2012年09月25日

collier 終了

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長かった展示が終わりました。
家からは片道3時間。
半年の間の往復は残念ながらほんの数回でした。

昨日搬入を終え、来場者芳名帳を散見していましたら、
ずいぶん遠くから来てくださった方々もちらほら。
作品展ならばともかく、
ああいった全く個人のコレクションといった
ちょっと特殊な展示に
わざわざ足を運んでくださった方々の顔を思い浮かべ、
改めてありがたいなあ、と思い返しています。
決して交通の便の良いとはいえない場所ですし、
ほぼ真夏の展示にもかかわらず、です。
観覧者の方々を始め、
改めて関わってくださった方々に深く感謝です。

会場に立っている間、多かった質問に、
「ご自宅にこれだけモノが収蔵されているんですか?」
あるいは、
「ご自宅や仕事場はas it isの2階の部屋のような展示場風なのですか?」
というのがありました。

一つ目の質問には正直に
「その通りです。これでも選別して持ってきてますよ」
と返答。
二つ目の質問には、
「展示部屋なんてありません。外に出ているのはほんの一部で
たいてい箱におさまっていて、何が入っているのか忘れているものも多いです」
とお答えしました。

僕は自分のことはコレクターというのとはちょっと違うと思っています。
今回箱から出して展示してみると、
改めて、何かのコレクターというにはあまりにも節操がなさすぎる。
と思いました。
コレクターというのはもっときちんと、これを集めよう、
これをそろえよう、という自分で定めた決まりごとにそって収集してゆく、
ある生真面目さと根気、それに、達成への情熱を持ち合わせています。

僕の場合、その決まりの中でとことん内容を深めてゆく探究心や根気
が欠けています。
その時その時、あ、きれい、これ面白そう。何かになりそう。
といったきわめて感覚的な取捨選択の基準があるだけなのです。
基準はまた揺らぐし変化もします。
だから一つ間違えば、
モノの収集が目的へとすり替わってしまい、
物量だけが際限なく暮らしの場を圧迫してゆく、という危うさをはらんでいます。
けれど、案外そうはならない。
それは捨てるからです。
自分にとってその時の感覚に引っかかったものは、手に取りますが、
それが今一つ“感覚に正直でない”ことに気がついたり、
あるいは“過ぎて”しまったものに対して、
それほどの執着心が持てないからです。
またそうなってしまったものを身の周りに置いておくのは重たいのです。
だから、自分の古い作品すら、燃やしてしまったりするような
ひどいこともしてしまいます。

たぶん自分の足跡とか、すべてにまつわる思い出とかに
執着する強いエネルギーが無いのでしょう。

だから、あれほど情熱をかけて集めた古い鉄クズの類を
ごっそり鉄くずやさんに持って行ってもらいました。
今年の4月のことでした。

自分の住まいキャパシティの6分目くらいが程よいかな
と思っています。

持ちすぎると、次の出会いの瞬間の感覚が、鈍るからだと思います。
出会いは化学反応のようなものですから、
その瞬間に変化が起こります。
変化をもたらすほどの何かならば時間がたてば、
互いの関係が、またさらに面白く変化してゆく可能性があります。
自分自身が時間とともに成長というか変化しているはずですから。

モノは、役に立つ、立たないにかかわらず。
それ自体で、人の心に何かをもたらしてくれるはずなのです。
少なくとも僕の場合は、生活必需品だけをパートナーに、
自分らしく生きてゆくことなどできません。

こころ、には形がなく、おまけに不可視です。
けれど、モノと自分の関係に気がついたとき、
こころの輪郭がふと見えてくることがあります。
モノを介在させることで
自身のこころの衰弱や枯渇、満足や豊潤にも触れることがあります。
身近なモノはそういう装置として常に機能するはずなのです。

今回の展示の機会は、そんなさまざまなことを確認するまたとない機会で
自分にとっては一里塚のようなものだったと思います。
これを機会に、すでにたがいに必要としなくなっているものにも気が付きました。
だからまたそのうちごっそり手放すのでしょう。
手にしたときと同じように瞬間に、ぽいっとあっけなく。

普遍の価値など存在しないのですから、
それが自然なのだと思います。
別れを名残惜しんではいけない。

さて、それよりも次の出会いにわくわくします。
どんな世界の断片に自分が、はっと気がつくのか。
何を発見するのか。発見し得た自分に驚きたい。
それはいつで、どこで。
と考えると、楽しいです。

世界に闇と果てが失われて久しい。とパンフレットに僕は書きました。
けれど、一人の人間が一生に出会えるモノ、バーチャルではないほんとうの出会いなど、
広大な世界に比べれば、一つまみの砂粒にも等しいです。
だから、世界に果てや闇は無いかもしれないけれど、
実はとらえ方次第で、世界はまだまだそこそこ広い。
自分の感覚と6分目だけをルールに旅できる未知は
いまだ膨大であると信じています。

展示を見てくださった方で、
そんなことをほんの少しでも、
ああ、家の中にあるモノってそういうものなのか、
役立たず、イコール生活の(大げさにいえば文明の)無駄とか贅肉じゃあないのだな。
と分かち合ってくださったなら、
僕はとてもうれしく思います。
半年間の展示が、見知らぬ誰かにとっての“出会い”となってくれていたなら、
さらに嬉しい。

改めてこの場にて感謝の意をお伝えしたいと思います。
ありがとうございました。












posted by 前川秀樹 at 20:46| 作品発表、展覧会情報、等。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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