というのを、上野の国立博物館に先日観に行ってきた。
売り文句が
〜全国の神社パワーを結集した空前絶後の神道美術展!〜
とある。
まあ、どうなんだろう・・・。
とはおもったが、内容は国宝、重文が一挙に160点、
見ごたえはあった。
小丹生之明神 若加佐国比女神 (おにゅうのみょうじん わかさこくひめしん)
鎌倉時代 若狭神宮寺
童子立像 平安時代 12世紀 広島 南宮神社
さまざまな貴重な神宝のなかでも観たかったのが、
神像というもの。
仏像は見慣れていても、神道の神の像というのは、
実はほとんど僕らの目に触れることは無い。
もともと数が少ないうえに、それは秘するもの、
というのが今持って常識なのだろうか。
仏教が、立派な経典と仏像という輝かしい二大看板で
日本に入ってきたのが6世紀のこと。
そのころ、神道というものはむろんあったのだろうが、
もともとの日本の信仰の形はもっと素朴で
大岩に〆縄だの、滝や山そのものを拝む拝殿だの、
そういうものが主流だった。
社の奥深くに収められたアイテムとしては、鏡、剣、玉、
そういった象徴としての宝であり、
具体的に、誰かの言葉であったり、誰それの姿かたち、というものは無かった。
当時のインテリ達は、口ぐちの叫んだ。
おお!なんという洗練!こんな斬新な具象を初めて見た!
経典というのも、なにやらむにゃむにゃよくわからんが、
とても尊いことがぎっちりと書かれている。
みたいだ。
とにかく素晴らしいな。大陸。
とまあ、たぶんそんなふうだったんじゃないかな。
なにしろ、それまで我が国に存在した、人の形は、
土偶や埴輪なのだ。
もともとの信仰であった古神道もきっと大いなる刺激を受けた。
いいじゃん。仏像。
これは便乗すべし、イエーイ!その方向でよろしく!
とすぐさま神像に着手した。
わけはない。
日本人の性質上、そういうノリでやって行くには真面目すぎた。
そこには巨大な葛藤が立ちはだかっていた。
八百万の神々は、どのお柱も人の形をしていないもの、
だからだ。
ほんの一時人の形をもって霊験あらたかに現れたとしても、
それはせいぜいぼんやりと人のような影であったり、人のような声であったり。
かように、我が国の神は、眼に見えずかすかに顕現するのみであった。
また、かすかな印であればある程、その神威は本物とされた。
観えないから恐ろしく、人ごときに普段は感じられないから、
想像上のそのすさまじさは逆に際だった。
が、しかし、
そうした観念的なものは、
具体的な実像の前ではかすむ。
台頭してゆく大陸の外来信仰を前に、
神道としていかに生き残り体裁を立て直すか。
それがいかに大きな変革であったのか想像に難くない。
実際に、神社に神像がつくられ始めたのは、
仏教伝来よりさらになんと200年の時を経て、8世紀に入ってからというから
その葛藤の長さがうかがえる。
当時、古の在来の神々は疲弊していた。
長い時間をかけて収集編纂を繰り返していた、最古の歴史書
古事記が献上されたのがやはり8世紀のはじめとある。
我が国の神話時代を記した歴史書と神像。
物語、と、ヴィジュアル。その両方がいびつな形ではあったが
どうにか整えられたのが平安時代である、
とおおざっぱに僕はとらえている。
さて、そういう僕の得手勝手な歴史解釈を踏まえて、
今回展示された神像なるものを、眺めてみたが、
あれ?変だ。
アマテラスやスサノオやツクヨミは、いずこに?
オオナムチやヤマトタケルは?
そう、なぜか古事記や日本書紀に登場するような
スーパースターはどこにもいらっしゃらない。
すべて、
男神立像、童子像、姫神像 などなど、
なんだかその由来がどうも振るわない。
全国の神社パワー集結!じゃなかったのか?
神像って、神様の像のことじゃないの?
それぞれの神社の御祭神は、この方々じゃないでしょうに・・・。
唯一、八幡神があったが、これはちょっと特殊で、仏教と神道にの中間に立ち
度々託宣をする、というどうにも在来の日本の神の性質とは異なる。
つまりそれは外来の神とされている。
はて、そうした、由緒正しい血統の神々の御姿は
やはり表わされるれることはタブーなのか、
もしくは、今もそれらの像は社の奥深くに鎮座ましましていて、
博物館などに貸し出される代物ではないのか?
僕は不見識でそれ以上はよく知らないけど、
どうも前者なんじゃないかと思う。
同じ多神教とはいえ、あの地中海の陽明なリアリズムと
日本のそれとはあまりに異なる。
アポロンの像は多数存在しても、
やはり天照大神が人の形で作られることは
決してなかったのではないか。
だから、その日、上野のガラスケースの中で居並んでいたのは
つまりその御使いとうか、神々の眷属。
いわば代理の姿なのかもしれない。
だとしたら、この前の秩父の狼たちとさして意味合いは変わらない。
具象を受け入れる条件として、ぎりぎり精いっぱいの表現が
神々の代理が御姿を体現する、それをご神木など大切な木で、仏師が彫る。
なんて廻りくどい手続き!
またこんな手段もあった。
天照大神は実は大日如来が御姿を変えた存在であるという。
一見へりくだったような神様の位置づけ。
いわゆる本地垂迹。
だから天照大神の名を聞いて、大日如来の御姿を思い浮かべる・・・。
でも実は本当の本体は、姿は見えないけど天照大神で、、、、。
えええい!まだるっこしい!
いやいや、まて、
廻りくどいのではなく、
それが本当の奥ゆかしさなのかもしれない。
ストレートは不敬、つまりまず絶対にNGで、
何度もわざと曲がり角を作って
反射させて。意味をすり替え
ようやく神を形にする。
御名はある、それは確かに居り、存在する。でも眼には見えない。
それをどうやって具体的に人々に提示する?
あくまで奥ゆかしく。
ものすごい難題だ。
迂闊なことはできない。
大変だっただろうなあ。
作る職人もディレクターも。
仏像と神像を比べたときに
いわゆる決まりや約束だらけの仏像に比べ、
神像にはルールがないから素朴で自由で表現が闊達である。
といわれるけれど、
正直僕にはとてもそうは見えなかった。
どれも、造形としては素晴らしいものだとは思う。
それは舌を巻く。
しかし、
早急に、具象という土俵でアンチ仏像を打ち出す必要があり
神道の立て直しという巨大な使命を背中に背負って
苦しんで苦しんで、
ようやく見出した作り手としてのひとすくいの自由。
そう思うと、
像そのものの背景にある神威よりも
当時の職人たちの要求への苦しみや、
在来種の悲痛な存在証明のようなものが僕には伝わってきてしまった。
でもその苦しみこそが
信仰と芸術の宿命なのかもしれない。
職人はその板挟みの間でいつもアップアップしている。
観ているうちに、
つらいところだよね。でもよくがんばったね、
と、作り手へのねぎらいの気持ちがふつふつとわいてきた。
岡本太郎の言うように、
造形として、我々の血の中にある自由を本当に見出したいなら
やはり縄文の造形に行きつくのかもしれない。
ええい長すぎる!
ブログ不適格。
まだまだ実は疑問や発見はあったのだけど
ここに書くのはやめる。
切りがないから。
いや、展覧会自体はそういう意味で
僕にとっては大変に有意義なものだったのですよ。