2013年05月29日

6月ルビジノ

6月になります。
雨にぬれた緑が鮮やかな梅雨入りです。
窓のそとに雨粒を見ながら。
それが6月ルビジノの定番です。

6月 1日(土)2日(日)3日(月)4日(火) がオープンです。

最近近所で見かけた小さな小さなきれいなもの。

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イタヤハマキチョッキリ かすみがうら市。5月

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アオハムシダマシ 栃木 5月

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ラミーカミキリ 土浦 5月
このカミキリムシ、タキシードを着こなすガイコツみたい。
と以前誰かが言ってたけど、なるほど、と納得してしまう。

ルビジノの周りは、湖沿いに里山が残っていて、
この時期は歩いていると、こういう小さなきれいなモノ達が
見られます。
青葉の伸び時は小型の昆虫たちにとって、繁殖シーズン。
カメラをマクロモードにして、
ハンターの眼をして渉猟するのも
この時期の楽しみの一つです。








posted by 前川秀樹 at 17:46| ルビジノ情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月27日

大神社展なるもの

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というのを、上野の国立博物館に先日観に行ってきた。
売り文句が
〜全国の神社パワーを結集した空前絶後の神道美術展!〜
とある。
まあ、どうなんだろう・・・。
とはおもったが、内容は国宝、重文が一挙に160点、
見ごたえはあった。

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小丹生之明神 若加佐国比女神 (おにゅうのみょうじん わかさこくひめしん)
鎌倉時代 若狭神宮寺

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童子立像 平安時代 12世紀 広島 南宮神社

さまざまな貴重な神宝のなかでも観たかったのが、
神像というもの。
仏像は見慣れていても、神道の神の像というのは、
実はほとんど僕らの目に触れることは無い。

もともと数が少ないうえに、それは秘するもの、
というのが今持って常識なのだろうか。
仏教が、立派な経典と仏像という輝かしい二大看板で
日本に入ってきたのが6世紀のこと。
そのころ、神道というものはむろんあったのだろうが、
もともとの日本の信仰の形はもっと素朴で
大岩に〆縄だの、滝や山そのものを拝む拝殿だの、
そういうものが主流だった。
社の奥深くに収められたアイテムとしては、鏡、剣、玉、
そういった象徴としての宝であり、
具体的に、誰かの言葉であったり、誰それの姿かたち、というものは無かった。

当時のインテリ達は、口ぐちの叫んだ。
おお!なんという洗練!こんな斬新な具象を初めて見た!
経典というのも、なにやらむにゃむにゃよくわからんが、
とても尊いことがぎっちりと書かれている。
みたいだ。
とにかく素晴らしいな。大陸。

とまあ、たぶんそんなふうだったんじゃないかな。

なにしろ、それまで我が国に存在した、人の形は、
土偶や埴輪なのだ。

もともとの信仰であった古神道もきっと大いなる刺激を受けた。
いいじゃん。仏像。
これは便乗すべし、イエーイ!その方向でよろしく!
とすぐさま神像に着手した。

わけはない。
日本人の性質上、そういうノリでやって行くには真面目すぎた。

そこには巨大な葛藤が立ちはだかっていた。
八百万の神々は、どのお柱も人の形をしていないもの、
だからだ。
ほんの一時人の形をもって霊験あらたかに現れたとしても、
それはせいぜいぼんやりと人のような影であったり、人のような声であったり。
かように、我が国の神は、眼に見えずかすかに顕現するのみであった。
また、かすかな印であればある程、その神威は本物とされた。
観えないから恐ろしく、人ごときに普段は感じられないから、
想像上のそのすさまじさは逆に際だった。

が、しかし、
そうした観念的なものは、
具体的な実像の前ではかすむ。
台頭してゆく大陸の外来信仰を前に、
神道としていかに生き残り体裁を立て直すか。
それがいかに大きな変革であったのか想像に難くない。

