2014年10月30日

11月ルビジノ

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急激に冬の風が感じられるようになってきました。
平地の紅葉が始まっていますよ。


さて、10月お休みをいただきましたルビジノですが、
11月は予定通りオープンいたします。


11月 1日(土)2日(日)3日(月)4日(火)

です。


天気予報によると空模様はあいにくの予報のようです。
ストーブはまだぎりぎり用意しなくて大丈夫かなあ。
念のため暖かくして、お出かけください。
お待ちしています。
posted by 前川秀樹 at 19:03| ルビジノ情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

木枯らし


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前川千恵バッグ展、沢山の方々のご来場、
どうもありがとうございました。


千恵の繁忙期もようやく過ぎて、
僕の方も自分の制作を一休みしたかったので、
ちょっと休日することにした。

おりしも28日は木枯らし一号が関東地方にも吹いた。
その名残か、晴天にもかかわらず翌日も風は強く冷たい。

栃木県の八海山神社というところ。
駐車場がすでに高地にあるので、
車を降りてみると寒風吹きさらし。
おおお、凍える!
用心していろいろ着こんできたけど、
手袋と帽子がほしい。
気温4度。

まあ歩くうちに温まるだろ。

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山歩きを1時間ちょっとで到着。
頂上は独特のがれ場の風景。
標高は1539mとある。

ああ、寒いけど、風は冷たいけど、
パノラマは抜群だ。
時々はこういう見晴らしの良いところで、
視界をぐいっと広げることは、たぶんメンタル的に大事なことなんだな。
僕の場合、普段があまりに手元だけにしか視界が無いからな。
猫背の背中もいやでも伸びる。

さて、ちょっと早いけど昼飯にしよう。
祠の陰がまだしも風よけになってくれそう。
昼飯ってもコンビニモノだけど。
水筒の熱いお茶がありがたい。
冷めないってすごいな。
と、こういうとき何度でも改めて驚く。
魔法瓶って呼び名、今も通用するのかな。

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お皿がないから、石の上に。
御あつらえ向けの平たい石ばっかりのガレ場です。

今日の目的はそれだけ。

ああ、あとは麓で湧水を汲んで、
この時期ならリンゴを買わなくては。

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このあたりはリンゴ園が多い。
王林一袋と傷モノの紅玉を段ボールひと箱購入。
安いなあ。
ジャムとかジュースとか、贅沢にいろいろできそう。


紅葉もほぼ終わり、
昆虫の姿もとんと見かけない、僕にとっては完全なシーズンオフの山。
木枯らし一号から春一番まで、山は長い睡眠時間にはいる。

僕もまた準じて長い冬籠り。
といいたいところだけど、実のところ、今現在、
複数の締め切り前で内心は焦燥の木枯らし中(笑)。
12月の広島展まで、
リンゴでもかじりながら追い込み制作するかな。
がんばろっと。




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2014年10月22日

カバン展中日

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前川千恵 バッグ展 「ミルラたなびく日に」

あいにくの天候の中、ご来場いただきありがとうございます。
御蔭さまで、それなりに(笑)ご好評をいただいております。

準備制作には時間がかかっても、展示期間はあっという間。
今日をあわせて残り4日となりました。

作家在廊日は基本的には残りの、水 木 金 土 毎日を予定しております。
最終土曜日は17時終了となります。

皆様、週末までどうぞよろしくお願い致します。

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2014年10月08日

前川千恵展 お知らせ

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  前川千恵展 「ミルラたなびく日に」



久しぶりの東京での展示。
新作レザートート&レザーアクセサリー です。

10月20日(月)〜25日(土)
12:00〜19:00 (最終日は17:00まで)

ギャルリーワッツ
 tel 03-3499-2662 東京都南青山5-4-44 ラポール南青山#103

作家在廊日   20日 21日 24日 25日 
(その他の日に関してはギャラリーにお問い合わせください)


秋の一日。是非お出かけくださいませ。
会場にてお待ちしております。
posted by 前川秀樹 at 18:40| 作品発表、展覧会情報、等。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月06日

そうではないのだ。

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先般、ある映画を見た。

「大いなる沈黙へ」

フランスのアルプスの山中にある、グラン・シャルトルーズという
修道院を半年にわたって撮り続けたドキュメント。
BGM無し、ナレーション無し、照明装置無し。インタビューはたったワンシーンのみ。
それが延々と3時間。

おおよその予想通り場内にはいびきが秋の虫のよう(笑)
が、これは一見に値する。
と僕は思った。

ほとんど中世のままと言っていいほどの戒律的で
単調(に見える)な繰り返しの毎日。

彼らは個室で祈り、聖書を読み解き、日課のミサに参列する。
誰かが答えを説くことも無ければ、
誰かに教えを広めることも無い。
彼らはただ祈り、暮らす、その事でのみ神に近づこうとする。

食事は個室の小窓からそっと提供され、頃合いにそれぞれが摂る。
週に一度の会食でさえ会話は許されない。

集団生活を営み、一日の共通の日課はあれど、
徹底して守られたプラィヴェートのなかで
彼らはただ祈る。

下界との接触はほぼない。
月に一度家族に会える、しかし例えば用事で
麓の村に降りることはあっても村人との会話などは禁じられている。
そして、幾人かはここでその一生を終える。

盲目の年老いたある修道士は言う。

「私は盲いたことを神に感謝しています。ここでの毎日にこそ歓びがあります」

うろ覚えだけどそんなことを語っていた。

隔絶 別世界
それがこの映画全体を貫く印象だ。


観客のほとんどは自分も含め、紛れもなく下界の住人だ。
経済と結果とスマートフォンにどっぷりとつかった俗世の人々だ。
下界の我々は最初、
その作り物めいた天上の隔絶世界の映像に驚く。

それは奇異なるものを、外側から観察する
博物学的な視点だ。
自分たちこそが常識である、
という圧倒的マジョリティの視点だ。

しかし、スクリーンの中で
ひたすら繰り返される彼らの沈黙の日常に見入るうち
知らぬ間に、その視点は修道士たちのそれへとすり替わってゆく。

鐘が鳴ったら
ああ、ミサだ、行かなくちゃ。
と思い、本を閉じようとするし、
質素な食事をかみしめているうち
ありがたいなあ、
と思うようになる。

不思議なことにあれほどの隔たりは
いつの間にか薄れ、
全ての行為が無駄のない当たり前の、人の暮らしなのだ、
と思えるようになる。
祈り、が特別なことではないような気がしてくる。
なんだか術にでもかけられたように、この沈黙の天上世界に僕らは酔う。

そしてここもやはり
我々と、下界と地続きの今≠ネのだ。
と感じるシーンに安堵するようになり、
その安堵に懐かしさすら感じるようになる。

映像の中にはところどころ
そのことをにおわせる要素が最低限に盛り込まれている。
それは、差しれられるオレンジに残る生産者シールだったり、
剃髪していない理髪師の一人が映ると、ああ、この人は通いの職人さんかな
と思えたりする。
腰の曲がった鼻の赤い、老修道士が残雪をスコップでゆっくりと
掬い覗き、黒い土にニンジンの種をまく、
その種の袋はフランスのスーパーで見覚えのあるパッケージだ。

