隣町つくばでささやかに毎月開かれている 筑波ジオカフェ。
偶然にも二人の年上の友人から情報をいただいて、
なんだそりゃ?と調べてみたら、
要するに主に筑波山周辺のの地質なんかについて、専門家のレクチュアを受けませんか?
お堅いものではないですよ、お茶でも飲みながら。
という軟式めいたイベントらしい、主催は何処なんだろう、良くわからない。
昨夜のお題は、筑波山の麓のある地域の古い石碑やお地蔵さんなんかの石造物が
何処の石で造られていて、その推測可能な産地から、
当時の地方と地方の交流や石工の様子なんかを推し測ってみよう、
というもの。
平日の18:30〜という微妙な時間帯のようなので、
そんなマニアックなイベント、どのくらいの集客があるんだろうとおもって出かけてみたけれど、
始まれば意外や意外、用意された20席あまりの座席はほぼ満席。
参加年代は、これはまあ予想通り、定年を迎えたかに見える
ひと癖ふたくせありそうな年配紳士たちがほとんどだった。
僕ら二人はその中ではもっとも若造。
にしても、きちんと専門家から、何かを教わるという事が
なんだかものすごく新鮮に感じた。
知らないことを知る。知りたかったことを知るというのは、
春の慈雨のようにじわっと温かい熱がしみ込んでくるようで
幸せな気分の2時間だった。
単に少しばかり知識が増えた事よりも、
思いもよらなかった新しい視点に出会えたような気がするからかもしれない。
思いおこせば、僕は学生の頃、美術館よりも博物館に足を向けることの方が多かった。
いろんな講座にもまめに顔を出していた。
もちろんフィールドに出かけることはもっと多かった。
美大生なんだからしっかり絵を学べよ!
お前がちゃんとしておかないから。
と今の自分からはきつい突っ込みを入れたくなる。
すっかり出不精になってしまった昨今、
しばらくこういう気分は忘れていたんだけれども、
うん、これはいいことだ。
自分もワークショップを続けているのだから、
たまには立場を逆転して生徒になって初めて分かることも存外に多い。
知りたいことや、理解が必要な事柄を何となく棚上げにすることに慣れてしまっていた。
自分の長年の知的怠慢をちょっと反省した。
それも学生の頃、自然科学の不思議をたくさん抱えて持てあましていたことを思い出す。
今のように気軽に検索できるツールなんて普及していなかった時代の話だ。
美大から国立科学博物館の古生物研究室に進んだ風変わりなゼミのI先輩に
あれやこれやとその都度なんでも聞いていたら、
「お前の本当に知りたいことへのぴったりの答えは、俺は持ってないよ。多分何処にもズバリのことは書かれてない。 知識となんていうのは結局自分でさがして、それに近い小さな事柄を地道に組み立てたどり着くしかないのだ」
そんなかっこいいセリフでやんわりと愛ある距離を置かれたことがあった。
根気も根性もない僕は、え?何処にも載ってない?
じゃあ、ムズカシイ本とか無理して読んでも無理かあ・・・。
じゃあまあこのままぼんやりとした疑問のままでいいか。
などと、学徒にあるまじきふまじめな事を想ったものだ。
実に怠け者の僕らしい発想だけれども、いまさらながら全くなんてやつだ。と思う。
そんなふがいない後輩の反応にI先輩はきっとがっかりしたことだろう。
今になって、申し訳なかったなあとか、もったいない時間を過ごしたものだなあ、としみじみ思う。
時を経て深い理解や納得にたどり着くことは至福の感動だ。
だから、面倒くさがらずに日々ちゃんとちまちま栄養を摂取しよう。
いまさら、という事もあるまい。
出来る範囲で、あの先輩紳士たちの姿勢を見習うとしよう。