実際に、神社に神像がつくられ始めたのは、
仏教伝来よりさらになんと200年の時を経て、8世紀に入ってからというから
その葛藤の長さがうかがえる。
当時、古の在来の神々は疲弊していた。
長い時間をかけて収集編纂を繰り返していた、最古の歴史書
古事記が献上されたのがやはり8世紀のはじめとある。
我が国の神話時代を記した歴史書と神像。
物語、と、ヴィジュアル。その両方がいびつな形ではあったが
どうにか整えられたのが平安時代である、
とおおざっぱに僕はとらえている。

さて、そういう僕の得手勝手な歴史解釈を踏まえて、
今回展示された神像なるものを、眺めてみたが、
あれ?変だ。

アマテラスやスサノオやツクヨミは、いずこに?
オオナムチやヤマトタケルは?
そう、なぜか古事記や日本書紀に登場するような
スーパースターはどこにもいらっしゃらない。
すべて、
男神立像、童子像、姫神像 などなど、
なんだかその由来がどうも振るわない。

全国の神社パワー集結!じゃなかったのか?
神像って、神様の像のことじゃないの?
それぞれの神社の御祭神は、この方々じゃないでしょうに・・・。
唯一、八幡神があったが、これはちょっと特殊で、仏教と神道にの中間に立ち
度々託宣をする、というどうにも在来の日本の神の性質とは異なる。
つまりそれは外来の神とされている。

はて、そうした、由緒正しい血統の神々の御姿は
やはり表わされるれることはタブーなのか、
もしくは、今もそれらの像は社の奥深くに鎮座ましましていて、
博物館などに貸し出される代物ではないのか?

僕は不見識でそれ以上はよく知らないけど、
どうも前者なんじゃないかと思う。
同じ多神教とはいえ、あの地中海の陽明なリアリズムと
日本のそれとはあまりに異なる。
アポロンの像は多数存在しても、
やはり天照大神が人の形で作られることは
決してなかったのではないか。

だから、その日、上野のガラスケースの中で居並んでいたのは
つまりその御使いとうか、神々の眷属。
いわば代理の姿なのかもしれない。

だとしたら、この前の秩父の狼たちとさして意味合いは変わらない。

具象を受け入れる条件として、ぎりぎり精いっぱいの表現が
神々の代理が御姿を体現する、それをご神木など大切な木で、仏師が彫る。
なんて廻りくどい手続き!
またこんな手段もあった。
天照大神は実は大日如来が御姿を変えた存在であるという。
一見へりくだったような神様の位置づけ。
いわゆる本地垂迹。
だから天照大神の名を聞いて、大日如来の御姿を思い浮かべる・・・。
でも実は本当の本体は、姿は見えないけど天照大神で、、、、。
えええい!まだるっこしい!

いやいや、まて、
廻りくどいのではなく、
それが本当の奥ゆかしさなのかもしれない。
ストレートは不敬、つまりまず絶対にNGで、
何度もわざと曲がり角を作って
反射させて。意味をすり替え
ようやく神を形にする。

御名はある、それは確かに居り、存在する。でも眼には見えない。

それをどうやって具体的に人々に提示する?
あくまで奥ゆかしく。

ものすごい難題だ。
迂闊なことはできない。
大変だっただろうなあ。
作る職人もディレクターも。

仏像と神像を比べたときに
いわゆる決まりや約束だらけの仏像に比べ、
神像にはルールがないから素朴で自由で表現が闊達である。
といわれるけれど、

正直僕にはとてもそうは見えなかった。
どれも、造形としては素晴らしいものだとは思う。
それは舌を巻く。
しかし、
早急に、具象という土俵でアンチ仏像を打ち出す必要があり
神道の立て直しという巨大な使命を背中に背負って
苦しんで苦しんで、
ようやく見出した作り手としてのひとすくいの自由。
そう思うと、
像そのものの背景にある神威よりも
当時の職人たちの要求への苦しみや、
在来種の悲痛な存在証明のようなものが僕には伝わってきてしまった。
でもその苦しみこそが
信仰と芸術の宿命なのかもしれない。
職人はその板挟みの間でいつもアップアップしている。

観ているうちに、
つらいところだよね。でもよくがんばったね、
と、作り手へのねぎらいの気持ちがふつふつとわいてきた。

岡本太郎の言うように、
造形として、我々の血の中にある自由を本当に見出したいなら
やはり縄文の造形に行きつくのかもしれない。



ええい長すぎる!
ブログ不適格。

まだまだ実は疑問や発見はあったのだけど
ここに書くのはやめる。
切りがないから。

いや、展覧会自体はそういう意味で
僕にとっては大変に有意義なものだったのですよ。







posted by 前川秀樹 at 20:51| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月19日

丹精の庭

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淡路島の実家の庭が今、盛りだ。
父母の丹精を受けて潤う草花は輝くようだ。
僕の手はぜんぜん“緑の手”ではないらしくて、
あっと気がつくと
観葉植物すらしおしおと枯れてしまう。
見るのは好きだし憧れはあるのだけど、
なかなか手は緑に染まってくれない。
もっともそれは才能の有無ではなく
単に愛情と情熱の差かもしれない。

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僕がここに暮らしていた頃は、ここは畑だった。
祖父母が、野菜や果樹や仏さんの菊なんかを沢山育てていた。
海岸沿いにマンションが建つ前には
枇杷の木の梢の向こうにすぐ海が見えた。
海に行く時には夏ミカンや枇杷やトマトを
枝から好きなだけもいで手に持って出かけた。
今は、野菜の部分はずいぶん縮小されたが、
果樹はそのころよりもずいぶん増えた。
サクランボにキンカン、ヤマモモ、プラム等々。
そしていつの間にか西洋と和風、花壇と果樹の微妙に混ざり合った
立派な暮らしのなかのガーデンに様変わりした。
虫たちもたくさん飛び交う、
うろうろするだけでなんだか楽しくなる庭だ。
二人が定年後コツコツ始めた庭作りなので、
一朝一夕にこんなになったわけではない。
やっぱり自然相手は時間がかかるのだ。
年一回、島内の何ヵ所かの庭を見て回ることのできる
オープンガーデンのイベントにも参加しているらしく、
訪れるひとも毎年結構いるのだそうだ。

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いつも木偶ワークショップで僕が例えていう里山のあり方。
自然と人とが半分ずつ分け合いせめぎ合って保たれる危ういバランス。
自然の木を素材に選ぶ面白さと困難さはそれに象徴される。
茨城の僕の家でもちょっとやってみようかなあ、
まずは土づくりから。
また時間のかかりそうなことを思い描く。

理想はある。
南仏のセリニャンという片田舎に、
ジャン・アンリ・ファーブルが苦難の末ようやく購入した
赤土と石ころだらけのわずかばかりの土地とその庭だ。
彼は村の雑音から遮断されたそのエデンの庭を「アルマス」と呼んだ。
プロヴァンスの言葉で「荒れ地」である。
実際そこは、植物や生き物たちができるだけ自然の状態で
観察できるよう、“荒れた庭”に作り込まれた。
その時、ファーブル先生55歳。
彼は91歳の生涯を終えるまで、そこで研究に没頭して過ごした。
日本では有名な昆虫記が書かれたのもこのアルマスだった。

今もそこは(十分とは言えないが)管理されていて
見学できる。はず。
なにしろ僕がそこを訪れてからはや17年ほど経つ。
しかし今も憧れだ。

まあ、憧れたり理屈ばっかり言ってなくて、
やってみればいいだけの話。
実際やってみると、
分かることもきっと多々あるはずなのだ。
何事も愛情と情熱、それに丹精なのだ。







posted by 前川秀樹 at 18:46| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月17日

