
今から、10年以上前だったか、
大学で同期だったヨシカワ君(僕は下の名前でタミちゃんと呼ぶが)
は、カミキリ採集を始めた。
あこがれのカミキリムシは鮮やかなセルリアンブルーに大きな黒の水玉、ルリボシカミキリだった。
当時、彼の携帯電話のアドレスもruriboshiだった。
時が経って、3年ほど前、僕の個展に来てくれた時に聞いてみた。
「その後ルリボシは見つかったの?」
「いや、実は一度も見てないんだ、結局学生の頃、白馬で君と見たやつが唯一で最後だね」
なんと!だとしたらそれはゆうに30年も前の記憶の残像ということになる。
僕と彼は学生の頃、白馬の山荘で夏中バイトをした。
その時に確か薪置き場で僕がそれを見つけたのだった。
個展会場で会話をした時点では、
すでにカミキリ熱はすっかり冷めていたタミちゃんであったけれども、
ルリボシだけはよほど心残りだったと見えて、
僕が、
「いや、行くとこ行けば今も居るって、夏に捕まえに行く?」
と言ったら、二つ返事で「行く」となった。
けれども彼は今やかなり成功した部類の画家であり、とにかく多忙なのだ。
僕とも夏の予定が合わず、なかなかその約束は実現しなかった。
お互いアラフィフとなった今、昔のように気楽に遊べるはずもない。
まあ、そんなものか、と僕は半ば諦めかけていたのだけれども、
それが先日、ひょんなことから叶ったのだった。
すっかりおっさん同士になってしまった二人の日帰り冒険である。
とは言え彼にしてみればやっと取った休み。
ガイド役の僕としてはなんとか口先だけでなく、
結果を残したいとプレッシャーがかかる。
色々と考慮した結果、行き先は栃木方面に決めた。
いるかなあ、いるはずなんだけどなあ。
特別地区や特別保護地区の多い栃木の山間部。
それを避けながらの有力ポイント設定はそれなりに手間がかかる。
もっとも時期的にも全く問題ないし、盤石のコースラインナップのはず。
しかし、
居ない。
早朝から廻った最初のいくつかのポイントでは気配すらない。
山で伐採された広葉樹が積み上げられた場所を土場と呼ぶが、
そういうところにカミキリムシは産卵にやって来る。
産卵にやって来るカミキリムシの活動が最も盛んになるのは夕方だが、
午前中はじっとその上に止まったままの姿が見られる、
はず。
なのに、
ターゲットのルリボシカミキリどころか、
他にも見られるはずの幾種類ものカミキリムシの姿も全く無い。
なんというかあっちもこっちも、からっからに乾燥している印象なのである。
雨、降ってないんだなあ。
ダムを覗き見れば見事に底の泥は深くひびわれたあり様。
首都圏が取水制限もされるわけだ。
昆虫の気配の無さはこの乾燥と無関係ではあるまい。
おまけに、どの林道もどの沢もなぜか大規模に補修作業がなされている。
ああ、そうか、そうだった。大規模豪雨。
昨年9月、あの常総市の鬼怒川堤防を決壊させた豪雨が集中したのは、
上流のこのあたりなのだった。
道理で荒れ方がひどい。
生き物の生息環境に少なからず影響があったとしても不思議ではないのだ。
結局、午前中廻った何処にもその姿は見つけられなかった。
「どうも、今日は見つけられる気がしないよ」
「うん、そんな感じがして来たよ。また来年チャレンジかね・・」
「まあこれが現実ってやつかね」
「そうだね、上手くいかない方が当たり前なんだよね」
すっかりダウナーな二人の中年。
半ばあきらめムードで沢沿いの蕎麦屋でもりそばをたぐる。
あと一か所が大本命ポイントで、もしそこで見つけられなかったらもう今年は無理ってことで
反省会ね。
ああ、大見え切ったのにどうにもばつが悪いなあ、すまんタミちゃん。
と心でつぶやきつつ、ラストポイントへ。
でも、無理だなあ、と落ち込んだところにピンポイントヒットするのが、
ドラマのお約束。
その落差があってこその感動。
現実も捨てたものじゃない。
居ました!
あっちにもこっちにも。

やー、居たね。実に30年ぶりの再会だ。
セルリアンブルーよりはやや淡く、ブルーグレーよりはずっと鮮やかな瑠璃色。
空の色、水の色。
青ははかなくて遠い。そしてせつない。
緑色の昆虫はいるが、青い色の昆虫はなぜか非常に珍しい。
やっぱりこのカミキリムシは特別な昆虫に思えるよ。

採れた? うん、動かないから楽勝。

「やっぱりね、失敗の後の成功体験って必要だよね」
とタミちゃん。
よかった。ミッションコンプリート。僕の肩の荷が下りた。
さて、あとは温泉につかって明るいうちに帰ろうよ。
ああ、昔、良くこうやって一緒に遊んだっけね。
風呂の無いアパートも一番近かったしね。
思いだす。
車中色々な“今”の話をした。
ゆっくりのこんな時間は本当に珍しくて懐かしい。
でも互いに昔通りのことなんて一つもない。
彼だって、今やすっかりお父さんだ。
学生じゃなくなって、もう四半世紀の時が過ぎてるんだもの。
それでいいと思う。その方が楽しい。
久しぶりに会っても過去の話にばかり花を咲かせる旧友に僕は冷めてしまう。
昔話にばかりどうやって笑っていいのか、なかなか思いだせないのだ。
だから同窓会というものが僕は元来苦手だ。
過ぎ去って、もうどこにも無いものを今さら温め直して何になるというのだろうか。
“今”と“これから”の話ができる相手とだけ温める価値のあるのが
本当の“旧交”というものだと僕は思う。
いたずらに古きを温めても、新しきを知る意欲が無いならば、片落ちだ。
賢者は和して同ぜず、愚者は集えども和成らず。
ともいう。
離れていても時間がたっても、
“今”というピントを瞬時に合わせられるのが
僕には理想的関係で、自分自身の望む、寄りかからない立ち方に思える。
賢者にははるか及ばなくとも、そうありたい。
ルリボシカミキリの遠い青を目に焼き付けつつ、
46℃の高温の湯に二人同時に身体を沈ませて、思わず声が漏れる
「あ”〜〜〜〜〜熱い!」
それでいい。