2011年11月14日

爪痕。

2011111415110001.jpg



ここ2,3日、思うように制作の手が進まない。
あの、電球がぱっと点くような、クリーンヒットのひらめきも降りてこない。

これは、あれだ、その、なんだ。
煮詰まっているんだ。

だから今日は仕事止め止め。
こういうときは車で一人でどこかに出かける。

で、茨城の海の方に。
震災以来、近くを通りがかることはあっても
浜に降りるのは初めての気がする。

ちょっと荒れ気味の海。
なんか面白いもの流れ着いてないかな。

2011111414470001.jpg

流木やたら多いなあ。船なんかも。

2011111414360000.jpg


ここにも船。

いくらか気にいったのを手にして、車に積んでいたら、
おじさんが近付いてきて、

「な〜にあづめてるんだぁ。」

と声をかけてきたから、

「いえ、板ものをちょっとね。小屋の修理とかに使うんです。」

ふうん。

阿藤快似のガラガラ声のおじさん。僕の返事にはまったくヒットせず。
で、勝手にしゃべりだす。

流木が多いのは、震災がれきがずいぶん混ざっているからだそう。
北茨城か福島か。宮城か。

そうか、水につかって削られた、いかにも流木、というのに混ざって、
角の取れてないやけに生々しい、柱や梁材が混ざっているなと思っていたら、
そういうことなのか。
海流って、黒潮のイメージがあるから、西から東へとひたすら漂流物は運ばれるものと
思い込んでいた。
逆なのか。
そういえば、このすぐ近くの大洗に流れ着いた大量の漁具が
宮城県に返却されたってニュースでやってたなあ。
そう言ったら。おじさん。

「岸の近くは逆に流れてるんだぁ。戻りカツオはそれにのってこの沖を通るっぺよ。」

流れってそういうものなんだなあ。
じゃあこの船も。

なんだか、ずっと昔の話の様な気がする。
けど、そうじゃないんだなあ。
今立ってるこの足元の海沿いの道路の上も例外なく津波が洗っていったのだ。

そのあと、
なんとなく怖くて、震災後近づかなかった、
那珂港の魚市場にも行ってみた。


2011111414180000.jpg

ありゃあ。
岸壁が、岸から引きはがされているよ。


2011111414190000.jpg
見事に。ずるりと横滑りしている。

この右側がお魚市場。ここも当時、一階の高さくらいは
さっぱり濁流で流されていた映像が流れていた。でも
復旧は早かった。
今はもう再び観光バスがついて、賑わってる。
でもあちこち、港のコンクリートはぱっかり割れて、
足元のクレバスには海が侵入してきてる。

これがあの8か月前の一瞬で。

いや、いまさらながら、なんともはかない。
8ヶ月たった今でもここより北の海岸には、僕はまだ行けないでいる。
いずれにしろ、東北まで続いていた太平洋岸沿いの長い道はあれ以来、
福島で分断されてしまった。

ここはまだいいけど、
元には戻らない漁港もきっと数えきれず。
あっちもこっちも、大好きな海岸の景色は様変わりしてしまった。
なんともはや。











posted by 前川秀樹 at 18:58| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。