ああ、そういうところは僕らと同じじゃないか。

これは共感、だろうか?
ほっと気持ちが緩む。
そのとたん、
無言の声が重厚な風の音のように響く。

「そんなことはどうでもいい。そういうことではないのだ」

と、突き放され、また下界の観客に戻る。
その繰り返しなのだ。

印象に残るシーンがある。

カメラが空を振り仰ぐと、
山岳に垂れこめた雨雲の下を
旅客機の淡く黒い影がよぎってゆく。
しばらくカメラはそれを追う。
音はただ風の音だけ。

なんだろう?なんで突然飛行機?
そのシーンの前後には何のつながりもない。
それでもしばらくして、
気が付いた。

ああ、あれは十字架に似ているんだな、と。
うがった見方をすれば、
あれは分かりやすい対比だったのかもしれない。

山岳の雪の地べたを這いずり、
それぞれの内的世界にある頂を
小石を一つずつ手で詰んでゆくように
ただ祈ることのみにて
高みへと、天へと達しようとする修道士たち。

対して巨大なジェットエンジンで
軽々と地面を天へと押し上げ、
空を駆けてゆく、下界の人々。
それは観客である僕らだ。

なんという両者の手法の、根本的隔たり。

しかしながら、
それでも世界は地続きなのだ。
その隔たりをどう思えというのか?

やはり、この映画の作り手も登場する修道士たちも
安易な共感など僕らに求めている訳ではなさそうだ。

いうまでもなく、
すべてのシーンの映像の美しさは筆舌に尽くしがたい。
冷たい漆喰の壁に小さな窓から差す光に浸るだけでも
十分見ごたえはある。
いい映画だったなあ、感想なんて
その程度でもよかったのかもしれない。

観終わった後、それでも彼らの修行の意味も
作り手の意図も
僕はそれなりに雰囲気でわかったような気になっていた。
そんなふうに夢見心地で有楽町の小さな映画館からエレベーターを降り
ガラスの自動ドアが開いたとたん、

津波のように全身に襲いかかる、音、音、音。
爆音には紛れもない実態と圧力があった。
本当に目眩がした。

修道士たちの踏む樫の床板の反発音、ローブの絹ずれの音だけが
あの世界で、沈黙を破るものは、ただそんなものだけだった。

ここに来て絶望的な本物の隔絶を僕は思い知らされた。

数日たって、
言葉としてまとめられないものがずしりと
のしかかる。
あくまで自分にとって、
それはものすごく大きく、大事な意味≠ナあることは分かる。
しかし切りこもうとすると、その内側へ入り込む扉がわからない。
どう解釈しようとしても、十分ではない。
だから未だに、こんな風に書けば書くほど自分の言葉の
陳腐さが際立つ、
いたずらに深読みすれば、またその行為を笑う声がする。
自分の、造る日常≠ニどうにか重ねてみる。
かすかにそれと沿いうるような
輪郭や意味ありげな言葉が浮かぶたび、
もう少しで分かりかける気がするたび
またあの声がするのだ、

「そうではない、そういうことではないのだ」

と。
一体、僕は何に捕まってしまったのだろうかと、
勘ぐりをして、また笑われる。




posted by 前川秀樹 at 19:55| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月04日

空想原野

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尾瀬である。




「そろそろですよ。金色の原野」

いつものサンペイ君から、待ちに待っていたお誘い。
秋木偶も終わったばっかりだし、一も二もなく。
了解。の返事。

尾瀬、と聞けば、
夏が来〜れば思い出す〜♪
とすぐに歌い出せるほど、初夏のそれが有名だが、
逆にそれがあまりに有名過ぎるせいで、イメージの刷り込みも強い。
知っているつもりになっているが、
僕も実際に行って水芭蕉を見たことがなかった。
場所すらあやふやだ。
だから、秋の尾瀬なんて考えもしなかった。

「秋がいいんです」

そうか、サンペーくんがそういうなら、初めての尾瀬は秋にしよう。
と決めていた。
前もってちょっと調べても見た。

意外にも、尾瀬が独立した国立公園となったのは、
2007年のこと。
それまでは日光国立公園の一部という扱いだった。
日光を中心とした広い範囲が国立公園に指定されたのは1934年。
日本で国立公園法が施行されたのが1931年だから、
最古参の部類の国立公園といえる。
国立公園内にあってさらに、特別保護地区、という
最も厳しい環境規制によって守られているのが尾瀬だ。

