2006年07月25日

おはらい

0715 (23).JPG

九尾の狐の変化である、殺傷石
旅人に多大なる害を及ぼしたその巨石を
槌にて打ち砕き調伏したとされる玄翁和尚。

ちょうどそういう風貌を持った先輩だった。
版画を専攻し、少林寺部に属し、学内野球チーム、プリンツのスラッガーでもあった。
豪放かつ繊細。

その高浜先輩の作品であるエッチング小作品をこの度購入した。
前々からほしかったもののひとつだ。

見ていると何か邪気がはらわれるような気がしてくる。
嬉しくて、何度も眺めている。


その日は気分が良くて、もう1軒詣でることにした。
15日まで骨董坂田でやっていた、
周辺のキリスト教聖画展に行った。
2日目だったので残念ながらほとんど赤丸付き。
こちらも良かった。
案内状によると、
西欧の中心から離れた周辺の国々のそれは、
丁度ビザンチンやロマネスク時代の初期のキリスト教美術とおなじ雰囲気を持っている。
とある。
なるほど、どれも18,19世紀の比較的新しい時代のものなのに
どれも古い素朴な雰囲気をしっかり纏っている。
古の異教の香りだ。
いいなあ。
好きなテイストだなあ。
ガラス絵のイコンやルーマニアの布幡にため息を漏らす。
きれいだ、、、、。

眺めるだけ眺めて、坂田さんに許可をもらい、
ちょっとだけさわらせていただいて、、、。
結局財布と相談、 

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羊皮紙に写経された、エチオピアの聖書のページを2枚買った。
19世紀のものだそうだ。
そんなに古くない。
にもかかわらず、その雰囲気からは
なんとなく
ショーンコネリーの映画
「薔薇の名前」なんかをぼんやり思い出す。
中世の修道僧、暗い石造りの磨り減った階段。魔術。異教徒の弾圧。

力強い。額装すると不思議とダダのモノグラムの作品のようにも見える。

 お金を払う、というのは“憑物を祓う”と同根だという。

少ない収入の中から、こういうものにお金を支払うと、
なぜか妙にすっきりする。
もちろん家に好きなものがやってきて嬉しい。
つまりこれは、“詣で”のあと“お守り”を買うのと同じなのだ。
あるいはお布施の後の印。
心の部分の安寧のために自らに憑いたものを祓う。
玄翁和尚の霊力にあやかろうと、お守りをいただく。

己の飽くなき物欲もこんな風に思うとちょっと気持がいい。

そういえば、財布からお札が出て行って無くなると、
ドッキリして不安になってしまうものだが、
レジで小銭が1円玉まで金額ぴったりで無くなると
なぜか逆にすっきり小さな幸せを実感する。


お布施のミソはそこなんだろうな。

ちなみに高浜先輩は別に過去のお坊さんでもなんでもない。
版画家として今もご活躍だ。









posted by 前川秀樹 at 18:46| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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