
「みなさま、良い夜を・・・。」
とある夏至の夜。
舞台の上の血の通った美しい自動人形(オートマタ)が艶然と客席に囁く。
舞台と客席の間には薄いセピア色の幕がかかっていて、
そちらとこちらを隔てている。
舞台は現実と空想の間隙で揺らめいている。
そちらとこちら、お互いの世界の層がわずかにずれたような
もどかしい距離がとてもここちよい。
そのズレを無理やり補正しようとする
強引で稚拙なMCなんて微塵も無くて、
観客もまた心得ているから、野卑な盛り上げ方もしない。
セピア色の幕はつまりそんな見えない約束事。
ライブの演者は観客にこんなふうに一時の夢をみさせてほしい。
そんな理想的なライブだったなあ。
MCもお見事。
昨夜のカフェ・ラ・ファミーユでの演者は Mama milk 。
大好きなんだけど、ここに呼んでね、呼んでね。と、
ずっとオーナーの奥澤君に言いつづけた甲斐あって、
とうとう実現!やったあ!
ミーハー心って僕はめったにうずくことはないんだけど、
昨夜ばかりはさすがにぐらりときました。もういいや、
すきなだけ鷲掴みください。もう。どうぞ!持ってってー。(笑)
かっこよかったなあ。
ファミーユの舞台飾りを作らせていただいてから1年。
ブルターニュあたりの小さなビストロにある架空のテアトル、
が奥澤君の目指すところだった。
名前もちゃんとあって、テアトル・シャラバンという。
おととい、ようやく舞台の緞帳というか赤茶色のベロア生地の舞台幕もついた。
幕がするすると滑るように開く。
架空の、箱の中で、たった二つの楽器だけで、
そこにはないはずのシーンを、幻術のごとくに生き生きと現出させてくれる、
どこか現実感の希薄な2体の美しきオートマタ。
あまりにもそのシチュエーションがはまってる。
そうそう、舞台つくるときに、
僕はこんな大人の夜の遊び感をイメージしてたんです。
都会で毎夜開かれる華やかなりし何某。
というのでなくて、どこかの田舎町の片隅、
場末の深い夜に、そっと開く血の色をした艶やかな花のような。
舞台の上の華やかさと対の人生の薄暗がりと。
観客席も含めて、舞台がようやく完成した感じ。
長く作り手としてやっているけど、
こんなに作り手冥利に尽きるシーンには、
おいそれと出会えるものでは無いのです。
あの舞台で「孔雀」を生で聴ける日が来るとはね。
なんて華やかで、艶っぽくて、重厚な孔雀。
やっぱりCDと全然違う。当り前だけど。
幸せだなあ。と昨夜は改めてかみしめた。
生駒さん、清水さん。
ぜひまた茨城に、いやファミーユにいらしてくださいね。
まじで。