先日
某自然博物館の学芸の方のご厚意で、
資料庫を見学させていただいた。
同じ舞台裏でも、僕は美術館よりも、博物館ののほうが実はずっと好きだ。
いや、比べるべくもなく大好きなのだ。
人間の造形物である美術工芸作品は、
見せるための展示をきちんと施されて初めて輝きを放つのだと思う。
あるべき場所としかるべき状況と。
だから、収納された状態ではまるで箔が落ちたように
どこかひっそりと古ぼけて、作品というものがくたびれて眼に写ることが多いので、苦手だ。
しかし、こうした自然の造形物は無造作に(とはいえ整頓は几帳面になされている)
収納されてなおその妖しい魅力を放つ、
いや、むしろ、自然状態ではありえない密度と状況で並べられることで、
人間の蒐集の執念の様なものが、
重い扉を開けたとたん、わっと迫ってくる。
ずっと以前に国立科学博物館の資料室を見せていただいた時にも
口もきけないほど面喰った。
どこまでもきれいに整えられ、再構成された骨骨骨、、、。躯躯躯、、、。なのだ。
自然の造形物が、この上なく不自然に整えられている
そのたたずまいの異様さが
迫力の正体なのかもしれない。
しかも、この異様な亡き骸の蔵は何食わぬ顔で町にひっそりと存在するのだ。
だから僕は、こういう場所ではいつも、
人間の好奇心や知への欲求の
すさまじさに思わず触れて、ぞわっと身震いをする。
学芸のHさん、貴重な機会をどうもありがとうございました。