
どうしても閲覧したい論文があって、
昨日、
国立国会図書館に行ってきた。
実は初めて。
本がずらーっとというイメージからは程遠くて、
かわりに静まり返ったフロアーに
ずら〜っと並んでいるのは、パソコンの列。
今はすべて電子化されていて、
検索や閲覧申し込み、複写申請もすべてパソコン。
受付で作成した利用者カードを差し込めば、
実に分かりやすいガイドの画面が表示される。
加えて、何人もの親切な職員の方々が待機してくれているので
分からなければすぐに聞ける。
平日だったせいか混んでなくて、
職員の方々の受け答えや本の貸し出しなどの対応も親切でスムーズ。
いいなあ、こういうサービス。
国民の税金もこういうところにだったらたっぷり使ってほしい。
あの図書館独特の、静寂がすごく心地よかった。
この建物のどこかに、ものすごい量の書物が、と想像すると頼もしい。
残念ながら期待していた論文は、ちょっと難しすぎて僕にはハードルが高かった。
ほとんど英語だし(笑)
複写はしたので、翻訳しなくては。けっこう大変そう、、、。
あと、1階に喫茶室のカレーがもうちょっと美味しければなあ。
その後、秋葉原にちょっと野暮用で向かう。
図書館とはまた対極にあるような秋葉原のがちゃがちゃの雰囲気。
ここは通りや路地も、ものすごい量の書籍と電子機器やグッズで埋め尽くされている。
整然と管理された標本箱のような知識の殿堂も好みだけど、
ここの雑然とした、なんでもありのサブカルチャー感も僕は嫌いじゃない。
アラブ諸国の旧市街のスークのようだ。
寒いのに、女の子たちはナンチャッテメイドの恰好でチラシを配っていて、
道にまで、商品や張り紙チラシが我が物顔ではみ出すさまは
湯気が立つほどエネルギッシュだ。
なんというかここをみていると、
人の根本にある欲望の底力のようなものをひしひしと感じられる。
数年前のあの陰惨な通り魔事件がふと頭をよぎるが、
基本的に、オタクは平和でおとなしい人種だとおもう。
オタク文化が活況を呈するのは、
ある意味平和のバロメーターなのじゃないだろうか。
銀座でやり取りされるゲイジュツも秋葉原で商いされるサブカルグッズも、
時代の人間の想像力と汗の産物に違いなく、
それもこれも含めて、現代の文化の別の側面なんだよなあ。
だって、外国でジャパンカルチャーとして、立派にイベントが成功しうるのは、
ジャパニーズファインアートよりもアキバカルチャーなんだそうだし。
なんて、商品であふれかえった魔窟のような狭い通路を
ようよう通り抜けながらぼんやり思う。
頑張れ魔窟。
それでその足で、
銀座に向かう。
ギャラリー巡りをするわけでなく、
夕食。とはいっても、およばれ。
御馳走様です。
故、作家池波正太郎の行きつけの割烹。
御料理いまむら。
昨夜は満席。


何度来ても、毎回御料理が季節で変わっていて、
それぞれの食材にひと手間二手間加わっていて、どれもほっこり味わう。
先代のおやじさんからがお亡くなりになってから、
今は、息子さんの英太郎君が包丁を握る。
いや、僕なんかが味を云々言えるわけは無いんだけど、
板前が似合って落ち着いてきたなあ、
それにさらにぐんと美味しくなった気がする。
立派な二代目に急成長中、英太郎君、期待してます。
ある意味文化的?な東京の一日だった。
おなかいっぱいだ。