2008年09月24日

北海道記 その2、再会!君の椅子

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さて、君の椅子。
である。

中村好文さんから、一本の電話をいただいたのが、昨年夏。
それからすこし間が開いて、今年の1月。
僕ははじめて北海道という所に行った。
そのときのことは、以前このブログにも書いた。

まず急遽だったので、1泊2日という時間の中で、
札幌から特急スーパーカムイで旭川まで、
さらに車で東川へ。
とにかくすべてがはじめて。
会う人全部はじめまして。
風景って言ったって、視界全部どっちむいたって真っ白。
何が何やら、というくらい詰め込んだ二日間だったなあという印象だった。

「君の椅子」プロジェクトというのは、
最初、現在北海道文化財団の理事をなさっている
イソダさん、という方が教鞭をとっておられた旭川大学の
ゼミ生とともに考え出された、斬新で素敵で、
なにより暖かなプロジェクトだ。
 場所は件の東川町と、となりの剣淵町。
対象はその年に生まれた新生児とそのご両親。
その家庭に、ようこそ、と君の場所を、といった意味をこめて、
町が椅子をプレゼントしよう。
といったもの。
デザインは1年目、2年目と、中村好文さん、伊藤千織さんときて、
3年目が僕。
実際に形にして、おおよそ5〜60人に上る新生児のために椅子を製作してくださるのは、東川で家具を作っている家具作家の方。

1月に僕はそれも無論初めて、
むう工房の向坊さんという一人のビルダーに会わせていただいた。
挨拶もそこそこに僕は、いつも持ち歩いているクロッキー帳に描いたアイデアスケッチを、ぽん、と向坊さんの前のテーブルの上に置いてみた。

さて、
そこからのやりとりのスピードには驚いた。

とは、連れてきてくださったイソダさんの言葉。
作り手同士、とはいえ、僕は美術家。最終的な形を絵にすることはできても家具の構造や家具のための木の選び方なんてさっぱりわからない。

一方、向坊さんのほうは
普段の制作とは全く違うゴールを提示されたのだ。
この形が、この曲線がゴールです。
ここのゴールに入ってさえいただければ、
どんな道を通っても、どういう速度でもすべてお任せします。
というむちゃ振りに職人のプライドで答えなくちゃならない。
しかも締切は数ヶ月後。
普段の制作のお仕事の合間に割り込ませていただいて。
返す返すもむちゃ振りだ。

1月の打ち合わせは、
時間切れでひとまず打ち切り。
それでもぐぐっと前進の手ごたえはあった。
あ、でもこのひと、やってくれそう。

翌月は、東京でお会いすることになった。
僕は今度は実物大で、ベニヤで模型を作っていった。
そして改めて、現実的に工程を教わる。提案もする。

実は打ち合わせらしきものは、その2回だけ。

4月には旭川大学で、発表記者会見があった。
僕は同席できなかったんだけど。

その模様と完成品の写真を向坊さんから送っていただいて
何となく、おー!そうか!できたんだ。
4月からもう贈呈が始まるんだ。
との感慨はあったが、実物を触っていない僕は、
どこか遠いところの話みたいに聞いていた。
像刻展の準備と重なってもいたので、
時期的のも、印象は薄いものになっていた。

前置きが長すぎるけど、
その椅子に初めて、今回会うことができたのだ。

東川町の役場の入り口には過去2回の椅子と一緒に
確かに僕の描いた絵の通りのそれが並んでいた。
タイトルは「スタンプ」
切株という意味と、印という二つの意味を込めた。
上下をひっくり返して高さが変わり、
横にしてごろごろころがすこともできる。

しかしだ、僕は絵を描いて名前をつけただけ。
実際に長い時間をこれと過ごして、
お腹ならぬ頭を痛めて無事出産したのはビルダーのほうなのだ。
と、見た瞬間、その時間の質と重みが、ずどん、と伝わってきた。
それほどに、絵 では描かれなかった細かい工夫がなされていたからだ。
さぞや難産だったでしょう。と向坊さんに問えば、
「普通の仕事じゃやんないよね(笑)」
その笑顔にすべてが詰まっている気がしたので、
僕はただご苦労様でした。ありがとうございます。
とだけ返した。
種をまいたのは自分だけど、
形になったそれを見て、いい椅子だな。と掛け値なしに思えたからだ。
 
