2006年04月03日

スクナヒコナのカメリア

4,3 (4).JPG


少彦名神(すくなひこなのかみ)
という神様が居る。

医療、禁厭(まじない)、酒つくりの神として知られる。
か、なるほど、、。

大国主命が出雲の美保岬を歩いていたときに、
沖から不思議な形の船が近づいてくるのを見つけた。
船は天羅摩船(あめのかがみのふね)といい、
蛾の皮の衣に身を包んだ
小さな神が乗っていた。


大国主命はたずねた。
「あなたはなんと言う神ですか?」

返答は無い。
それならと大国主命に付き従うほかの神々にも尋ねた。
「だれか、この神の名を知っているものは居ないか?」
しかし、それを知る者は無かった。
そのとき、多爾具久(たにぐく・ヒキガエル)が答えた。

「おそらくこのことについては、
久延比古(くえひこ・案山子)
がなにか知っておりましょう。
たずねてみるのがよろしいかと。」

早速久延比古が呼ばれた。
「この神はなんという?」

「はい、この神は、神産巣日神(かみむすびのかみ)の息子で名をスクナヒコナといいます。」

「ほう、スクナヒコナ。」

このことを確かめるべく、今度は神産巣日神にお伺いを立てた。
神産巣日神は答えた。

「確かにこのものは私の子で、私の手の俣の隙間から生れ落ちた子である。
これからはあなたと、兄弟と成り、互いに手を取り合ってこの地の国造りに励むがよい。」


そうしてそれから大国主命と少彦名神は二人で協力し合い、出雲の国造りと経営に心血を注いだ。

と、物の本にはある。
なるほどねえ。

4,3 (3).JPG

さらに、少彦名神は小さ子神の由来に基づく命名とされ、
一寸法師の原型とも言われている。

そうなのか!?
へえーーーーーーーーー。


幻術のごとき異形の技を駆使し、医術に優れ、酒造りを伝えた。
小さな体で不思議な船で、出雲の海岸に上陸し、言葉は通じない。

そういうことは実際にたくさんあったのかも、、。
南方の民族かはたまた大陸の人たちか。
いずれにしろ、“良き物”をもたらしてくれたのみならず、
国造りの立役者にまでなった存在なのだから、
きっとスクナヒコナは一人ではなく実は集団で、
なにか目的を持った渡来だったんだろう。
あるいはたまたまの漂着民だったか。


 茨城大洗の東、阿字ヶ浦を望む高台に
酒列磯前神社(さかつらいそまえ)
がある。
そこの祭神が 少彦名神なのだ。
ずどんとぶつかる太平洋の強風を受けて和らげるのは、
うっそうとした藪椿の巨木の森だ。

高い天蓋が続く藪椿の回廊を抜けると、
ぽかんと空がまあるく切り取られている明るい場所に出る。
その陽のあたる場所の真ん中にぽつんと社殿はたたずんでいる。
その後ろはまたスダジイなどの巨木の原生林が
もっさりと広がっている。

初めてここに来たときに、沖縄の御嶽(うたき)によく似た空間だな。
と感じた。
なんというかプリミティブというか、、。
社殿の作りも雅とは程遠く野暮ったい。規模の割りに全体に素朴なのだ。

にもかかわらず緊張感はしっかりとある。
神域としての結界がわずかながらきちんと機能していることが伺える。
そんな好きな場所だ。

地元の人からは“えびすさん”とも呼ばれているそうなので、
医療のみならず、大漁、海運の神様としても
親しまれているのだろう。
なるほど、石段を降りた先には漁港があるな。
掃き清められた社殿の前庭をみると、
氏子達に長年にわたり親しまれているのがよくわかる。
結界が機能しているわけがどことなくうなずける。


4,3 (5).JPG

 2月3月、その参道はそれはそれは見事な椿の緋の天蓋で覆われるという。
実は何度もここには来ているのに、
時期が外れて僕はまだそのシーンは見たことが無い。
本当に残念。

参道の石畳の真ん中は神様がお通りになるのだから、
鳥居をくぐったら人は端っこを通るのだ。と以前人に教わった。
来年こそは参道の端っこから、是非緋の天蓋を見上げてみたい。
スクナヒコナにはちょっと遠慮して。
posted by 前川秀樹 at 23:33| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: