
昨年に引き続き北海道の森に出かけたのは6月初旬。
もうずいぶん前みたいに感じる。
噂に聞く初夏の北海道というやつを是非一度肌で味わってみたかった。

おもに歩いたのは、千歳から支笏湖のあたりに広がる広大な国有林。
本州のそれと違って、山地ではない平らなところに、
えんえんと雑木林が広がる。これぞ北海道なのだと感じる。

大都市札幌を始め、周辺の多くの町の水源ともなる清流が、至る所に流れている。
もちろん、これらさ程大きくない川にもサケは遡上する。


僕らは漠然と木の生い茂った所を森、と呼んでしまうけれど、
このあたりは原生林ではない。
幾度も人の手が入っているため、巨木は少ない。
2次林、3次林である。
ときおり、“使えなかったために”伐採を免れた大木が
ヌシのように
若い木達を見守るように静かに周囲を圧倒していた。
森は一度人が開いてしまうと通常、最初に日当たりのいいところは
強い葛などのつる植物に覆い尽くされて、
ブナやミズナラやハルニレ、カツラなど森の主役となる大木は
なかなか芽を出すことすら難しくなる。
はずなんだけど、ここに広がっているのはなぜかあのだらしない風景ではなくて、
ピリッとした、多様な植生の森に見えた。
復活が早いのか、これが北の大地の力なのか。
森の中を何筋もの林道が通ってはいるが、そのほとんどが
作業道路であり、一般車は乗り入れることはできない。
基本、太めの主要林道に車を止めて、徒歩である。
いとも簡単に方向を見失い、そんなバカな、
とタカをくくっているうちに
いともかんたんに遭難しそうになる。
足元ばかりに夢中になって、今回も実際たびたびひやりとした。
だからなるべく太陽や、川の位置、大きな木を覚えながら歩く。
今では、
農業や工業の用地として、あるいは材木の伐採のための森から、
水源や、自然保護、教育の場としての森へとその価値は移り変わりつつある。
実際、この広大な土地は、国有林、道有林、市有林のほか、
企業が所有し、植林、下草刈りなどの保全活動がなされている。
ENEOS、ANA、キリンビールなどがそうだ。
森に手を触れず、人が立ち入らないことが、
結局のところ、最良の環境保全なのだ、といってしまうと、
それはつきつめると、人がこの大地から姿を消すのが最良の方法だ、となる。
それは極論だ。
人が大昔のように、そこで狩りをし、食の恵みをいただく依存型に
今さら戻れるわけもなく、
かといって、産業発展のためだけに森を丸裸にすることに何の痛みも感じない、
そんな自然意識もまたとっくに時代遅れだ。
この鮮やかな翠嵐の中をひとりで歩きながら、
濃い酸素を肺にいっぱい吸い込む贅沢を満喫していると、
ふと、むさぼるばかりでなく、かといって依存するでもない、
今だからこそ必要な、人と森の新たな関わり方について考えてしまう。
ああ、そういえば風の谷のナウシカってそういう話だったんだなあ、
なんてことをつらつら思いだしながら。
シダをかき分けた湿った土の上に
黒々としたヒグマの糞を見つけて、
肝を冷やしそうそうに車に戻った。
今だって森の中で人は、この上なくひ弱なままのくせに、
森を離れて人は、とてつもなく強欲で危険な生き物に育ってしまった。
いつの間にか。