2016年06月25日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その3

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うちの旅行では必ず立ち寄る場所が、土地土地の信仰の場。
日本でも外国でも。
理由はいろいろあるけど、そこで長いこと大切にされているものをそっと見てみたい、
という好奇心が一つ。
二つ目に、信仰の造形というのは、僕みたいな生業の人間には、
なんだかいろいろ基本のような気がするから。
博物館にあるのも立派だけども、現役の信仰の形を環境込みで触れられるのは
まあ、非常に興味深い。


最初の写真は、津軽の名峰 岩木山を望む岩木山神社。弘前や五所川原から近い。
雨でなかったら未だ残雪を纏う津軽富士、岩木山が本殿のはるか向こうに臨めるはず。
今日は残念。


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狛犬も立派だ、りりしい。
片方に角があって、片方は無い。
これは諸説あるけれども、あるのが狛犬で、ないのが獅子。
という理解が一般的。決まりはないそうだけれど。
獅子は大陸由来で、狛犬はそこから我が国で改良を加えられたオリジナルの発想、
と僕は大まかに理解している。
造形とは何事も先行するテキストの模倣と工夫の繰り返しなのだ。




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長い参道が終わって石段を上がれば楼門なんだけど、
ん!? 石段の登りきった両脇の石柱の陰に何かいるよ。




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おやあ!?




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んま〜〜〜〜〜!
なんとめんごい!!


そして左側で対になるのが

この子。


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さらにめんごさ増し増し!!!!!
逆立ちしてる〜〜〜〜〜


なんだかもう造形が自由過ぎて狛犬なんだか何なんだかわからない。
こんな神獣がいたら迷わず連れて帰りたいよ。
何食うのかなあ、雌雄はあるのかなあ。



石柱と一体で彫りぬかれているから、
あとから誰かが寄進した、というのとも違うのかもしれない。
石段ごと寄進なんてあんまり聞いたことないもんなあ。
造営時かはたまた改修時に計画的に
造られた狛犬に違いない。
やるなあ、センスあるなあ。岩木山神社。


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本殿へ。



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本殿脇にある狛犬がこれ。

これもなんだか笑っている。
本殿の彫刻もすごく立派だったけど、
今回は狛犬つながりでこのまま行こう。





津軽からずっと南下して、
宮城県塩釜にある塩釜神社の強烈なインパクトの狛犬がこちら。



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オルメカー!


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アステカー!!


ついでにこれも。


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ティオティワカーン!

これは岩木山神社の手水口。



すごいぞ東北!一体中南米の古代文明とどのようなご関係で!?
濃いなあ。





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はい、ここでちょっと休憩ー。
これも塩釜神社。



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これはやはり宮城県多賀城市のとある神社のもの。
なぜか石ころ一杯。
そう、石はいいよ、石はね。
でも気をつけないと取り憑かれるからね。

甲斐の国の方に丸石神という不思議は石信仰があるけど、
こっちにも似たものがある気がするなあ。
どうなんだろう。


そして最後に同じ多賀城市にあるちょっと変わった小さな祠。


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そのまま鳥居をくぐると、普通の農家の庭に入ってしまう。
ありゃりゃ?と玄関の前を通り過ぎると庭の奥に社がある。


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アラハバキ神社という。
アラハバキの解釈にはこれまた諸説あって、
ハバキは脛巾、という足に巻く旅装であるから、足を中心とした腰から下の神様であるとか、
蝦夷の一つであるアラハバキ族の信仰した神であるとか、
蛇神など、解釈の裾野は広い。
少なくとも、古事記や日本書紀に登場するようなメジャーな神様ではない。
いずれ土着の古い神には違いない。


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だから子孫繁栄的なそれであったり、


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鉄のわらじや義足だったり、


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ちなみにこちらはアラハバキ神の社の隣にある養蚕神社。
ハサミが奉納されているのは。
お蚕様⇒紡績⇒裁ちばさみ⇒病の根を切る。
ということらしい。
裁ちばさみから病、の間に発想の飛躍があって面白い。

自由連想ゲームだ。
こういうのがこの国の戒律的でない信仰の
おおらかな性格を良くあらわしている気がするなあ。


お隣の岩手、遠野地方を舞台にした遠野物語を読んでると、
すさまじいものも多い。
いわゆる姥捨て山、でんでら野の跡地にも鳥居と祠が建っていたけれども
山の中ではない、里の田んぼのほんのはずれである。昔は違ったのかな。
なんにせよ、生きてゆくだけでも厳しい土地柄に違いないはずだっただろうに、
信仰の形にはどこかおおらかさがただよう。
現実とお話の絶妙なオーバーラップと、
逆に絶対に相容れない残酷なギャップみたいなものの同居が
懐の深い東北地方の物語の源泉みたいな気がする。


遠野物語と宮沢賢治だけでも岩手は十分楽しめそうだ。

東北は狛犬の名品 珍品もとにかく多い。
有名な遮光器土偶も津軽で発見された。
縄文の遺物も数多い。
独特の造形感覚と物語感覚が、この陸奥(みちのく)の広大な土地を貫いているのがわかる。
今回は、岩手も通り過ぎただけだったし、
そっち系を追いかけるには全然時間が足りなかった。
欲張るのも限度がある。

「信仰の形と物語」とか。

今度そういうテーマで陸奥の国を旅をしたいなあ。
広いな東北。















posted by 前川秀樹 at 21:33| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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