常陸の国風土記、というのがある。
奈良時代初めの成立で、今年はそこから数えて1300年目に当たるらしい。
常陸の国とはおおよそこの茨城県あたり。
当時ここには東国一大きく、平坦で土地肥ゆる豊かな国があったそうな。
口語訳を何度か読んだのだけど、古代の暮らしやら、律令制度のお役人の身分やら
こもごもが見えてきて、現代と重ね合わせると、
これはけっこう面白い。
それをまた、改めて読み返している。
古い地名が実際の今の茨城の地名にも反映されているところもある。
それによると、僕の住む土浦のあたりの記載はないが、霞ヶ浦(当時は深い内海だった)
に面したルビジノのあたりの記載がたくさんある。
ルビジノから少し行ったあたりの田の開墾にまつわる話が面白い。
夜刀の神(やとのかみ)という角のある蛇が、
しつこく谷戸の開墾の邪魔をするので、
それを追い払い、杖を立て、ここからは人の土地だから降りてこないくれ。
子子孫孫、大切にお祀りしますから、と陳情をする。続きもあるが、
まあざっくりとそういう話。
実際に今もそこに夜刀の神を祀った神社がある。
上の写真は御岩神社。茨城県の北のほう、日立市にある。
ここもまたその風土記の中に出てくる由緒正しい聖域だというので
先月末にふらっと出かけてみた。
いまだ猛暑日が続くなかを。
かびれの山のふもと、水のこんこんとわき出る場所。
見えるもの全部が苔むしている。
それまでの猛暑とうってかわって、ひんやりとした空気。
そうそう、この豊富な水と湿度こそ日本。
説明書きを読んでいると、こうある。
この山に降り立った
天つ神の立速日男命(タチハヤヒオノミコト)
はありがたくも強烈な祟り神で、
人間が排泄などの不浄を行おうものなら、たちまちにして祟る。
病が人々を悩ませる。
鳥ですらここでは羽を休めないという。
そこで、里では朝廷に申し上げ、たところ、
片岡大連(かたおかのおおむらじ)という人が来て、
祈り奉り、こう陳情した。
人々の暮らすこの地は不浄であるから、
尊いあなたさまがおられるにはふさわしいところではありません。
どうか高い峰の清浄の地に移っていただけないでしょうか?
それを聞き入れた天つ神は
峰の一番高い所に引っ越したそうな。
なるほど、目上の人にものをお願いするときには
こんな風にいうものなんだな。
つまりこの御岩神社は創建以来その御山の拝殿として機能しているようだ。
立速日男命。一見、字面をみるとバイクとか改造車の横に書かれている漢字みたいだが
話のわかる神様らしい。
風土記の成立した1300年前にはすでにそこに昔からあって、
現在までここは聖域としてある。
この山では、縄文時代の祭祀跡とみられる遺跡も発掘されているから、
この地はさかのぼればずいぶん長い間、清められてきたものだ。
人の営みはつまりすべて不浄で、それと聖とはいつの時代にもせめぎ合っている。
時代によって神々との付き合い方は大きく変わるにしても、
俗と聖とは陸地と海みたいなもので押したり引いたり。
大きく乖離することはない。
常陸の国風土記に勇壮に語られる、巨人、だいだらボッチの足跡の上に
ヤマトタケルの訪れた里の痕跡の跡に
僕らは今なお暮らしている。
考えれば気が遠くなりそうだが、
聖と俗のはざまで揺れ動きながら
僕らは根気よくまだ人間を続けている。
さて、不浄と言われようと人間だから腹は減る。
帰りは日立多賀でみつけた御寿司屋さんでチラシを注文。
ネタもよかったし、いい店見つけたなあ。
常陸とは直道(ひたみち)が語源だという説がある。
高い山や大河、湖など交通の障害になるものがなく、
まっすぐ歩きやすい道の続く国、だという。
なるほど、旧水戸街道、国道6号は今日も順調だ。
ちょっと前の夏の終わりの一日のこと。