今朝アトリエ行こうとしたら、玄関前にこれが落ちていた。
おお、今年初のヤマトタマムシ。
毎年これをみると、夏が来た感じがする。
見られるのはこれから8月いっぱいくらいかな。
昆虫の中では大型種で美しさはやはり際立っている。
日本を代表する風格と品格がある。
ちなみに
茨城県のレッドデータブックでは絶滅危惧U類に分類されている。
これは絶滅の危機が増大している種、だそうだ。
そうなのか。
うちの周りは里山というほどでもないけれど、
几帳面に宅地造成された感じの、四角い土地ばかりでもない。
適度にいい加減な繁みや草むらや、大きな雑木の生えるゆるい土地が残っている。
だからなのか、ヤマトタマムシを今もまだ良く見かける。
7月の終わりのころには庭で涼んでいると、
エノキの高い葉のあたりに群舞する様子が見られるほど。
地面を全部コンクリートを敷きつめてしまうと、
当然虫なんて生きていくことは出来ないし、
かといって、まるで手つかずの繊細すぎる環境を
隔離して保護や保存の方向だけにばく進してしまうと
自然環境は人の暮らしからも遠い、現実感のないユートピアになってしまう。
実際に見て触れることもできないものは、ついつい感心も薄れてしまうから、
結局、環境保護という考え方がどこかで実感を失い、観念的になりすぎる。
環境に対する実感を伴った人々意識が、本当にそれで高まるとは思えない。
そんなものはそもそも持続しない。
里山というのはその中間として、理想的な場所だった。
生活や生産、それを上手に循環させる程度に生きた自然と。
どちらも死なないことが大切だった。
そのための譲り合いとせめぎ合い。
いい加減、で、適当であることは存外大切なことなことなのだと思う。
がこれは今、とても難しい。
暮らしや生産の形が急激にあまりにも変わってしまったから。
それに、
何においても、無駄=怠惰、省くべきもの、
という考え方が幅を利かせてしまうからだ。
時間の無駄、場所の無駄。
大多数の人が本当にそう思うのなら、それも仕方がないのかなとは思う。
でも、
どうすればいいのかな、といつも思う。
玉虫色、という言葉があるけれど、
それは日本人の自然とのかかわり方にも通じるところがある気がする。
それをどっちつかずというなかれ、
それは極まればこんなに見事に美しい。
【関連する記事】