沼のバックにはすぐアンヌプリの峰が見える。
木道にしつらえられた朽ちかけたベンチに腰掛けて
とにかくぼーっとしてみる。
ダケカンバの寒そうな枝や枯れ草を吹き抜ける風の音、
コマドリやカケスの鳴き声。
意外にもにぎにぎしくいろいろな音に満ちている。
にもかかわらず、
そういう一切合財を含めて、あえてこの場所を表すなら、
静寂。
なんて静か。
自分の歩く音や、衣類の衣擦れの音。クマよけの鈴の音、みっともない呼吸音、
このなかで自分が一番騒々しい異物なのだと感じる。
すみません、お騒がせして。
この人間、今、静かにさせますからちょっと居させてください。
と、この場所を構成する一切合財に気配をずぶずぶと埋没させて
自分を殺してみる。
自分はいません、いるけど見えません。
あ、いい感じ。
そんないい気持になりかけたころ、
アンヌプリの遠く向こうから、
ふぼーーーーーーーーー。
SL の汽笛?
ああ、函館本線のニセコ号かな。
こんな現実離れしたような場所から、
ほど近くに
人の町があるのだ。
と我に返る。
さて、堪能した。
人の気配のするところに降りて行こうかね。
湯気とともに湧く。
強いイオウのにおいを、昔はものすごく悪臭にしか感じなかったけど、
ある時から、不思議とくせになる類のいいにおいだなあ、
と感じるようになっていた。
そういえば
温泉なんて爺臭い。とも思わなくなっている。
今日はここまで。
今日は温泉につかることにする。
安宿でも大浴場は立派。
せっかくここまで逃げてきたのだから
それくらいは。
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