しかし、そんな守られた地にも
いろいろなことがあったようだ。
行ってみて初めて分かった。

昭和30年代半ばから40年代にかけて、
日本では高度経済成長期というのがあり、
それにぴったりと平仄を合わせるように登山ブームがあった。
駅は夜行列車を待つ人々で溢れたのだという。
当時の若者たちは、週末になると
我先にスモッグに満ちた都会を逃れ、
未だ自然の色濃い山を目指した。

ここ尾瀬周辺にも多くの人がやって来た。
そしてどうやら、その中の一部の人達は、
ひどいことをした。
ここに来てまず、
我ここにあり!
そう、都会の人達は言いたかったのかもしれない。
より清いものを目指し、競って力で侵す。
そういうことを喜びとする人たちが
この山路にかつて押し寄せたのだろう。


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トレッキングコースに沿った立派なブナの木肌。
人の名前や、日付が深々と刻まれていない樹を探すほうが難しい。
ブナの木一本の寿命は250年から400年と言われる。
森が守られ続ける限り
まだまだこの先延々とこの痛々しい記念碑が消えることは無い。
皮肉なことに。

刻まれた日付の数々は、
まさにそのブームとぴたりと符号する。
ブームは集団を生み、群れは、個人の理性や良心を狂わせる。
人が天然の理≠竍人の道≠規範とすることなく急激に群れるとき、
大事な何かや、美しく繊細なものは簡単に踏みにじられる。
だから僕は、基本的にブームが嫌いだ。
というよりも怖い。

今 年配の方々に再びやって来た登山ブーム。
あなたではないかもしれない。
しかし、
疑いようもなくあなたたちですよ。
これを刻んだ世代は。

古傷のことは
あまりに哀れだったので
ちょっと書いた。
とはいえ、今はそんな乱暴は働かれていない。
すれ違う方々のマナーは世代に限らずとてもよい、と感じられた。
不用意に打ち捨てられた、ゴミなどほぼ目にすることはない。
皆がなにかを学んだのかもしれない。
今の尾瀬は成熟度の高い環境保全地区に落ち着いている。
それが僕の印象だ。

さて先に進む。



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湿原までは駐車場から、
どのエントリーコースを選択しても、
徒歩でそれなりの山は越える必要がある。
しかし、その変化に富んだ色合いや、ブナや樺の巨木に目を奪われるうち、
いつの間にかアップダウンは終わり、
厳かに、静かに、そして劇的に、
黄金色の原野が眼前に現れる。

向こうの山まで広がる高層湿原の草紅葉。
燧岳から吹き下ろす緩やかな風が
上質な獣の毛並みを嬲りながら渡ってゆく。

ああ、異界だ。
福島に異界は存在した。


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ところどころにある沼は池塘という。
水草もまた枯れ始めている。
水の中の秋も深い。

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あ、水鏡を泳ぐ魚発見。

残念ながら雲が出て来て夕焼けは見られず。
ところが夜が更ける頃、山小屋の窓を開けてみれば、
あ、晴れてる。月。星も。

よし、と防寒をして、二人で山小屋を出る。
昼間には黄金色だった湿原は、三日月の淡いささやかな明かりなど
全て吸い取って、真っ暗闇がただ広がるばかりである。
それは、闇の海に見えた。
木道はかろうじて頼りなさげに、ぽっと白く浮かび上がり、
先に視線をやると、何処までも伸びているはずのそれは
程なくして闇に消えいっている。
ランタンをあえて消して、
てくてくとそれをたどる。

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宿の明かりが岸辺の漁村のように小さく見えるまでになった頃、
闇空を見上げて、僕の全身にさざ波が這うように鳥肌が立つ。

ああ、そうか、天の川。
そんなのが頭上にあることなんて忘れてた。
降るような。とはこのことを言うんだな。
綺麗だなあ。


キュオオオオオオ〜〜ン

遠くから。西の方の山裾の方?、
哀切な長啼き。
鹿のそれだとすぐに気が付く。


「これは、なんか・・・・・このシーンはすごくない?」
「しびれるほどすごいっすね」

なんだか丁度ぴったりの言葉が出てこない。
不思議な高揚感。
残念ながら、僕は昼間、へまをして、膝を痛めてしまっていたから、
それ以上、凪の沖へと歩き続けることはやめたけど、
万全なら何処までもあの白い頼りない道を歩いてしまいそうで、ちょっと怖かった。
調子に乗らなくてよかった。


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ファンタジーというと、
児童文学やゲームの世界にバイパスが出来てしまっているけど、
現実と地続きで自分の足で踏みしめる地面の上に
異界を感じることは可能だ。

この草紅葉を、コガネガハラと呼べばいい。
一羽の鴨と羊草が揺れていたあの池塘に、トオカガミノヌマと名前を付ければいい。
想像をすればいい。
堂々と頭の内に誰に聴かせるわけでもない物語を描けばいい。

そう僕は思う。
品のない野卑な喧騒を下界にちょっと置いてきさえすれば、、
非日常や異界はこの場所で、誰にでも幕の内を開き魅せてくれる。

いつまでも空想することを許してくれる
黄金の原野が、守られてあってほしい。











posted by 前川秀樹 at 22:52| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モネの眼で。

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 パリから約80q、ジヴェルニーという村に
彼が越してきたのは1883年の事、
43歳だった。
彼はそこで庭に川の水を引き入れ、大きな池を作り、
庭を日本風の庭園にしつらえた。
丸い太鼓橋に柳、そして睡蓮である。
有名な連作 睡蓮 はここで生まれた。
光の画家、そう呼ばれたクロード・モネ

私たちが視ているそれは、
その色とは、固有普遍のものでなく、
実は光なのだ。
目が認識しうるこの世界は光で満ちている

季節のうちにも、一日のうちにも、
自然の中に一時として同じ状態の色など存在しないではないか。
それはうつろいゆくもの。

ところで、彼の日本びいきは有名だ。
ジヴェルニーの彼の屋敷の壁は浮世絵で埋め尽くされ、
日本人の客はとりわけ歓待を受けたという。

行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。

彼が「方丈記」を読んでいたとは考えにくいが、
世界はうつろいゆく、
という彼の感性は、Ce bon vieux Japon
古き良き日本の土壌から生まれた感性と
ことのほか相性が良かったに違いない。

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紅鳶、中紅、榛、深緋、橙、金茶に鉛丹。
こう漢字で書くと、そのものの色を言い当てることはできなくても、
なんとなく、雰囲気でこう言う感じの自然の色、と
僕らは分かる。
日本の古色なんてちゃんと習ったことなんてないのに。
それを、文化と言おうが教養と言おうが、感性と呼ぼうが構わないのだけど、
僕らの中には、思いのほか豊かな色彩世界が内在しているに違いない。


気温 13℃
目のくらみそうな高さの展望台の手すりから見下ろせば、
鮮やかな錦に彩られた岩肌を、大瀑布の白が割り裂いて落ちる。
深呼吸をひとつ。色を いや、光を吸い込む。
すでに晩秋の香りのする9月の終わりの
尾瀬である。




posted by 前川秀樹 at 19:00| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月03日

10月ルビジノお休み

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朝夕、すっかりと涼しくなりました。
日中も靴下がほしくなって、
まあ夏ではないんだな、
とさすがに僕も認めざるを得ない今日この頃。
もう10月なんですね。

赤や黄色にいざなわれて、皆様ぜひお出かけください。
と、言いたいところなのですが、さて、

10月ルビジノ、
誠に勝手ながらお休みさせていただく予定でいます。


前川千恵カバン個展がすぐそばまで迫っていますので、
その製作準備のためなんです。

10月20日から25日まで
青山、ギャルリワッツです。


鋭意、良作を準備中ですので
そちらに是非お出かけくださいませ。
posted by 前川秀樹 at 07:57| ルビジノ情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする