この不思議な線刻画、ツバサをもつひと。
海辺の洞窟に無数に刻まれた不可思議な記号の数々。
これはアルタミラやラスコーやタッシナジェールのものではない。
これは北海道にある。
小樽から余市に向かう途中、海沿いを走る国道沿いに
フゴッペ洞窟壁画、という控えめな看板が立っている。
僕は今回どうしてもこれが見たかった。
これが描かれたのは、実はそれほど昔ではない、と言われている。
約1500年から1300年前ではないかとされている。
僕はそれを現地で知って、
え!?とおもった。歴史の教科書的な認識なら、古墳時代?
縄文時代の間違いではないか?4,5000年前あたりの。
と思った。
1300年前と言えば、ヤマトでは埴輪がせっせと作られ、大陸では鋳物の精緻な仏像がこしらえられていた。
角の生えた人、翼をもつ人、犬、鹿、男、女、船、魚。
そうしたモティーフを並べてみると、
それはまったく狩猟時代のそれであり
あまりにシャーマニスティックだ。
日本で、このたぐいの原始的な先刻画は、御隣小樽の手宮洞窟のそれと、たった2か所にしか残されていない。
唯一で、類似のものは全く発見されていないという。
風化によって残っていないのか、はたまた、本当にここにだけ住んでいたまったく別系統の北方系民族のそれなのか。
改めて北海道の年表を見てみると、
今から1万年前から約2000年前までが縄文時代、
これは本州のそれとおなじなんだけど、
それに続く時代が、弥生時代ではなく
続縄文時代とされている、重ねて、オホーツク文化というものが影響して共存しているらしい。
なるほど、そうだったのか。
ネイティブアメリカンのそれや、ロシアのアムール文化の絵にも似てる。
洞窟は現在表面保護のため、ガラスの壁で厳重に覆われており、
実際に僕らが見ることができるのは、ガラス越しのシャーマンたちなんだけど、
それでも、洞窟の1番奥で、暗いスポットライトを斜めに当てられて
浮き出したその群像を目の当たりにしたときにはぞっとした。
なんだこりゃ!?
なんでこんなものがここに残ってんの?
正直そう思った。
祈りの場所だったことには違いがない。
おそらく定住でなく、季節によって移動しながら狩りをして暮らしていた人々の、聖なる場所だったのだろう。
と説明にはある。
お客さんは僕のほかに数人、その人たちが帰った後も、
僕がひとりで熱心に見ていると、
学芸員でもある館長さんがやってきて、熱心な説明をしてくれた。
個人レクチュアである。
「このわずかに残る赤い塗料はなんですか?」
「よく気がつきましたね!これは土ですね。羊蹄山の火山灰です。」
「酸化鉄、オークルですね、どこでその土を得たんでしょうか?」
「この近くの高台に環状列石があります、西崎山ストーンサークルです。
そのあたりの土はそういえば赤いですよ。はい。
今からお連れしましょうか?」
「え、いやいやいいです。あとで自分でたずねてみます。」
「そうですか、それでこの出土した獣骨ですがね、、、。」
延々と熱心な説明が続く。
本当にここが好きなんだなあ。
そしてまた、
「近くに環状列石が残されています。お連れしましょうか?」
2度目のお誘いである。
よっぽど連れて行きたい場所らしい。
「はい、そうしたらお願いしていいですか?」
「すぐに車を回してきましょう!」
うれしそうだ。
数分で西崎山に着く。
見晴らしの良い高台にあるのが
環状列石群である。
小樽からこのあたりにかけては、
どうやら列石の宝庫らしい。
そしてまたまた館長のレクチュア開始。
「実はここにもいわくがあります。」
得意げだ。来た来た!
なるほど、ここでないと言えないことがあるんだな。
「ここから先ほどのフゴッペ洞窟のある場所が見えます。あれです。
見えますか?」
「はい、ああ、あれですね。」
「そうです、洞窟のある小山から、さらに先に目をやっていただくと、あの面白い形をした岬が見えますか?岬はシリパ岬といいます。あそこは聖地ですな。」
「ああなるほど、はい、ここからは一直線ですね。」
「そのとおりです。夏至の日にここに立つと、洞窟を通ってあの岬にピッタリ狂い無く夕日が落ちるんですね!!夏至の日です。」
ほほう、やっぱりそういう場所なんですね。
なるほど、としばしその方向を二人で眺めた。
ふと見ると、岬のさらに先に、ぴょこんと海上に細長く垂直に突き出た
特徴的な岩が見える。
ろうそく岩と呼ばれる奇岩だ。
「先生、その先にろうそく岩がありますが、あれももしや夏至線上に位置していますか。」
「は!?え!?なんです。?」
「ですからほら、ね、ちょうど並んでるでしょ?」
「ああ!!!!ありゃ!ほんとだ!」
目に見えてはっとした顔で沖を見る館長先生。
もしや新説にたどり着いたか?先生、
それをおもしろげに観察する僕。
おや?なんか僕いいことしたかな?こりゃ。
ちょっといい気分で僕は帰りも送ってもらった。
もちろん赤い土の顔料も採集させてもらった。
おそらく、熱を加えて赤さを増していると思う。
かえって実験をしてみよう。
館長さんには、丁寧にお礼を言って別れた。
ろうそく岩。この先端に夕日が沈む瞬間をそう呼ぶらしい。
が、1500年前、まさかこれをろうそくにたとえた人はおるまい。
むしろ狩猟放浪生活の人々は、繁殖の象徴で、男根と見たんじゃないかなあ。
まあね分かんないけど。
そのあとは、そのまま積丹半島半周。
次々現れる景色、そそり立つ奇岩、運転していても退屈しない絶景続き。
信じられない色と形の連続。
なるほど、神様はあちこちにいるわねこりゃ。
鳥居もたくさん建ってるもの。
もちろん、僕らには見慣れた鳥居の形が
この北の地に伝わるずっと以前から、
それぞれの場所は祭られ、斉かれていたに違いないんだけど、
そのアニミスティックな祈りの形はきっと、
なじみのある、しめ縄や鳥居とは全く別の姿かたちをしていたんだろうなあ。
フゴッペに描かれたシャーマンの姿が、僕らの目に異様に映るように。
ここにはヤマトとは全く別の歴史があったんだな。
目標達成のいい1日だったなあ。