逃避も今日で終わりなのである。
発作的逃亡ではなくて、計画的逃亡のここが悲しいところ。
おお!移動中いい廃墟発見。
病院だったらしい。和風屋根に西洋風間どり。建具も西洋風。
リノベーションできれば最高に面白いけど。ちょっとこれは大変かな。
いいねえ、絵になるねえ。
今日の午前中の目的は今回の高松YARROW TOURSの締め。
イサムノグチ庭園美術館。
待ってました!
雑誌でしか知らなかったんだけど、
本物がとうとう見られる。
見学は職員の方のレクチャー付きで1時間。
ミニツアーの形だ。
これもあらかじめ松村君が予約しておいてくれた。
もう、何から何まで上げ膳据え膳でほんとに。
敷地一帯の地面は朝一のツアーにもかかわらず、
すべてきれいに掃き清められている。
竹ぼうきの跡がなにより美しく、
ここを管理している方々の、
丁寧な気持ちがまず来訪者に伝わってくる。
ああ、この静かに無言でぞろぞろついてゆく感じは、
寺院とか遺跡の見学の時の感じと同じ。
分かりやすい簡潔なレクチュアも、
お寺で心構えや作法の手ほどきをされているようで。
あの大きな石積みの結界を前にして、
なんだか神妙できりっと気持の引き締まる思いだ。
思わず柏手を打ってしまいそうになるほどの緊張感。
制作途中の石達が点々と居並ぶ、サークルの庭。
作業場。巨大な蔵を移築した白壁の展示場。
住居。
そして、丘。
どこをみても、イサムノグチという芸術家の徹底した美意識の内側に
否応なく引きずり込まれる。
湾を囲む牟礼の集落、周りの石工の作業場、遠景に岩のむき出しになった砕石場の山々。
どれも、僕らがどこかで見たことのある、
日本に風景に違いない。
なのに、
これが見事にまったく知らない外国に見える。
彼がみた、JAPANが見えてくる。
これほど見事な呪術にかかる経験は多分めったにない。
知らず、自分の眼が彼の見た異国の風景にすり替わるようなのだ。
鳥肌が立つ。
と同時に、彼の物差しの大きさに溜息が出る。
正直想像していたのと全く違う印象だった。
石を見に行ったという感覚が全く残っていない。
石の肌触りとか、エッジとかの、部分の記憶は鮮明にあるのに、
まったく別の区切られた世界を歩いたという感触があまりに強くて。
未だに、この2泊3日の中でその時間だけが宙ぶらりんで浮かんでいるような
そんな状態だ。
撮影は残念ながら禁止なので、
写真集を購入した。
同じ石の彫刻公園で、
北海道、美唄のアルテピアッツァとつい比べてしまったが、
まるでその印象は違った。あちらはあちらで衝撃を受けたものだったが、
しかし、ああ、なんでこんなに印象が違うのだろう?
にわかに消化しきれそうにないので、あせらないことにした。
今回は、魂消た(たまげた)としかいいようがないわなあ。
いったい牟礼のあの場所はなんだったんだろう。
見学のあと、
松村君が
「ちょっとお時間ありますか?」
というのでなんだろうと聞いてみたら、
ノグチの石工を長年務めた和泉さんという方の自邸を
特別に見学させていただけるという。
庭園美術館の隣にあるまるで施設の一部の
ようなたたずまいのものがそれだという。
「ええ!?これが和泉さんの自邸?なんで松村君そんなに顔が利くの?」
どうもいろいろと彼は隠しカードを持っているなぞの人らしい。
で、ありがたく見学会オプショナルツアー。
その自邸はもちろんイサムノグチの設計だ。
こちらもまた素晴らしかった。
これ以上深く術にかかると本気でやばい。
和泉さんのお嬢さんとも御挨拶と御礼を言うことができた。
もうマイリマシタ。としか言えません。
いやいや、ありがとうございました。
パンチドランカーのような足取りの僕ら。
面喰らう讃岐。
麺喰らう讃岐。
men cry sanuki。
だったなあ。
最後の写真はこれ。
マッキーの作業机。
作り手のすべてが物語られているよう。
なんだか3日間、高校生くらいにすっかり戻ったような気がした。
運動部の合宿みたい。
こんなに楽しかったのはいつぶりくらいかなあ。
みんなそれぞれ仕事をずらして時間を作ってくれて
どうもね。
マッキー 松村君。
本当にありがとう。
すっかり満たされた。
特上の旅でした。
ところで、だ。
もしこれが逆の立場だったらどうする?
茨城にこれほどのおもしろ資源が、この密度であるだろうか?
空港までの車の中、常陸の国に帰る野郎たちの話題はそれだった。
いやほら、あそことか。いや、案外県外からきたらアレも珍しいかも。
そういうふうに自分たちの住まうトコロを外から考えるのもいい機会だなあ
と思った。
実際にそういう機会があればいいと思う。
さて、帰るかね。
心から楽しかった。
また仕事だ。