淡路島の実家の庭が今、盛りだ。
父母の丹精を受けて潤う草花は輝くようだ。
僕の手はぜんぜん“緑の手”ではないらしくて、
あっと気がつくと
観葉植物すらしおしおと枯れてしまう。
見るのは好きだし憧れはあるのだけど、
なかなか手は緑に染まってくれない。
もっともそれは才能の有無ではなく
単に愛情と情熱の差かもしれない。
僕がここに暮らしていた頃は、ここは畑だった。
祖父母が、野菜や果樹や仏さんの菊なんかを沢山育てていた。
海岸沿いにマンションが建つ前には
枇杷の木の梢の向こうにすぐ海が見えた。
海に行く時には夏ミカンや枇杷やトマトを
枝から好きなだけもいで手に持って出かけた。
今は、野菜の部分はずいぶん縮小されたが、
果樹はそのころよりもずいぶん増えた。
サクランボにキンカン、ヤマモモ、プラム等々。
そしていつの間にか西洋と和風、花壇と果樹の微妙に混ざり合った
立派な暮らしのなかのガーデンに様変わりした。
虫たちもたくさん飛び交う、
うろうろするだけでなんだか楽しくなる庭だ。
二人が定年後コツコツ始めた庭作りなので、
一朝一夕にこんなになったわけではない。
やっぱり自然相手は時間がかかるのだ。
年一回、島内の何ヵ所かの庭を見て回ることのできる
オープンガーデンのイベントにも参加しているらしく、
訪れるひとも毎年結構いるのだそうだ。
いつも木偶ワークショップで僕が例えていう里山のあり方。
自然と人とが半分ずつ分け合いせめぎ合って保たれる危ういバランス。
自然の木を素材に選ぶ面白さと困難さはそれに象徴される。
茨城の僕の家でもちょっとやってみようかなあ、
まずは土づくりから。
また時間のかかりそうなことを思い描く。
理想はある。
南仏のセリニャンという片田舎に、
ジャン・アンリ・ファーブルが苦難の末ようやく購入した
赤土と石ころだらけのわずかばかりの土地とその庭だ。
彼は村の雑音から遮断されたそのエデンの庭を「アルマス」と呼んだ。
プロヴァンスの言葉で「荒れ地」である。
実際そこは、植物や生き物たちができるだけ自然の状態で
観察できるよう、“荒れた庭”に作り込まれた。
その時、ファーブル先生55歳。
彼は91歳の生涯を終えるまで、そこで研究に没頭して過ごした。
日本では有名な昆虫記が書かれたのもこのアルマスだった。
今もそこは(十分とは言えないが)管理されていて
見学できる。はず。
なにしろ僕がそこを訪れてからはや17年ほど経つ。
しかし今も憧れだ。
まあ、憧れたり理屈ばっかり言ってなくて、
やってみればいいだけの話。
実際やってみると、
分かることもきっと多々あるはずなのだ。
何事も愛情と情熱、それに丹精なのだ。
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