大口真神の御導き。

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境内には御山の神の眷属である、御犬様の像が
いたるところでにらみを利かせている。

三峰神社

ここの御祭神はイザナキ、イザナミとあるが、
国生み神話の主人公であるこの二柱の神様は、
こんな深山には御客様風情でどうにも似合わない感じだ。

ここは、狼信仰の(諸説あるが)総本山なのだ。
狼(大口真神、御犬様、大神 ...)は、御山の神様の御使い、眷属である。

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山中の苔むした風情の古刹を想像していただけに
実際の拝殿の色とりどりの絢爛さには正直、あっけにとられた。
いきなり現れた異界という印象だ。


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昨年、個展「漂泊の森」で僕は大きな白い狼をこしらえた。
ちょうどそのころ一冊の本を読んだ。
「狼の護符」という大変興味深い本だった。

作者の御実家である神奈川県川崎の古い農家。
その土蔵の入口にはいつからか、
黒い犬の姿が刷られたなぞの護符が張り付けられていた。
大人になった今、その護符のルーツを探る旅が始まる。

過程で見えてくる、百姓と御犬様の深いかかわり。
まったく思っても見なかった御山と異界の存在。

そして、旅は現代という時代への深いメッセージへと結ばれてゆく。
プロローグで、書かれているのは、作者の悔恨と謝罪の手紙である。
子供時代、百姓という生き方に対し抱いた、
疎ましい気持ちへの、深い悔恨である。

とても印象深い内容の名著だと思う。
この本の中で、重要な役割を担うのが、
どちらも御犬様講の総本山、武蔵御岳神社とここ三峰神社である。

広い駐車場から茶店のある表の参道を過ぎ、
神社の立派な楼門を抜けたとたん
空気がさあっと変わった。
左右の灯篭の回廊の合間から狼たちが黙ってこちらを見ている。
奥の院を抱く妙法ヶ岳を遥か彼方に拝する、遥拝殿。
岳から吹く強い風が遥拝殿の鳥居を抜け、本殿の前を通り抜け
反対側の端にある御仮殿へと吹きぬけてゆく。
その風を受けるていると、ああ、
ここは今も何かの通り道に建っているのだな、と分かる。
道も良く、自動車で登れるようになった今も
未だ生きた御山、という印象を受けた。
来てよかった。
もともとこの地方は狼信仰の盛んな土地なので、
いたるところに、狼がいる。
多分、狛犬や獅子よりも多いのではないだろうか。
そのうち、是非御犬様巡りをやってみたいなあ。

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ちなみにこんなテレビドキュメンタリー番組もあった。
絶滅したとされるニホンオオカミの存在を信じ今も追い続ける人々。
こちらもまた面白い。
「見狼記」

ニホンオオカミは実際に未だ生息するのか否か、
それは分からないけれど
御犬様(大口真神、大神 etc.)はどうやら今も健在で
それは時折本当に人に獲り付くらしい。

狼は人に沿う。
狼は強く賢く逞しく、頼もしい。
そして恐ろしい。














posted by 前川秀樹 at 21:17| LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

5月ルビジノ

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2013 ibaraki

5月ルビジノは、4日(土)5日(日)6日(月)7日(火)
がオープンです。

庭の草は、一雨ごとにモリモリニョキニョキ音を立てて
はびこってゆきます。
ある意味恐怖の季節がやってきました。
抜いても抜いても・・・。
心地よい風と眼に嬉しい新緑の風景も
足元を見れば、ためいき。
今月は草刈機を持って準備に行かないと。

ところで最近見つけたお気に入りのなごみ系動画像。
うちの犬も若いころはこうでした。


http://www.youtube.com/watch?v=ZTWTZaKfE9g&feature=player_detailpage#t=7s

皆さまお待ちしております。


posted by 前川秀樹 at 15:28| ルビジノ情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする