

鉛色の空、砕ける波頭、頬を打つ潮まじりの寒風、時折容赦なく背中を打つ雨礫。
手がかじかむ。
こんなところで何をする?
そんなことは決まっている。
石を拾うのだ!


はい!今日はこのポイントで探すです。寒さが耐えられなくなったら各自、車に避難。
さあ散って散って。

石もフグも渾然一体。

ニハルはもう大喜び。初めての海で走る走る。
が、次第に誰もかまってくれなくなって、、、

おいてきぼりな立場に。ほら、皆集中してるから。ここは空気読むのも経験だから。


石浜に流れ込むほんの小さな沢に、鮭が遡上しようとしていた。
こんな小さな沢で生まれたの?本当に?
あなた、どこかと間違ってない?
だって他に来てる鮭いないじゃん。
多分お腹にはイクラたっぷり。
でもまあ、今、僕らそこまでワイルドな旅じゃないから、
捕まえたりしないよ。安心してくれ。
手助けはできないけど応援するよ。
間違いじゃないなら、あと少し。頑張れ。

すごい風景だなあ。
北の果てだなあ。
さて、一休みしましょ。
珈琲でもいれて。


かまってちゃん犬を尻目に
ああ、珈琲美味しい。土器さんが持ってきてくれたAPOCのクッキーいただきましょう。
青山の味を青森で。あ、昨夜五所川原で買ったベルギーチョコもあるよ。
それとさっき道の駅で買ったしじみせんべい。
何処なんだここは?
ところで皆さん成果はいかがですか?

こんな感じ。
おお、メノウが結構あったね。

最後に記念に一枚。

土器さんを空港に送る途中で立ち寄った、十三湖そばの道の駅でお昼ご飯。
やっぱりここは定番「しじみラーメン」でしょう。
あっさりでコクスープに細ちぢれ麺。
中華でもなく、お吸い物でもない。
なんとも上品な滋味あふれる美味しさがある。
十三湖は入口を日本海に開いた汽水湖だが、
海でもなく川でもない、混ざり合う“あわい”というのはなかなか奥深い。

重なる石を手でガラガラとさらうと、また違う顔の層が現れる。
またさらう。また別の石達が表情を醸す。
未知のページをめくるようで、先が見たくて何処までもめくり続けたくなる。
冬が始まる津軽の風景もまた良かった。
青森市内の棟方志功の記念館にも立ち寄った。
そこで流れていたビデオ。
広いただ広い真っ白の平野を吹き抜ける地吹雪。
海も地平も空もその境目をなくして全てが白と鉛色に帰してゆく。
びょうびょうとやむことのない風の音に、
高橋竹山のたたきつけるような強い津軽三味線の音が重なってゆく。
これが、長い冬の津軽のスタンダードの景色なのだろう。
一度来てみたいような、恐ろしいような。
石がきっかけであったけれども、そこからこの土地の奥行きに
気が付き始めて、もっと覗いてみたくなる。
地蔵が多い。
五所川原近辺の田畑の周囲に雪囲いを施した地蔵の集団が沢山ある。
人の数よりも多いかもしれない。
どの地蔵にもおしろいが塗られ、化粧が施されている。
化粧地蔵と呼ばれる。
それほどまでに子供がたくさん死んだ時代があった。
縄文時代は大変に豊かだった。
古代、中世とまだ豊かだった。
ロシアや大陸との交易で大変に栄えた港もあった。
けれど近世。豊臣から徳川の時代。特に江戸期。津軽は貧困にあえいだ。
米を作らねばならなかったからである。
当時は米がすべてであった。米が金と同等だった。
いくら平野があろうとも、約5年に一度は訪れる冷たい風
「やませ」がもたらす冷害のたびに
人々は飢えた。飢饉をこちらでは「けかち」と呼ぶ。
交易や林業、漁業や狩猟でそれを補えば、けかちは免れられたであろう。
米だけを作るから飢饉がある。
しかし、中央との繋がりや協力なくしてこの地は成り立たない、と考えた
津軽氏は代々にわたって、何かに取りつかれたようにひたすらにコメ作りを推奨した。
土地の生産可能な能力をはるかに超える、不釣り合いな石高を毎年幕府に納めた。
相当な無理を強いた。土地にも人々にも。
だから津軽藩の城
弘前城は四万石から一〇万石の石高では考えられないほど造りが立派だ。
ひっそりと群れたたずむ化粧地蔵達と華麗な桜花の城のアンバランスさこそが津軽だ。
そういう富裕と貧困の交互層を足もとに踏みしめ、
複雑な事情を心の内に秘めて、この風土で人々は生きて来た。
棟方志功のあの狂気的に強烈な線はその厚い層を貫き通して、昭和の時代に咬み付いた。
今回、そのあまりにてらいのない延びる線に、僕はたじろいだ。
恐ろしくなった。喉がやけに乾いて何度も唾を飲み込んだ。
今回は三内丸山遺跡にも足を運んでみた。
大ホールとも呼ぶべき竪穴式住居の威容に飲み込まれそうになった。
奥深いと思う。
次々と層を知りたくなる。
いつも泊るホテルに白髪の送迎運転手さんがいる。
鼻筋がしゅっと通っていて、なかなかのハンサムだ。
ホテルは繁華街からちょっと離れているので、
頼んで車で連れて行ってもらう。
そのおじいさんの津軽弁の抑揚がなんとも好きだ。
全部に節があって、謡うようにはなす。
「昨夜はずいぶん降っでたがら、出かけられなかったのでしょう」
そういう意味の短い文章に節が付く。
文字では残念ながら再現できない。
ふつうのはなしことばが民謡のようだ。
朝、ご飯をよそってくれるおばちゃんの声もいい。
バイキングスタイルなのに丁寧によそってくれる。
背筋がしゃんと伸びていて、いつも赤いセーターを着ている。
「はい、お粥たっぷりだったね」
「行っでらっしゃい」
なんだかそれだけで耳が暖かく嬉しい。
さて今度は津軽から何を学ぼう。