2016年06月28日

7月ルビジノ

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2016 aomori


梅雨も半ばを過ぎましたか。もうちょっとかな。
今年は首都圏の水不足がかなり深刻な様子。
水源に雨が降らないではどうしようもない。
茨城でも、例年よりも若干雨の日が少ないように思います。

さて、7月ルビジノ 

2日(土)3日(日)4日(月)5日(火)

がオープンです。
蓮の葉もぐんぐん伸びて蓮田の水面は日に日に深い緑で覆われて行きます。
が、蓮華の開花までにはちょっとまだ早いかなあ。
お待ちしています。


posted by 前川秀樹 at 20:39| ルビジノ情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その4

最後は東北旅徒然。
思ったよりも写真を撮ってなかったなあ、
でもどこも色彩の美しさには本当に改めて新鮮な印象を持った。


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冬は北西から、夏は南東から、季節風が常に吹き付ける竜飛岬。
今日は南からの湿った風が山に当たって雲になって、
ずっと霞んでいる。
風下に当たる日本海側はだから穏やかなままだった。


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おお、カメノコテントウ。
久しぶりに見た。やっぱり大きい。


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そういえば、6月の北海道もこのフランスギクが満開だったなあ。


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こう言うところから石が生まれてくるんだねえ。
でもこういう水気の多い所って・・・・・


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ほらな、こういう危ないのがじっと獲物を狙ってたりするから要注意だ。
マムシも久しぶりに見た。
けんのんけんのん。


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白神からの帰り道、JAショップを見つけたので立ち寄ったら、
あったあった、ご当地アイス。種類がものすごかった。
迷いに迷って、この2本。
でも、二人でどちらか一本でよかったかな。
すっかり身体冷えてるの忘れてた。



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陸奥の果ては茨城からでもやっぱり遠い。
茨城空港 青森空港間の飛行機便が就航してくれればいいのに。
車だと茨城の家から青森まで約9時間。
旅程のうち前後二日間はほぼ移動だけになってしまう。
若いころは平気だったけど、二人で交替で運転しても
けっこう疲れるようになってきてしまった。
というより飽きる。
とはいえ、うちのスタイルとして、
融通がきいて、好きなところで立ち止まることができる、
自分の車が一番適していることも否めない。
陸奥、魅力的なスポット濃縮満載なことを知ってしまったから、
ぜひまた長距離ドライブで行ってみたいと思うけれども
悩ましいところだ。

おくの細道を思い出す。
松尾芭蕉はまあ、東北、北陸なので、ルートがぜんぜん違うけれども
記録によれば、3月16日江戸深川を出発して、
ぐるりと東北北陸を廻り、美濃つまり今の岐阜県の大垣に到着、再出発
したのが9月6日、約150日の旅である。
ほとんど徒歩で。
恥ずかしながら、それが早いのか遅いのかすら僕にはわからない。

歩かないと見えないことも多い。
とくに現代人の僕らはそうだ。
高速道路で早送りなんて、無粋で
たぶんいろいろもったいないことをたくさんしているに違いない。

しかし振り返ってみれば日常がすでにそうだ。
ただ過ぎる、そういうシーンは記憶にも残らず
何事もなかったことのようにするりと過ぎてしまう。

人生には大中小の結節が必要だ。
だから時々は早送りボタンを通常の再生モードにしたりスローモードにしたり
一時停止にしたり、調節できる機能が今の僕たちにも
ちゃんと備わっていることを思い出して確認しないといけない。

その時間の不均質な流れの隙間に、感動とか驚異とか美がふいに立ち現われたりする。
そういうものが最初の動機に存在しないようなものつくりはするべきでない、
とあらためて思う。
いや、そうありたい、かな。
芸術家にとって旅は休暇や休息ではないのだ。



posted by 前川秀樹 at 12:24| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月25日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その3

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うちの旅行では必ず立ち寄る場所が、土地土地の信仰の場。
日本でも外国でも。
理由はいろいろあるけど、そこで長いこと大切にされているものをそっと見てみたい、
という好奇心が一つ。
二つ目に、信仰の造形というのは、僕みたいな生業の人間には、
なんだかいろいろ基本のような気がするから。
博物館にあるのも立派だけども、現役の信仰の形を環境込みで触れられるのは
まあ、非常に興味深い。


最初の写真は、津軽の名峰 岩木山を望む岩木山神社。弘前や五所川原から近い。
雨でなかったら未だ残雪を纏う津軽富士、岩木山が本殿のはるか向こうに臨めるはず。
今日は残念。


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狛犬も立派だ、りりしい。
片方に角があって、片方は無い。
これは諸説あるけれども、あるのが狛犬で、ないのが獅子。
という理解が一般的。決まりはないそうだけれど。
獅子は大陸由来で、狛犬はそこから我が国で改良を加えられたオリジナルの発想、
と僕は大まかに理解している。
造形とは何事も先行するテキストの模倣と工夫の繰り返しなのだ。




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長い参道が終わって石段を上がれば楼門なんだけど、
ん!? 石段の登りきった両脇の石柱の陰に何かいるよ。




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おやあ!?




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んま〜〜〜〜〜!
なんとめんごい!!


そして左側で対になるのが

この子。


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さらにめんごさ増し増し!!!!!
逆立ちしてる〜〜〜〜〜


なんだかもう造形が自由過ぎて狛犬なんだか何なんだかわからない。
こんな神獣がいたら迷わず連れて帰りたいよ。
何食うのかなあ、雌雄はあるのかなあ。



石柱と一体で彫りぬかれているから、
あとから誰かが寄進した、というのとも違うのかもしれない。
石段ごと寄進なんてあんまり聞いたことないもんなあ。
造営時かはたまた改修時に計画的に
造られた狛犬に違いない。
やるなあ、センスあるなあ。岩木山神社。


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本殿へ。



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本殿脇にある狛犬がこれ。

これもなんだか笑っている。
本殿の彫刻もすごく立派だったけど、
今回は狛犬つながりでこのまま行こう。





津軽からずっと南下して、
宮城県塩釜にある塩釜神社の強烈なインパクトの狛犬がこちら。



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オルメカー!


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アステカー!!


ついでにこれも。


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ティオティワカーン!

これは岩木山神社の手水口。



すごいぞ東北!一体中南米の古代文明とどのようなご関係で!?
濃いなあ。





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はい、ここでちょっと休憩ー。
これも塩釜神社。



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これはやはり宮城県多賀城市のとある神社のもの。
なぜか石ころ一杯。
そう、石はいいよ、石はね。
でも気をつけないと取り憑かれるからね。

甲斐の国の方に丸石神という不思議は石信仰があるけど、
こっちにも似たものがある気がするなあ。
どうなんだろう。


そして最後に同じ多賀城市にあるちょっと変わった小さな祠。


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そのまま鳥居をくぐると、普通の農家の庭に入ってしまう。
ありゃりゃ?と玄関の前を通り過ぎると庭の奥に社がある。


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アラハバキ神社という。
アラハバキの解釈にはこれまた諸説あって、
ハバキは脛巾、という足に巻く旅装であるから、足を中心とした腰から下の神様であるとか、
蝦夷の一つであるアラハバキ族の信仰した神であるとか、
蛇神など、解釈の裾野は広い。
少なくとも、古事記や日本書紀に登場するようなメジャーな神様ではない。
いずれ土着の古い神には違いない。


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だから子孫繁栄的なそれであったり、


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鉄のわらじや義足だったり、


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ちなみにこちらはアラハバキ神の社の隣にある養蚕神社。
ハサミが奉納されているのは。
お蚕様⇒紡績⇒裁ちばさみ⇒病の根を切る。
ということらしい。
裁ちばさみから病、の間に発想の飛躍があって面白い。

自由連想ゲームだ。
こういうのがこの国の戒律的でない信仰の
おおらかな性格を良くあらわしている気がするなあ。


お隣の岩手、遠野地方を舞台にした遠野物語を読んでると、
すさまじいものも多い。
いわゆる姥捨て山、でんでら野の跡地にも鳥居と祠が建っていたけれども
山の中ではない、里の田んぼのほんのはずれである。昔は違ったのかな。
なんにせよ、生きてゆくだけでも厳しい土地柄に違いないはずだっただろうに、
信仰の形にはどこかおおらかさがただよう。
現実とお話の絶妙なオーバーラップと、
逆に絶対に相容れない残酷なギャップみたいなものの同居が
懐の深い東北地方の物語の源泉みたいな気がする。


遠野物語と宮沢賢治だけでも岩手は十分楽しめそうだ。

東北は狛犬の名品 珍品もとにかく多い。
有名な遮光器土偶も津軽で発見された。
縄文の遺物も数多い。
独特の造形感覚と物語感覚が、この陸奥(みちのく)の広大な土地を貫いているのがわかる。
今回は、岩手も通り過ぎただけだったし、
そっち系を追いかけるには全然時間が足りなかった。
欲張るのも限度がある。

