17の頃、予備校の夏期講習会で始めて島を出て一人で上京した。
新大阪駅で新幹線に乗る前に、幕の内弁当を買った。
大きな荷物と重い絵の具とB2の大きなカルトンが邪魔で、
袋に入れた弁当は水平を保つことが出来ていなかったようで、
列車が動き出してから、ようやくふたを開けてみると、
楽しみな幕の内弁当だったはずのものは、
いんちきアジア風の混ぜゴハン一歩手前、といった様相を呈していた。
何だコリャ?なぜ?
ふいに不安になった。
こ、これが東京!?
いや、まだ京都にも着いてなかったんだけど。
こんなことで、これからなれない土地でやっていけるのか?俺。
京都の停車で人が出入りするので、隣にどんな人が座るのか不安で、
なんとなく食べるのを止めて、ふたをする。
すぐにまた再開したけれど極度の緊張のためか
途中で気持悪くなって、
結局全部を食べきることが出来ず、息吹山を左に見ながら
またふたをした。
東京駅の16番ホームに列車が到着する。
日が傾く頃、ようやく立川に住むお世話になる先輩の家に到着した。
なれないアスファルトの照り返しは暑かった。
田舎から持参した手土産なんかをかばんから取り出して手渡す。
「お世話になります。」
「ああ、宜しく、疲れたやろう、、、、、ん?そっちはなんだ?」
「はあ、弁当です。まだ食べられます。実は新幹線では食べきれず。中央線は人が一杯でやっぱり食べられず、せっかく買うたので、気持悪くて。その、、。まだ食べれます。」
絵に描いたようなしどろもどろの図。
「こんなに暑いのに、痛んでるに決まってる!いいから先にここに捨てなさい!。食べものはちゃんと冷蔵庫に買ってあるから。」
ごもっともです。S先輩。
軟弱なもったいない精神の表れか、それとも初めてづくしの緊張感だったのか、はたまた高校生の単なる旺盛な食い意地だったのか?
ともあれ、それらをすべて差し引いても、その頃からやっぱり本物の粗忽モノだったのだ。
リラックスして車窓の眺めを肴に駅弁の味を楽しめるまでになったのは、
無事大学に入って、鈍行列車乗り継ぎ一人旅の楽しみを覚えてからだった。
いつものコンビ二弁当より高くて冷たいのに、
旅とくれば車窓の眺めとポリ容器のもみだし茶と
それから珍しい駅弁だろうと、決め込んでよく食べた。
それが、旅をしているという気分を盛り上げるための、わりと大切な“作法”
だったんだな。
自分の顔が映る真冬の夜行列車の窓の曇りも今は懐かしい。
あさって明け方に家を出て、名古屋に車で絵を搬入する予定。
今ではすっかり移動は車が基本になってしまった。
めったに列車での移動はしなくなったけどど、
たま〜に仕事や帰省の折には新幹線にも乗る。
駅でそばをすすったり、軽食スタンドのお昼でもいいけど、
やっぱりホームで売ってる駅弁をついかってしまう。
いまはもうそのくらいでは旅情を味わうことは難しくなってしまったけど、
変わりに学生の頃の懐かしさが、冷たいベントーの隠し味になっているような気がするのだ。
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そして、今春に前川邸へ向かう途中上野駅での粗相を思い出し。乗りかけた成田エキスプレス、そして買いそびれた駅弁の代わりに買ったおにぎり。
車中で周りを気にしつつも二つもたいらげたのでした。何て恥じらいのない私、と、あの時の事をふっと思い出してしまいました。
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や、ホントに真夜中に打ってるね。
早寝早起きを心がけてくださいね。