前回アップしたのがなんと9月の終わり。
一ヶ月もの間、なんら書くべきことがなかった。
というわけではなく、
制作におわれている間、はっと気がつくと、
窓の外は秋になり冬にさしかかろうとしている。
う〜ん。今回はよく引きこもった。
おかげで作品も出揃った。
そういうわけで今まさに最後の仕事。
卓上最終オーディションをやっている。
すべての作品にタイトルをつける。
せっかく作られてもこれで落とされる子もいる。
悪くは無いけど、今回には合わないのだ。
君はまた今度。
かわいそうだけど、
演出家は厳しいのだ。
展覧会を作る、というのは、作品をあるだけただ行儀よく陳列するのとは
違う。
見せ方と演出で、作り手の“いいたいこと”はまるで別の意味を持ってしまったりする。
なので、作り手にとっての作品とは、展覧会の会場そのものなのだ。
といってもいい。
むろん、展覧会は作家だけが作り上げるものではいない。ギャラリーとのコラボレーションであり、観客の視線と反応で完成する。
と、それが理想。
が、じっさいはなかなか、、、、。
個展を料理にたとえてみる。
作品がスープの具、だとしたら、展示空間は椀だと思ってもらいたい。
具があさりか葱かきのこか、どう料理するのか?どんな器に盛るのか?その組み合わせで何の料理かが決まる。
具だけでは、それはただの“アサリ”であって、漁師さんかスーパーの魚屋さんの領分でしかない。
それをテーブルの器に盛り付けるまでが、作り手であり、ギャラリーの仕事なのだ。
例えばアサリは味噌汁にも澄まし汁にもなればクラムチャウダーにもなる。
つまり、“料”と“理”の組み合わせだ。
何でもいいというわけではない。
こんなに美味しいんですよ。
とおすすめするのが、展示会の意味であり、まあ入り口だと卑俗なたとえではあるがそう思っている。
これはけして一般的な解釈ではない。
あくまで、僕個人のたとえ話である。
最初の段階でも、制作しながらも、また出品作品が出来上がっても、
さらに搬入の現場でも、作品作りと展示空間作りは同時進行ですすむ。
プランは日々変化する。
よし!これでいこう。ばっちりだ!
方向は決まった。
昨日までそのはずだったのに、、、、。
なんか趣旨が違ってきてない?で、また練り直し。
そうやってせっかく頭の中で組み立てたプランも、
最後の最後にまたどんでん返しがあったりする。
作品を運び入れた実際の現場の空気は、
良くも悪くもつねに自分の作り上げたイメージを裏切るからだ。
アトリエとは作品がまるで別物に見えることもあるから、
場所の空気や光って不思議でまた厄介だ。
そしてそこで起こるハプニングにぼくは期待もする。
トラブルは困るけれど。
よく知り尽くしたはずの自分の作品が別の顔を見せるときに、
作品は手元を離れるものだとおもう。
明日搬入。
あれもやりたいこれも出来なかった。
やり切れず足りない部分も正直感じるけれど、
良くも悪くもこれが今の等身の自分なのだ、と腹をくくろう。
恥をさらそう。
それが個展なのだ。
さて明日どんなハプニングが、、、。
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おまけに立派な感想までいただいて。恐縮です。まだまだやりますよ!さらに次、ご期待くださいね。御礼まで。