その日の午前中のワークショップでのコーラスもそうだったけど、
一つのことを、パートに分かれて、それぞれががんばる。
相手を見ながら、自分も力を出す。
一つの目的に向けて合わせていく。
そんなことが僕は最近とても大事に思えるようになった。
“群れ事嫌い”の僕でも、人と一緒に力を合わせることは楽しいのだ。
また、それができる自分に、新鮮に驚いている。
そういえば、夏の水泳リレーもそんなだっけね(笑)

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東川町の役場の方々を中心に、夜、懇親会を開いていただいた。
内陸の街なのに、やけに美味しい新鮮な魚や町で作っているギュッと硬い美味しい豆腐や、いろんなごちそうが並んだ。
それにしても、写真甲子園だけじゃなく
もともと気質がウェルカムな町なんだなあ。
君の椅子は、生まれたての子供たちにも
ウェルカムを発するプロジェクト。この街ならでは。
ということなのかもしれないな、
と思った。

今回、君の椅子
文化出版局のおなじみ「銀花」
の取材が行われた。
どんな記事になるか、初めて見る第3者の目に
この町を挙げてのプロジェクトはどう映ったのか、
楽しみにしている。

議会の最中にも関わらず、
会見の場をまたまた設けてくださった、町長さん。
差し出がましいようですが、僕に椅子ひとつくれるって言った御約束。
僕のほうはいつでもかまいませんよ。
お忘れでさえなければね。(笑)

最後に向坊さんちの愛犬
チャッピー
今回はなでさせてくれてありがとね。
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posted by 前川秀樹 at 23:21| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道記 その1、 木偶の棒〜東川


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一緒に給食


 ご褒美に、お礼にと、15人の子供たちから歌をもらった。
これには不意を突かれた。
こんなことは全く初めてのことだった。

そのあまりに美しいハーモニーに、済んだ声に
何度も何度も僕はこみあげてきた。

これはまずい。
その声はいやおうなく、まったくのノーガードで僕の深いところに入り込もうとする。
泣きそう。
いろいろと笑えることを思い出そうとした。
前の晩、ホテルのテレビで見た友近のコントとか。
そんな複雑な表情を見られたくなかった僕は
彼らの正面でなくて斜め前に立っていてよかった。
僕は体育館の真ん中でそんなことを思っていた。


北海道の東川町
第2小学校の5,6年生の子供たち、15人。
彼らと一緒に、白樺の木から神様を彫り出した。
北の木偶の棒。
この人たちの中にきっとある、北の神様の姿を見てみたかったのだ。

はじめて小刀を手にする子供たち。
最初はこわごわだったけど、
すぐに慣れ始めて、どんどん白樺の皮をむいてゆく。
手を切ったって気にしない、
彫ってる枝に血の模様がついたってなんのその。
何というか、勇敢というか動揺しない人たちだなあ。
いや、夢中なのか。

担任の先生は最初心配そうに生徒たちを見ていてくれたんだけど、
途中から自らも太い丸太のような枝を彫り始めて、
その自らの視界と集中力を、目の前の丸太にのみ向けていた。
ふと見ると、ほかの先生方も、カメラマンの方まで、、、。
そう、こういうのが面白い。
見てるとついやりたくなっちゃうでしょ?
校長先生も教頭先生も自ら子供たちに手を貸して下さっている。
助かります。

今回も本当にたくさんの人たちに出会ってお世話になった。
参加してくれる人たちだけじゃなくて、
その周りにはたくさんの役割の人たちが
この尊い時間を支えてくれている。
そのことに
ただ感謝だ。

いつも思うことなんだけど、
この場所でのこのいい空気って、2度はないということ。
たった2日間。
ほんの一瞬交差するだけの貴重な時間。
もしまた縁があって、僕がここを訪れることがあっても、
もうこの人たちはこの場所にはいないかもしれない。
いやきっといないんだろう。
だってここは学校なのだ。
毎年沢山の生徒や先生が通り過ぎる場所なのだ。

数年後、いったいこの子たちのどれほどがこの町に残っているのだろう?
いく人の子供たちがここを去っていくのか?
この子たちはこれからの人生の中で、どれほどの先で
この清い水の湧く美しい大雪山を仰ぐこの場所を、心から大切に思うようになるのか、、。

僕自身島の学校で、同級生はたったの17人だった。
その時にはその場所が一瞬の交差点だなんて思いもしなかったなあ。

なんて、ふと僕は昔思いに頭を任せてみる。

「先生、できました!」
「腕をここにつけたいんです。」

ぼんやりを打ち破る声。

「おお、いいねえ!、なるほど、なるほど。」

ここから、この枝から神様を彫り出して″

それが僕から彼らへの最初の問いかけ。

その返答が次々帰ってくる二日目。

どの返答もあまりににまっすぐで透明だ。
ああ、きれいだなあ。
僕の一番幸せな時。
どうにもまいったね。という“ためいきもの”の返答も少なくない。

うーん、負けそう。
でも、関心ばっかりしてても仕方がない。
ただただ心地の良い言葉でほめてばっかりじゃ芸がない。
僕だってね、立場ってものがあるからね。
ゲイジュツカ、いや、その前に先ず大人だからね。
最初の問いかけをした責任ってものもある。
だから
全力の言霊を打ち返すよ。礼儀だからね。

彼らの最初の返答にもう一度うち返す僕の言霊は、
生まれたての神様の対する、寿ぎの言葉。
礼を払って
言葉が祝う。

ときにその言葉は難しくてキョトンとする子もいるけれど、
僕はそれでいいと思っている。

きっといつかわかるよ。
まあ、これから先いつか、何となくでもいけど、
その言葉を思い出して
ふっとわかるような気がするときがきたら、
その時はじめて、あなたが彫り出したその神様に触れることができた瞬間だと思うといい。
その時は今度はあなたが祝ってあげるといいよ。

 たいていはここまでで終わり。

 ところが今回は、さらにもう一回僕は打ち返された。
彼らからもう一回打ち返された言霊はピアノの旋律に乗っていた。
これは反則だよ。

参りました。

いや、でも
負け、、、、、たわけじゃないよ。
うん、そう簡単に大人はね。(笑)

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展示作業もその日の夕方一気に行った。
町にある小ぎれいな唯一のギャラリースペースで。
展示台にシナベニヤを敷き、木偶が倒れないように両面テープで張り付けたあと、僕はひとりひとりの作者の顔を思い浮かべながら、
板に彼らの名前を書かせてもらった。
せめてもの歌のお礼に。

僕の木偶や像刻も一緒にいくつか並べた。

いい展示だと思う、展示期間は2週間だそうだ。
ああ、ここではじめて僕は一仕事終わった。

 最後に改めて。
事前に用意してくださった白樺の枝が足りなくて、
急きょ前日に電話で根回しをして下さったばかりか、
自らネクタイに長靴といったスタイルで、
古びた役場のダットサンを運転して
山に新たに枝を取りに連れて行ってくださった、
教育委員会の室長さん。
素早いレスポンスのおかげです。
間に合いました!あの枝がなければ二日間なり立たなかった。

事前連絡から、当日の枝運び、道具の用意、
ヴィデオ撮影まで大活躍してくださった教頭先生。
あちこちにクマ出没注意の看板の立った山での枝採り。
勇敢に朗らかに快く
付き合っていただいてありがとうございました。
そのおかげで、夕方の職員会議をひとつ
すっぽかしてくださったこと、
この場にて感謝と陳謝いたします。

今回の素晴らしい出会いを、わが学校にぜひ!と
大きな熱意で推し進めて実現してくださったT校長先生。ならびに各先生方。お世話になりました。
御役に立てましたか?

そして何より、こうした出会いのチャンスをまず拵え、育て、お膳立てして下さったばかりか、すべてのコーディネイト、長い旅の案内役と御供をしてくださった、
北海道文化財団のイソダさん、ムラヤマさん。
まったくことばでは感謝が足りません。ありがとうございました。

最後に、これは余談ですが、
T校長先生は、俳優の阿藤海によく似ています。
少なくとも僕はそう思います。
声も、言葉の調子も、また背格好も。
僕は何度も誘い球を投げていたこと、お気づきだったでしょうか?
もちろん、阿藤海の声で「なんだかな〜〜〜。」
を聞きたかったからです。
残念ながら、最後に握手をする瞬間まで、
その願いはかないませんでした。
ワークショップに関しては、僕は勿論100点満点の印象ですが
そのことだけが、少なからず心残りでなりません。

心残り、がある以上、また御縁があるやもしれません。
次にお会いした時に開口一番、
発してください。

「なんだかな〜〜。」

心より楽しみにしています。

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日が暮れますよ。

つい数日前、半そでで東川の町から仰いだ大雪山旭岳、
今日初冠雪、のニュースが茨城でも流れましたよ。
秋を通り越して。冬ですね。
みなさんお元気で。


















posted by 前川秀樹 at 21:50| Comment(2) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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