「信仰の形と物語」とか。

今度そういうテーマで陸奥の国を旅をしたいなあ。
広いな東北。













posted by 前川秀樹 at 21:33| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月24日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その2


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 昨今の出来すぎたCG画像の視覚的愉悦には、一種の中毒症状がある。
SFやファンタジー系の映像は、ほんの少し前までは想像で補うことで完成していた夢のような光景を、
まるでそれがどこかにある現実であるかのように、脳の外に投影することに見事に成功している。
観客はもうあれこれ考える必要もないし、持ち前の想像力を発揮して、
至らない部分を補完する必要もない。
それは大変なことだが、ここでは触れない。

しかしそこには確かに、知らず身をゆだね、脳をとろかしてしまうような
誰かが仕掛けた視覚的愉悦というドラッグが存在する。

 

 僕は、海岸という場所を、そういう体験をする原型の場であると勝手に思っている。
もっともこちらは交じりっ気なし未調整天然ものなので、
作用する人とそうでない人を大きく振り分けてしまうに違いないけれど。
とりたててこちらが考えたり、積極的に理解に努めようとするのでなく、
ゆだねることが一番の作法だという事を、
子供のころから僕はよく知っている。

波や強い風や足音、どれも繰り返しでありながら、同じではない。
スクリーンは足もとに広がっている。
次々現れる驚異の場面が何処までも延々と続く。
一晩でまたその場面は変わる。
それは世界が終わるまで続く。

この北の波打際がそんなヴィジュアルドラッグの事を強く思い出させる。
どこまでもどこまでも続くフィルム。
そのフィルムには同じコマはひとコマもない。
そして、実際にその場所に立って思った。
どうやらここのは強烈に効く。



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で、ようやく“石”である。
“石ころ”である。
大切な役者である。
ここのはとにかく、たたずまいが、いや石ころにそれはないか、
転がりずまい?が絵になるのだ。
一つ一つもこれまた、主役級の実力者ぞろい。
こんなフィルムは絶対に実現不可能だろう。
という現実の場所がまさにここにあるのだ。

石ころをつい拾って帰ってしまう子供だった過去、を述懐する人は意外と多い。と思う。
子供は何故それに手を伸ばすのか?
それもここではふれない。

今日はとりあえずそういう難しいことを考えたくないのだ。
ただ脳の高揚感をそのまま丁寧にどっぷり味わいたいだけ。それだけなんだ僕は。

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丁度岩手で仕事のあった、さすらいのひよこ鑑別師、サンペイ君と合流。
明日まで3人の旅程とあいなった。
さあ、一緒に脳をとろかすのだ。
君もまたそんなりっぱな変態の一人だと僕は認識している。
その証拠に、今日のこの場に臨んで、彼は自前の籠と潮干狩り用の熊手を購入してきていた。
波打際を果敢に攻めるためだ。



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 やれやれ一服。興奮しすぎて疲れてはないけど。
サンペイくんが熱い珈琲を野点してくれた。
腰を下ろすとなぜか必ずカモメが物珍しそうに寄って来る。
道中、農協で買った林檎を食べて、その芯を投げてやると、
すぐさま咥えてはペッと吐き出す。彼らはそのあと必ず、ミャア、と一度鳴く。
3度やって3度ともミャアと鳴いた。
「なんだよ!」とか、
「ケッ!」とか、いずれそんなミャアなんだろう。


さて、みなさん、成果は?

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おお、五色 錦 なんでもありの色彩である。

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だからこんなこともやってみたくなる。

ここからは家でちょっと磨いたりして撮影した写真。何石とか構成鉱物とかそういうのもまあここでは
触れない。

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さて、十分堪能した。
日が暮れる前に宿に向かおう。

しかし僕はここでだんだん異変に気が付き始めた。
困った。車の窓から見える風景がなんだか変だ。
特に視界の端っこの方。
何時間も、下だけを向いて、色と模様と形と、その取り合わせの妙と、
そういうものだけに集中して見続けると、
ナチュラルドラッグを摂取し続けると、
果たしてどういう事が起こるか。

北海道がかすむ灰色の水平線にも、
重い雲に押しつぶされそうな薄紅色の夕焼けの帯にも
岬に張り付き波打つ深緑の柏の森にも
大岩のダイナミックな褶曲にも 
標識にとまるホトトギスの胸の絣模様にも。
鉄柵に浮き出た錆びにも、
露天温泉の給湯口に厚くこびりつくカルシウムの層にも、
布団で目を閉じても走馬灯のように(笑)
すべてに、

石相を見てしまうようになるのだ。
目に見える全部、これ“石”なのだ。

ああ。。。僕の目、こうなっちゃうのかー。
石に取憑かれるってこういう事なんだねえ・・・、
としみじみ自覚。

でも、遠大な風景も豆粒のような石ころも、マクロもミクロも本来的には違いはないのか。
とも思う。
人の身体のサイズとか、日常の価値を基準にそれとこれとは別物ですよと決めているだけで、
人の存在とは関係なく、
本来石は小さな風景だし、山は大きな石ころの表面なのか。
海は濡れた石ころの滑らかな表面なんだな。
人類学者レヴィ・ストロースのいう“野性の目”
それは案外こういう単純なものなのかもしれない。
面白い発見だこれは。

そんなふうにちょっと言葉を組み立てて見て、
溶けた脳の体裁を整えようとしてみたり。


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夕飯のとき、スズキのお造りをつつきながら、向いのサンペイくんに、

「目を閉じてても開けててもさあ・・」

「あー、キますよね」

「なあ、クるよなあ」


トロの切り口が赤い碧玉の縞模様に化けてしまう
今日は、そんな石のお化けの話。
















posted by 前川秀樹 at 12:43| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月22日

行くぜ東北!セルフキャンペーン その1

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 広島展の終わった翌日、車で一路東北へ。
山とか海とか、とにかく町から離れたくて。
今日は森の日。
秋田県から青森県まで広がる白神山地が世界遺産に登録されたのは1993年のこと。
人の手が入っていない現生の形で残るブナ林が有名だ。

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青森県の弘前からほど近く、車で手軽にアクセスできるここ白神の森は、
白神山地の北のはじっこに位置する。
丁度東北地方の梅雨入りと重なって、この日は雨。
雨の山はこれまで歩いたことないなあ。ちょっと気が進まないかも。
最初は、カッパ着てまで山歩く?
と思っていたけど、実際に歩き始めて見ると、
いやいや、前言撤回。
雨、いいじゃないか!
むしろ最高じゃないか!

誰も歩いてないし。望むところだ。


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ブナ、ミズナラ、カエデ、ホウ、オオカメノキ、ナナカマド。
これがこの島国の本来の懐の深い混成林の姿だという。
初めて歩く雨の森がこんなに静かで優しげなものだとは思いもしなかった。
新緑に染め抜かれた翠霧が、身体の内側まで染み入って来るようで、
細胞レベルで浄化されていく気がする。
僕はこういうところにくると、訳もなく叫びたくなったり
瑣末な問題とか、いろいろどうでも良くなって、
服を全部脱いでしまいたくなる。
それは多分、普段忘れている野性のような気がする。
まあ、実際にはやらないけど。
人の手がほとんど入っていないとはいえ、
今歩いているのはちゃんとした遊歩道だし、
今日はたまたま人気がないだけで、
本当にどうでもよくなったりしたら大問題である。
最近のクマ出没に勝るような話題の提供者にだけはなりたくない。


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途中、聴診器が置かれていて、説明通りそっと樹肌にあてがってみる。
遠くに絶え間なく流れる川があるみたいだ。風の音ではない、葉っぱの擦れる音でもない。
波の音でもない。
なるほど、これがこの時期のブナの旺盛な生命力の証というわけだ。
この一本の中に重力に逆らって小さな川が流れている。
すごいな。


途中、尾根道で一人で木道整備をされている方に出会った。


「今日は静かでいいですね」
「ああ、こういう日は熊も知っていて、ひょこっと樹の蔭から顔出したりすんだ」
「え!?やっぱり熊、生息域なんですね」
「ここのはおとなしいよ。向こうも用心してっから。
この峰で15頭ばっか確認されてるけど可愛いよ」


白髪のおじさんののーんびりした東北訛りが翠の霧になんだかやけになじむ。
つかのまの緊迫感がすっかり薄らぐ。
そんなだったらちょっと見てみたいなあ。
あの倒木の陰とか、あっちの大きなうろのあるミズナラの向こうとか、
通り過ぎてくれたら出来過ぎの絵になりそうだ。


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それからずっと霧に映る獣のシルエットを注意しながら探して歩いたけど、
残念ながら何も現れなかった。


ヒョーホホホホ。

レインフォレストのどこかでキョロロ(アカショウビン)の鳴き声が、降りそそぐ。
身体も冷えたし温泉、楽しみだ。








posted by 前川秀樹 at 21:23| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

広島展 終了御礼

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 すでに先週のこととなりましたが、
広島、ギャラリーたむらでの像刻個展、
12日に御蔭さまでご好評のうちに終了いたしました。

もう広島も5度目、ギャラリーを切っ掛けに知った顔も増え、
すっかり馴染みの場所となりました。

今回も沢山の方々があたたかく迎えてくださって、
嬉しい思いを沢山いただきました。
あと、バターケーキとかカヌレとか、おせんべいとか(笑)
皆様本当にありがとうございました。
感謝いたします。

次回、のお知らせの前に、
実は半年後、12月に同じ広島県の呉で、
木偶ワークショッププランが進行中です。
そちらは確実なことになったら、
参加者募集の事とか、またお知らせいたします。
西方面の方々、今年はもう一度お目見えできることになりそうな感じですよ。

また楽しみにしております。
posted by 前川秀樹 at 15:57| 作品発表、展覧会情報、等。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月07日

翠雨連綴 前半終了

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翠色の雨を避けて、つかの間の雨宿りのうちにだけ
語られるよしなしごと。

今回はそんなイメージをしていたら、
初日 4日に中国、四国、近畿が梅雨入り。
翠雨連綴、しつらえたようなジャストタイミングのスタートとなりました。


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広島 ギャラリーたむらでの像刻展は早くも5回目。
毎回お会いできる常連の方、初めての方。
西日本に住む知人友人。木偶講座の生徒さん。27年ぶりの再会。
回を重ねるごとに本当にたくさんの方々とお話しすることができる貴重な場所になっています。
今回も幸いなことに、僕の在廊中は人が途絶えることがなく、
温かい歓迎や期待といった熱に触れるにつけ、
重ねることは大切だなあ、と僕はしみじみ実感します。
こんなにありがたいことはないのです。

 正直に言うと、初日の前日、展示準備中は、
前回までは良かったけども、
明日、ぱったり人が途絶えたらどうしよう。
と思います。
だから、前日はとにかく不安で気持はお互い沈みがち。

「明日どうかな」
「さあ・・・なんとも読めませんよね・・・・」

そんなどんよりが一日でぱっとハレの日に転換するわけですから、
その落差は、思いのほか大きく、初日、良い反応をいただけたときには、
だからホッとする、というよりも正確には、僕らは感動してしまうんです。

その転換が、ちゃんともたらされたときに、
貴重な個展の機会がルーティンに陥っていないことを
はじめて実感できるわけです。

25年も作家をやっているのに、未だに一回一回です。

僕は昨夜ここ茨城に帰宅したのですが、
展覧会はまだまだ今週いっぱい、12日、日曜日まで続きます。
これからの方、再訪の方。
雨宿りの物語にぜひ、足を運んでいただけたら幸いに思います。
どうぞよろしくお願い致します。

こちら茨城でも灰色の雲間にホトトギスが盛んに鳴きはじめましたよ。






posted by 前川秀樹 at 13:19| 作品発表、展覧会情報、等。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

6月ルビジノ

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2016 may ibaraki




梅雨入り前のルビジノ。
雑草がすごいことになっています。草刈りを考えただけでうんざり。

とは言え、がんばって今月もオープンしますよ。


6月 4日(土)5日(日)6日(月)7日(火)

です。



 作品荷物の発送を終え、あとは搬入日までこまごま準備が残っているのだけど、
まあ、一日くらい休もうと思い、
昼から海へ。
展覧会直前だし、英気を養わねばな、
それを理由にして石拾いとか。

今日は潮がよく引いていて岩場が穏やかな浅瀬に。
長靴ごしに感じる水の冷たさもまた心地よい。
水につかった石って本当に色鮮やかに見えて、
あれもこれもと手にしてしまう。
ところがしばらくして手の中を見ると、
がっかり。どれも白茶けちゃって。
これがおきまりのルーティーン。

そしてその度に、まあ、現実ってこんなもんだ、そんな甘いわけがない。
と、呟いてみる。でもこれは言いわけでなく、むしろ納得。
「甘くない」という程よい現実感に、
多分、自分の心はどこかで安堵している。

沢山拾った中で、僅かながら期待が長持ちする“いいもの”が交じっている。
その希少さをじんわり嬉しく味わう時まで、沢山のがっかりや甘くないを
下ごしらえとして経なければならない。
そうあってほしいと思う。

さて、今日の“いいもの”一等賞がこれ。

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黒い部分が層をなしたガラス質、ぽこぽことまるい団子状。
状態は瑪瑙や玉髄の仲間には違いないけど、
黒い色や白っぽい層が謎。表面が白っぽいけど多分割ってみれば中は黒。
こんなの見たことないなあ。

その浜一帯で同様の石はいくつも見つけたられたけど、
ちょっと離れた浜のメノウはどれも白濁半透明なのに
どうしてここのは・・・?

いやいや全く素人の見当違いで実はこれメノウじゃないのかも。

そんなことをあれこれ想像して考えさせられるだけ少なくとも
この何の変哲もない石ころにはある種の力が宿っているといえる。
綺麗なだけじゃなくもしかしたら珍しいものかも、とじわじわ嬉しくなる。

 僕はパワーストーンやパワースポットという昨今の安直で依存的な臭いのする
ことばが苦手だ。

「ここはパワースポットとして有名なんです」
「すごいですねえパワー感じますよ!」

とか、そういうテンプレートなやり取りがテレビの中から聞こえてくるたび、
それは気のせいなんじゃ・・・・。
と冷めていく正直な自分がいる。
気のせい、も悪くはない。とは思う。
本当にそう感じたならその受け答えでいいとも思う。
けれども、
なんでもかんでも誰かの言ったことを疑問を持たずありがたがって
鵜のみにしてしまうのは如何なものかと思う。
同じように何でもかんでも難癖をつけるだけなのも、
受け答えがテンプレートであるという点において、基本的には鵜のみと同質だ。
その場合“鵜のまず”とでも呼ぶのだろう。
烏合の衆なんて言葉もある。
でも人は鵜や烏じゃないんだから。

僕にとって物の持つ力とは、自分が強く魅力を感じるかどうかであり、
それを殊更に不思議だと思える対象であるかどうか、
その2点に尽きる。

謎、とは知らないという事がわかること、
不思議とは、そこから一歩出て、なんだかうまくおさまらない解釈を試みてしまう事。

自分がいま知らないことはこれなんだな、と気が付くこと、部分的無知の認知、これが“謎”だ。
ある部分、あるいは虫食い状にすとんと抜けていて、全体が明快じゃないから
これは居心地がわるい。
そこでいろいろ考える。
解釈をしようとする。
上手くいかない、
なぜか?
それは多分その謎の解釈が間違っているから。
で、おや、不思議だね、となる。

そこで一端、不思議を忘れ、
解らないこと、謎の状態に頭をリセットする。
的確に空欄を埋めれば、
きっとパズルが解けるように腑に落ちる“理解”が得られるに違いない。
それで焦ってまた間違った答えを代入してしまう。

そういう、謎と不思議の行ったり来たり、
一歩手前のほころび状態はもどかしい半面、実に魅力的だ。
で、ちゃんと知りたいと思う。心にそういう力が湧く。
反面、その宙ぶらりんな感情をそのままに保存したいとも思う。
宙ぶらりんでもいいのじゃないか?

それは夢から覚める直前のような甘やかさにも似ている。
それが“不思議”という感情だ。と僕は考えている。
だから僕がいつも探しているのは、虫や石ではなくて、
より大きな不思議との出会いなのだろう。
言いかえれば、僕は世界の正解をいち早くつかみたいのではなく
まずは誤解してみたいのだろうと思う。
それは僕の認識作法のようなものだ。

16世紀の貴族たちや、20世紀のシュルレアリスト達の言葉を借りて
ちょっと気どって言うなら、
ヴンター、つまり驚異との出会いに対する憧憬である。

不思議(誤解)の予備軍は多分最初から自分の中にある。
魅力的な“物”との出会いはそれが発芽する切っ掛けにすぎず、
栄養ドリンクのように分からない何かが知らないうちに体内に流れ込んできて
不思議パワーでなんだか元気になる、
そういう受動的なものではない。
そんなのは気のせいだ。
思わぬ者、意思持たぬ者に世界との相互干渉作用は決して訪れない。



 さて、今回の黒いメノウ?のパズルは、
甘やかな感情のままにしないで、
考えが尽きた頃あいに専門家に見てもらって、
答え合わせをしようかな。と思う。
多分、ありふれたたわいのない答えが返ってきて、
がっかりするかもしれない。
それほど現実は甘くない。
でもそれでいい。
僕は鵜じゃないから。















posted by 前川秀樹 at 19:43| ルビジノ情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする