2014年10月04日

空想原野

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尾瀬である。




「そろそろですよ。金色の原野」

いつものサンペイ君から、待ちに待っていたお誘い。
秋木偶も終わったばっかりだし、一も二もなく。
了解。の返事。

尾瀬、と聞けば、
夏が来〜れば思い出す〜♪
とすぐに歌い出せるほど、初夏のそれが有名だが、
逆にそれがあまりに有名過ぎるせいで、イメージの刷り込みも強い。
知っているつもりになっているが、
僕も実際に行って水芭蕉を見たことがなかった。
場所すらあやふやだ。
だから、秋の尾瀬なんて考えもしなかった。

「秋がいいんです」

そうか、サンペーくんがそういうなら、初めての尾瀬は秋にしよう。
と決めていた。
前もってちょっと調べても見た。

意外にも、尾瀬が独立した国立公園となったのは、
2007年のこと。
それまでは日光国立公園の一部という扱いだった。
日光を中心とした広い範囲が国立公園に指定されたのは1934年。
日本で国立公園法が施行されたのが1931年だから、
最古参の部類の国立公園といえる。
国立公園内にあってさらに、特別保護地区、という
最も厳しい環境規制によって守られているのが尾瀬だ。

しかし、そんな守られた地にも
いろいろなことがあったようだ。
行ってみて初めて分かった。

昭和30年代半ばから40年代にかけて、
日本では高度経済成長期というのがあり、
それにぴったりと平仄を合わせるように登山ブームがあった。
駅は夜行列車を待つ人々で溢れたのだという。
当時の若者たちは、週末になると
我先にスモッグに満ちた都会を逃れ、
未だ自然の色濃い山を目指した。

ここ尾瀬周辺にも多くの人がやって来た。
そしてどうやら、その中の一部の人達は、
ひどいことをした。
ここに来てまず、
我ここにあり!
そう、都会の人達は言いたかったのかもしれない。
より清いものを目指し、競って力で侵す。
そういうことを喜びとする人たちが
この山路にかつて押し寄せたのだろう。


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トレッキングコースに沿った立派なブナの木肌。
人の名前や、日付が深々と刻まれていない樹を探すほうが難しい。
ブナの木一本の寿命は250年から400年と言われる。
森が守られ続ける限り
まだまだこの先延々とこの痛々しい記念碑が消えることは無い。
皮肉なことに。

刻まれた日付の数々は、
まさにそのブームとぴたりと符号する。
ブームは集団を生み、群れは、個人の理性や良心を狂わせる。
人が天然の理≠竍人の道≠規範とすることなく急激に群れるとき、
大事な何かや、美しく繊細なものは簡単に踏みにじられる。
だから僕は、基本的にブームが嫌いだ。
というよりも怖い。

今 年配の方々に再びやって来た登山ブーム。
あなたではないかもしれない。
しかし、
疑いようもなくあなたたちですよ。
これを刻んだ世代は。

古傷のことは
あまりに哀れだったので
ちょっと書いた。
とはいえ、今はそんな乱暴は働かれていない。
すれ違う方々のマナーは世代に限らずとてもよい、と感じられた。
不用意に打ち捨てられた、ゴミなどほぼ目にすることはない。
皆がなにかを学んだのかもしれない。
今の尾瀬は成熟度の高い環境保全地区に落ち着いている。
それが僕の印象だ。

さて先に進む。



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湿原までは駐車場から、
どのエントリーコースを選択しても、
徒歩でそれなりの山は越える必要がある。
しかし、その変化に富んだ色合いや、ブナや樺の巨木に目を奪われるうち、
いつの間にかアップダウンは終わり、
厳かに、静かに、そして劇的に、
黄金色の原野が眼前に現れる。

向こうの山まで広がる高層湿原の草紅葉。
燧岳から吹き下ろす緩やかな風が
上質な獣の毛並みを嬲りながら渡ってゆく。

ああ、異界だ。
福島に異界は存在した。


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ところどころにある沼は池塘という。
水草もまた枯れ始めている。
水の中の秋も深い。

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あ、水鏡を泳ぐ魚発見。

残念ながら雲が出て来て夕焼けは見られず。
ところが夜が更ける頃、山小屋の窓を開けてみれば、
あ、晴れてる。月。星も。

よし、と防寒をして、二人で山小屋を出る。
昼間には黄金色だった湿原は、三日月の淡いささやかな明かりなど
全て吸い取って、真っ暗闇がただ広がるばかりである。
それは、闇の海に見えた。
木道はかろうじて頼りなさげに、ぽっと白く浮かび上がり、
先に視線をやると、何処までも伸びているはずのそれは
程なくして闇に消えいっている。
ランタンをあえて消して、
てくてくとそれをたどる。

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宿の明かりが岸辺の漁村のように小さく見えるまでになった頃、
闇空を見上げて、僕の全身にさざ波が這うように鳥肌が立つ。

ああ、そうか、天の川。
そんなのが頭上にあることなんて忘れてた。
降るような。とはこのことを言うんだな。
綺麗だなあ。


キュオオオオオオ〜〜ン

遠くから。西の方の山裾の方?、
哀切な長啼き。
鹿のそれだとすぐに気が付く。


「これは、なんか・・・・・このシーンはすごくない?」
「しびれるほどすごいっすね」

なんだか丁度ぴったりの言葉が出てこない。
不思議な高揚感。
残念ながら、僕は昼間、へまをして、膝を痛めてしまっていたから、
それ以上、凪の沖へと歩き続けることはやめたけど、
万全なら何処までもあの白い頼りない道を歩いてしまいそうで、ちょっと怖かった。
調子に乗らなくてよかった。


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ファンタジーというと、
児童文学やゲームの世界にバイパスが出来てしまっているけど、
現実と地続きで自分の足で踏みしめる地面の上に
異界を感じることは可能だ。

この草紅葉を、コガネガハラと呼べばいい。
一羽の鴨と羊草が揺れていたあの池塘に、トオカガミノヌマと名前を付ければいい。
想像をすればいい。
堂々と頭の内に誰に聴かせるわけでもない物語を描けばいい。

そう僕は思う。
品のない野卑な喧騒を下界にちょっと置いてきさえすれば、、
非日常や異界はこの場所で、誰にでも幕の内を開き魅せてくれる。

いつまでも空想することを許してくれる
黄金の原野が、守られてあってほしい。











posted by 前川秀樹 at 22:52| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モネの眼で。

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 パリから約80q、ジヴェルニーという村に
彼が越してきたのは1883年の事、
43歳だった。
彼はそこで庭に川の水を引き入れ、大きな池を作り、
庭を日本風の庭園にしつらえた。
丸い太鼓橋に柳、そして睡蓮である。
有名な連作 睡蓮 はここで生まれた。
光の画家、そう呼ばれたクロード・モネ

私たちが視ているそれは、
その色とは、固有普遍のものでなく、
実は光なのだ。
目が認識しうるこの世界は光で満ちている

季節のうちにも、一日のうちにも、
自然の中に一時として同じ状態の色など存在しないではないか。
それはうつろいゆくもの。

ところで、彼の日本びいきは有名だ。
ジヴェルニーの彼の屋敷の壁は浮世絵で埋め尽くされ、
日本人の客はとりわけ歓待を受けたという。

行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。

彼が「方丈記」を読んでいたとは考えにくいが、
世界はうつろいゆく、
という彼の感性は、Ce bon vieux Japon
古き良き日本の土壌から生まれた感性と
ことのほか相性が良かったに違いない。

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紅鳶、中紅、榛、深緋、橙、金茶に鉛丹。
こう漢字で書くと、そのものの色を言い当てることはできなくても、
なんとなく、雰囲気でこう言う感じの自然の色、と
僕らは分かる。
日本の古色なんてちゃんと習ったことなんてないのに。
それを、文化と言おうが教養と言おうが、感性と呼ぼうが構わないのだけど、
僕らの中には、思いのほか豊かな色彩世界が内在しているに違いない。


気温 13℃
目のくらみそうな高さの展望台の手すりから見下ろせば、
鮮やかな錦に彩られた岩肌を、大瀑布の白が割り裂いて落ちる。
深呼吸をひとつ。色を いや、光を吸い込む。
すでに晩秋の香りのする9月の終わりの
尾瀬である。




posted by 前川秀樹 at 19:00| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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