雲ひとつない蒼穹の下、雪原を歩く。
この日の気温はこんな山の上でも16度
防寒着が邪魔になるほどの最高の気候だ。
天上の庭に出かけた。
僕の修羅場が一時過ぎて、
「山に行きたい」
といったら、いつものサンペイ君から、
じゃあ金曜日朝6時集合、との返事。
行先は、どこなんだろ、よくわからない。
でも案内は任せて安心。
両神山以来である。
あれが磐梯山です。
ほう。立派な山岳の顔をしているね。
間の抜けた感想である。
リフトを降りて、さて、歩きましょう。
あの山のふもとまで行きましょう。
今回は、登山じゃなくてハイキングですから。軽いですよ。
スノーシューも借りて。
これがないと、ズボーっと股関節まで雪を踏み抜いてしまう。
地面に近いところには空洞がある。
山も雪解けを迎えているのだ。
磐梯山は猪苗代のほうからみると器量よしの山なのに、
北向きの裏側はこんな風にざっくりとえぐられたような、荒々しい
岩肌がむき出しになっている。今回は噴火の内側を歩いていくのだ。
冬山に道はない。歩けそうな好きなところを歩くのだ。
厚く積もった雪は、
夏には木立や沢や礫でにぎやかで複雑な山肌を、
禅寺の庭にように、すっきり簡潔で研がれた景色に変える。
もちろん、規模は、作られた庭と違い原寸大だから
自分のほうが縮小倍率を掛けられたような奇妙な気になる。
なるほど、構成要素の少ない簡素な風景というのは、
とりたてて、特別な集中力など要さなくても
容易に世界への干渉と内省へと自分をいざなってくれるものだ。
だから、雑音の少ない簡素は退屈をもたらさない。
こんなに静かなのに、
むしろ今、ここを満たしているのはある種のスリルなのだ、と感じる。
スリルにただゆだねる。そのことのなんと心地よいこと。
サンペイ君が雪山をこよなく愛するのがなんとなくわかる気がするな。
今回のコースの最奥、氷瀑。
流れ出る硫黄分で黄色くまだらに染まっている。
もりもりと迫力のある造形物だ
が残念ながら、ちょっと季節が遅かった。
解けてサイズダウン。
ん、音がする。おお、雪崩ですよ。
ほんとだ!
遠くて写真ではぜんぜんわからないけど、
土砂と雪の混ざった細い流れが。
あんなのでも、くらったら怪我じゃ済まないだろうなあ・・。
あの下あたりが危険地帯なわけだね。
危険地帯のふもとから山は急激に傾斜を増し、壁のようにそそり立っている。
残雪はその粗面にかかる大きな白い梱包幕のようだ。
ぎりぎりまで行ってみますか。
それは是非、と
きつい登りをしばし。
幕のふもと、安全と思われるぎりぎりのところで
リュックを下す。
季節をちょっと外れたせいか、ここまで来る登人などだれも居ない。
ぱしーん。かろん、ころろん。
どこからともなく絶えず、
遠雷のような乾いた音が響く。
落石である。
雪解けは山肌に緩みをもたらすのだ。
ところが、その方向に目を凝らしてみても、
動くものは発見できない。
反響で音源が特定しづらいこともある。
また、ぱしーん。
目を向ける。
でも視えない。
意外と小さいものでも、音だけは立派なのか、
あるいは、山の向こう斜面なのかも。
こんなに見晴らしがいいのに、
音だけ、というのはなかなか興味深い。
古杣(ふるそま)とか空木倒しとか天狗倒し?
あれは、大木の折れる音か。
でもそういう音系の妖怪って、
きっとこういうところからの創作なんだな。
正体は落石だとわかっていても、どこかに“不思議”は残る。
視えないのだから。
ほんとかな?と疑える自分がまだ居る。
そのわずかな心のゆとりにちょっとホッとする。
落ちる石を探すのはあきらめて珈琲を片手に
沈黙。
こつーん。ぱしーん。
それだけをいつまでも聴く。
で、時折、ポツリポツリと
とりとめもない話。
なんだかとてつもない贅沢をしているような気になってきた。
ああ、これはいつまでも居られるね。
まずいまずい。
これだけでご飯3杯いける、となってしまうくらい
深入りする前に
こういう場所に捉まる前に、
降りよう。降りたほうがいいね。
ちょうどカメラのバッテリーも底をついたし。
温泉行こう。
腹も減った。
身近、とはいえないまでも、
日帰りで、こんな居世界の風景に身をさらせることが
驚きだ。
こういう場所や時間の味わいをたくさん知っているなんて
サンペイ君、豊かな人なんだねえ。
どうもありがとう。
時々はこういう思いをするのは大事だな。
と、今更ながら強く思った一日。