尾瀬である。
「そろそろですよ。金色の原野」
いつものサンペイ君から、待ちに待っていたお誘い。
秋木偶も終わったばっかりだし、一も二もなく。
了解。の返事。
尾瀬、と聞けば、
夏が来〜れば思い出す〜♪
とすぐに歌い出せるほど、初夏のそれが有名だが、
逆にそれがあまりに有名過ぎるせいで、イメージの刷り込みも強い。
知っているつもりになっているが、
僕も実際に行って水芭蕉を見たことがなかった。
場所すらあやふやだ。
だから、秋の尾瀬なんて考えもしなかった。
「秋がいいんです」
そうか、サンペーくんがそういうなら、初めての尾瀬は秋にしよう。
と決めていた。
前もってちょっと調べても見た。
意外にも、尾瀬が独立した国立公園となったのは、
2007年のこと。
それまでは日光国立公園の一部という扱いだった。
日光を中心とした広い範囲が国立公園に指定されたのは1934年。
日本で国立公園法が施行されたのが1931年だから、
最古参の部類の国立公園といえる。
国立公園内にあってさらに、特別保護地区、という
最も厳しい環境規制によって守られているのが尾瀬だ。
しかし、そんな守られた地にも
いろいろなことがあったようだ。
行ってみて初めて分かった。
昭和30年代半ばから40年代にかけて、
日本では高度経済成長期というのがあり、
それにぴったりと平仄を合わせるように登山ブームがあった。
駅は夜行列車を待つ人々で溢れたのだという。
当時の若者たちは、週末になると
我先にスモッグに満ちた都会を逃れ、
未だ自然の色濃い山を目指した。
ここ尾瀬周辺にも多くの人がやって来た。
そしてどうやら、その中の一部の人達は、
ひどいことをした。
ここに来てまず、
我ここにあり!
そう、都会の人達は言いたかったのかもしれない。
より清いものを目指し、競って力で侵す。
そういうことを喜びとする人たちが
この山路にかつて押し寄せたのだろう。
トレッキングコースに沿った立派なブナの木肌。
人の名前や、日付が深々と刻まれていない樹を探すほうが難しい。
ブナの木一本の寿命は250年から400年と言われる。
森が守られ続ける限り
まだまだこの先延々とこの痛々しい記念碑が消えることは無い。
皮肉なことに。
刻まれた日付の数々は、
まさにそのブームとぴたりと符号する。
ブームは集団を生み、群れは、個人の理性や良心を狂わせる。
人が天然の理≠竍人の道≠規範とすることなく急激に群れるとき、
大事な何かや、美しく繊細なものは簡単に踏みにじられる。
だから僕は、基本的にブームが嫌いだ。
というよりも怖い。
今 年配の方々に再びやって来た登山ブーム。
あなたではないかもしれない。
しかし、
疑いようもなくあなたたちですよ。
これを刻んだ世代は。
古傷のことは
あまりに哀れだったので
ちょっと書いた。
とはいえ、今はそんな乱暴は働かれていない。
すれ違う方々のマナーは世代に限らずとてもよい、と感じられた。
不用意に打ち捨てられた、ゴミなどほぼ目にすることはない。
皆がなにかを学んだのかもしれない。
今の尾瀬は成熟度の高い環境保全地区に落ち着いている。
それが僕の印象だ。
さて先に進む。
湿原までは駐車場から、
どのエントリーコースを選択しても、
徒歩でそれなりの山は越える必要がある。
しかし、その変化に富んだ色合いや、ブナや樺の巨木に目を奪われるうち、
いつの間にかアップダウンは終わり、
厳かに、静かに、そして劇的に、
黄金色の原野が眼前に現れる。
向こうの山まで広がる高層湿原の草紅葉。
燧岳から吹き下ろす緩やかな風が
上質な獣の毛並みを嬲りながら渡ってゆく。
ああ、異界だ。
福島に異界は存在した。
ところどころにある沼は池塘という。
水草もまた枯れ始めている。
水の中の秋も深い。
あ、水鏡を泳ぐ魚発見。
残念ながら雲が出て来て夕焼けは見られず。
ところが夜が更ける頃、山小屋の窓を開けてみれば、
あ、晴れてる。月。星も。
よし、と防寒をして、二人で山小屋を出る。
昼間には黄金色だった湿原は、三日月の淡いささやかな明かりなど
全て吸い取って、真っ暗闇がただ広がるばかりである。
それは、闇の海に見えた。
木道はかろうじて頼りなさげに、ぽっと白く浮かび上がり、
先に視線をやると、何処までも伸びているはずのそれは
程なくして闇に消えいっている。
ランタンをあえて消して、
てくてくとそれをたどる。
宿の明かりが岸辺の漁村のように小さく見えるまでになった頃、
闇空を見上げて、僕の全身にさざ波が這うように鳥肌が立つ。
ああ、そうか、天の川。
そんなのが頭上にあることなんて忘れてた。
降るような。とはこのことを言うんだな。
綺麗だなあ。
キュオオオオオオ〜〜ン
遠くから。西の方の山裾の方?、
哀切な長啼き。
鹿のそれだとすぐに気が付く。
「これは、なんか・・・・・このシーンはすごくない?」
「しびれるほどすごいっすね」
なんだか丁度ぴったりの言葉が出てこない。
不思議な高揚感。
残念ながら、僕は昼間、へまをして、膝を痛めてしまっていたから、
それ以上、凪の沖へと歩き続けることはやめたけど、
万全なら何処までもあの白い頼りない道を歩いてしまいそうで、ちょっと怖かった。
調子に乗らなくてよかった。
ファンタジーというと、
児童文学やゲームの世界にバイパスが出来てしまっているけど、
現実と地続きで自分の足で踏みしめる地面の上に
異界を感じることは可能だ。
この草紅葉を、コガネガハラと呼べばいい。
一羽の鴨と羊草が揺れていたあの池塘に、トオカガミノヌマと名前を付ければいい。
想像をすればいい。
堂々と頭の内に誰に聴かせるわけでもない物語を描けばいい。
そう僕は思う。
品のない野卑な喧騒を下界にちょっと置いてきさえすれば、、
非日常や異界はこの場所で、誰にでも幕の内を開き魅せてくれる。
いつまでも空想することを許してくれる
黄金の原野が、守られてあってほしい。