
夕方、スーパーに行った帰り道。
そのまま通り過ぎるにはもったいないようないい雲が出ていたので、
ちょっと車を止めて橋の上から携帯のカメラで撮った。
ああ、たったこれだけの時間も、忙しくて
毎日やり過ごしてしまっているなあ。
よしよし、ちっちゃいゆとりのある自分、いいぞ。
しばし深呼吸。
後ろを小柄な男の人が自転車で通り過ぎた。
のかと思ったら、止まって話しかけてきた。
「雲を撮っていたんですか?」
「ええ、はいそうです。」
「なぜですか?」
「いえ、川面に映ってきれいじゃないですか。」
「私もね、さっき携帯で撮ってたんですよ。ほら、地震雲かと思って。
なんだか不吉じゃないですか、、。」
なるほど、人によってとらえ方はいろいろだ。
その発想は僕にはなかったなあ。
「これだけ毎日揺さぶられちゃあ、どの地震雲を信じていいのかわかりませんねえ(笑)。」
「ほんとですね、じゃあ、すみません。」
それだけ。
見知らぬ人と、空をみて言葉を交わすなんてことはこれまでなかったことなので、
なんだか不思議な気分だった。
これまで、そんなふうに雲をみたことなんてなかった人たちが、
きっと今もどこかでちょっとだけ、天を見上げているのかもしれない。
ルビジノの裏、弁天様の脚元の池のほとりで
シュレーゲルアオガエルが
コロコロコロコロと合唱を始めた。
木でできた鈴を一斉に鳴らしているみたいなこのくすぐったい音が、
まぎれもない春の証拠。
頑なに気を張るのが“頑張る”、ということかもしれないけど、
毎日じゃ疲れる。
同じガンバルでも
“顔春”とか“顔晴る”とかそういうのも時々はあっていい。
ほどほどがいいのだ。