
沼津にある
ベルナール・ビュッフェ美術館で12日に始まった、
ロベール・クートラスの大回顧展。
クートラスといえば日本ではタロットカード(フランス語ではカルト)のようなカード形の
作品が有名だけれど、
今回はグアッシュ、テラコッタ、制作ノートやデッサンなど
展示内容は多岐に及び、その作品量と質において、日本ならずとも
おそらく前代未聞の大回顧展といっていい。
彼の作品のすべてを現在管理なさっているのが、岸真理子モリアさん。
彼女はクートラス氏の最後の恋人である。
彼女が来日されて、
トークショウならびにレセプションパーティがあるとお知らせをいただいたので、
出かけて来た。
例によって青山で土器さんをピックアップしてのドライブ。
オープンしたての時間帯に到着したこともあり、展示はゆっくりと見ることができた。
もう、唸るしかない内容である。
なんというツボを心得た画家なんだろうか。
何のツボかというと、誤解を恐れず平たく言えば、
どれもこれも欲しくなる、物欲を的確に刺激するツボである。
身近に置きたい、できればずっと毎日のように眺めて暮らしたい、
カルトに巧みにちりばめられた染みのようなテクスチュア一つにこれほどの情報量を
どうやったら凝縮できるものなのか。
そう思わせるような魅力をこれでもかと、
作品たちは何にはばかることなく奔放に醸し出していた。
作品が観る人の物欲を刺激するからといって、
クートラス氏自身が生前、その売買に関して積極的だったのかといえば
それは全くの逆で、パリの小さなアパルトマンで制作に明け暮れた毎日は
ただただ造りため込むばかりの、困窮が常の暮らしだったらしい。
まあ、観客目線で言えばそういう生活ベースを想定したほうがしっくりくるような性質の作品群だ。
画廊との契約関係を断続的に仕方なく続けながら、
カルトが売れた日には逆に落ち込んでしまう、という
ある意味困窮が保障されたような(苦笑)画家だったときく。
真理子さんからその話を伺った時、それ、いつの時代の話?
と正直思わないでもなかった。
考えてみればそれはほんの25〜30年ばかり前の話だから、
日本ではバブル真っただ中の頃なのだ。
当時のフランス美術界画壇にも時流の表現にも、おそらく彼は一切興味がなかったのだろう。
生まれる時代を間違えたのでは、と僕は素朴に思ったし、
以前彼の友人が似たようなことを
彼に向って言ったというエピソードを思い出して改めて
真理子さんに聞いてみた。
「中世に生まれればよかったのに、そう彼の友人が言ったそうですが、彼自身も自身の中に中世的なモティーフや魂みたいなものを強く意識していたんでしょうか?」
「いいぇ、かれはそんなこと何も考えてなかったと思いますよ。何しろ石工の修行をするのに良く観たものといえば教会や修道院でしょうから」
との答え。
なるほど、さもありなん。
同時代の画家の絵なんて彼には多分興味の外だったのかもしれないし、
これだけがやりたかった。これだけを描きたかった。
ただそれだけで、
これ、というか教科書がたまたま、中世に造られた造形物だったという事なのだろう。
とはいえ、だ、クートラス氏の根っこの部分に共鳴しえたのがそういう古の品々であったというならば、
やはり呼応する相応の根底はもともと備わっていたのでは、と考えてしまうのだけれど、
もしも御本人にお会いできていたならば、
今一度、根底の横たわるそれ、についての本人の自意識を直接問うてみたかった。
今となっては叶わない願いの一つではある。
アウトサイダーなどというのは、いわゆる画壇を十分意識して、
それに対する位置づけなのだから、
彼にとってはそんなことすらどうでもよかったのかもしれない。
すごいことだ。
本当にいつの時代の何処の人だ、と僕は改めて思った。
今回同時に展示されているベルナール・ビュッフェの作品群。
ビュッフェとクートラス氏は同時代のパリで活躍したわけだが、
全く対極的な生き方の二人の画家の足跡が
より展示を際立たせている点は実に味わい深い。
昨年5月にヨーロッパに出かけた時に、
僕は実は縁あって真理子さんの現在のお住まいに伺う事が出来た。
滞在中厚かましく2度も。パリの滞在中、他でもちょくちょくお会いして、
これは彼女の明るい人柄ゆえだろうが、
その度ごとの会話や対話があまりに楽しくて強く印象に残る話ばかりだった。


postcard

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丁度今回の展示の為の作品集の撮影が行われている合間の訪問だったこともあって、
パリ郊外のフォンテーヌブローの閑静なお住まいの中はクートラス氏の手仕事のあとが、所狭しと
かつ美しく溶け込んでいた。
僕が何より衝撃を受けたのは、
彼のカルトやグアッシュ以外の手仕事の闊達さとその自由度である。
段ボールに錆びた空き缶に粘土。ありとあらゆる“拾いもの”が彼の表現の糧となっていった。
僕たちの知るところの作家の代表的な絵画作品が、一つの樹の幹のようなものであるなら、
その知られざる枝葉のなんと豊かで自由な事か。
丁度一緒にお宅にお邪魔した
ミスター・ユニバースの関君と二人で、
「この枝葉の多様さがあってこそ樹はちゃんと美しくあるんだね・・・」
と何度も交互にため息をついたのを憶えている。
こうありたいものだね、と深い反省と納得を得た。
同時に、この作品達に必要最小限の社会性を持たせ、
生活の活路を見出すことに奔走されたであろう
真理子さんの御苦労と才能と何より情熱にこれまた深く首を垂れる思いだった。
やはり芸術家には理解者と協力者が絶対に必要不可欠なものだ、といったところだろうか。
今展覧会、期間が8月までと長く、また幾度かイベントも企画されているようなので、
7月の中村好文さんと皆川さんのトークショウにでももう一度伊豆まで出かけようかな、
と思った。
この先あまりない機会だろうから、
さらにゆっくりたっぷり、その魅力に溺れて窒息してしまいそうになるのと必死に抗い
溢れる物欲と格闘しながら作品と対面したいものだ。
いや、まあそんな複雑な形相の観客が自分の作品の前にいたら
クートラス氏にはたぶんドン引きされてしまうかもしれないけれども。