2008年09月28日

北海道記 その4 ふごっぺふごっぺの1日

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この不思議な線刻画、ツバサをもつひと。
海辺の洞窟に無数に刻まれた不可思議な記号の数々。
これはアルタミラやラスコーやタッシナジェールのものではない。
これは北海道にある。

小樽から余市に向かう途中、海沿いを走る国道沿いに
フゴッペ洞窟壁画、という控えめな看板が立っている。

僕は今回どうしてもこれが見たかった。

これが描かれたのは、実はそれほど昔ではない、と言われている。
約1500年から1300年前ではないかとされている。

僕はそれを現地で知って、
え!?とおもった。歴史の教科書的な認識なら、古墳時代?
縄文時代の間違いではないか?4,5000年前あたりの。
と思った。
1300年前と言えば、ヤマトでは埴輪がせっせと作られ、大陸では鋳物の精緻な仏像がこしらえられていた。

角の生えた人、翼をもつ人、犬、鹿、男、女、船、魚。
そうしたモティーフを並べてみると、
それはまったく狩猟時代のそれであり
あまりにシャーマニスティックだ。
日本で、このたぐいの原始的な先刻画は、御隣小樽の手宮洞窟のそれと、たった2か所にしか残されていない。
唯一で、類似のものは全く発見されていないという。
風化によって残っていないのか、はたまた、本当にここにだけ住んでいたまったく別系統の北方系民族のそれなのか。

改めて北海道の年表を見てみると、
今から1万年前から約2000年前までが縄文時代、
これは本州のそれとおなじなんだけど、
それに続く時代が、弥生時代ではなく
続縄文時代とされている、重ねて、オホーツク文化というものが影響して共存しているらしい。

なるほど、そうだったのか。

ネイティブアメリカンのそれや、ロシアのアムール文化の絵にも似てる。

洞窟は現在表面保護のため、ガラスの壁で厳重に覆われており、
実際に僕らが見ることができるのは、ガラス越しのシャーマンたちなんだけど、
それでも、洞窟の1番奥で、暗いスポットライトを斜めに当てられて
浮き出したその群像を目の当たりにしたときにはぞっとした。

なんだこりゃ!?
なんでこんなものがここに残ってんの?

正直そう思った。

祈りの場所だったことには違いがない。
おそらく定住でなく、季節によって移動しながら狩りをして暮らしていた人々の、聖なる場所だったのだろう。
と説明にはある。

お客さんは僕のほかに数人、その人たちが帰った後も、
僕がひとりで熱心に見ていると、
学芸員でもある館長さんがやってきて、熱心な説明をしてくれた。
個人レクチュアである。

「このわずかに残る赤い塗料はなんですか?」

「よく気がつきましたね!これは土ですね。羊蹄山の火山灰です。」

「酸化鉄、オークルですね、どこでその土を得たんでしょうか?」

「この近くの高台に環状列石があります、西崎山ストーンサークルです。
そのあたりの土はそういえば赤いですよ。はい。
今からお連れしましょうか?」

「え、いやいやいいです。あとで自分でたずねてみます。」

「そうですか、それでこの出土した獣骨ですがね、、、。」

延々と熱心な説明が続く。
本当にここが好きなんだなあ。
そしてまた、

「近くに環状列石が残されています。お連れしましょうか?」

2度目のお誘いである。
よっぽど連れて行きたい場所らしい。

「はい、そうしたらお願いしていいですか?」

「すぐに車を回してきましょう!」

うれしそうだ。
数分で西崎山に着く。
見晴らしの良い高台にあるのが

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環状列石群である。
小樽からこのあたりにかけては、
どうやら列石の宝庫らしい。

そしてまたまた館長のレクチュア開始。

「実はここにもいわくがあります。」

得意げだ。来た来た!
なるほど、ここでないと言えないことがあるんだな。

「ここから先ほどのフゴッペ洞窟のある場所が見えます。あれです。
見えますか?」

「はい、ああ、あれですね。」

「そうです、洞窟のある小山から、さらに先に目をやっていただくと、あの面白い形をした岬が見えますか?岬はシリパ岬といいます。あそこは聖地ですな。」

「ああなるほど、はい、ここからは一直線ですね。」

「そのとおりです。夏至の日にここに立つと、洞窟を通ってあの岬にピッタリ狂い無く夕日が落ちるんですね!!夏至の日です。」

ほほう、やっぱりそういう場所なんですね。
なるほど、としばしその方向を二人で眺めた。
ふと見ると、岬のさらに先に、ぴょこんと海上に細長く垂直に突き出た
特徴的な岩が見える。
ろうそく岩と呼ばれる奇岩だ。

「先生、その先にろうそく岩がありますが、あれももしや夏至線上に位置していますか。」

「は!?え!?なんです。?」

「ですからほら、ね、ちょうど並んでるでしょ?」

「ああ!!!!ありゃ!ほんとだ!」

目に見えてはっとした顔で沖を見る館長先生。
もしや新説にたどり着いたか?先生、
それをおもしろげに観察する僕。

おや?なんか僕いいことしたかな?こりゃ。

ちょっといい気分で僕は帰りも送ってもらった。
もちろん赤い土の顔料も採集させてもらった。
おそらく、熱を加えて赤さを増していると思う。
かえって実験をしてみよう。
館長さんには、丁寧にお礼を言って別れた。

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ろうそく岩。この先端に夕日が沈む瞬間をそう呼ぶらしい。
が、1500年前、まさかこれをろうそくにたとえた人はおるまい。
むしろ狩猟放浪生活の人々は、繁殖の象徴で、男根と見たんじゃないかなあ。
まあね分かんないけど。

そのあとは、そのまま積丹半島半周。
次々現れる景色、そそり立つ奇岩、運転していても退屈しない絶景続き。
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信じられない色と形の連続。
なるほど、神様はあちこちにいるわねこりゃ。
鳥居もたくさん建ってるもの。
もちろん、僕らには見慣れた鳥居の形が
この北の地に伝わるずっと以前から、
それぞれの場所は祭られ、斉かれていたに違いないんだけど、
そのアニミスティックな祈りの形はきっと、
なじみのある、しめ縄や鳥居とは全く別の姿かたちをしていたんだろうなあ。
フゴッペに描かれたシャーマンの姿が、僕らの目に異様に映るように。
ここにはヤマトとは全く別の歴史があったんだな。

目標達成のいい1日だったなあ。













posted by 前川秀樹 at 23:42| Comment(4) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道記 その3 アルテピアッツァ美唄


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札幌と旭川の間に美唄(びばい)という町がある。
かつて炭鉱の町として栄え、
当時は30000人を超える人々がこの美唄地区に暮らしていた。

多くの炭鉱町の例にもれず、
石炭の需要の減少とともに炭鉱は閉鎖され、
町は急激に痩せて行った。

現在では露天掘りの石炭採掘がわずかに行われるばかりだ。
無論今も人々は暮らしている。

周囲の密集して建てられていた炭鉱住宅や
様々な施設は取り壊されたが
学校の建物は残った。

旧校舎の一部分と体育館を中心に起伏のある広い7万平米の土地は
今、彫刻公園として親しまれている。
そのすべてをプロデュースしたのは、
イタリア在住の彫刻家、安田侃。
札幌駅コンコースの巨大な白大理石の彫刻「妙夢」
が有名だ。

ひろいひろい芝生と木立を眺めながらのカフェと、
ワークショップが行われるアトリエが昨年新たにオープンした。

安田侃の彫刻を眺めながら、一日がゆっくり過ぎていく。

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時間が止まったような、と形容したくなる特別な場所がまれにある。
それは無論ほめ言葉なんだけど、
ここはその中でも特にそうした気分にさせられる。
ばかりか、ごみ一つ落ちていない清められた芝生と
木立の中にただたたずむだけで、
森の中の聖域ような清浄で神妙な気持ちにもなる。

実際の管理を行っているのは、町とNPO法人、アルテピアッツァ美唄
いろいろと話を聞くことができた。

炭坑での大規模な事故の悲劇、
たくさんの人々が何度も巻き込まれた。
炭坑内での火災においては、
穴に大量の水を注入するのがその一番の処置なのだが、
それはその穴の廃棄を意味する。
鎮火後も穴を存続させるには、いち早く炭坑の出入口を閉じ、
空気の流れをを遮断するしかない。
いずれの方法もそれには、炭鉱夫の全員避難後が大前提だ。
が、時には“全員”ではなかったことがあった。
閉じた入口までたどり着いて亡くなった方もいたそうだ。
あと板一枚で空気を胸いっぱい吸い込むことができた。
生きられた。
どれほどの熱さだったか、どれほどの絶望だったか。
日本人ばかりでなく韓国からの労働者もそこにはたくさん含まれていた。

他にも肺を痛めた炭鉱夫たち、結核療養病棟の話も聞いた。

悲惨な話ばかりではない。
案内してくださったNさんの話によると、
古い校舎の教室の壁に今も貼られたままの、自分の名札を見つけて
うれしくて涙を流した女性の話。
その方も今は母親として、子供を連れてここを訪れた。

祭りの話。

30000人がここにひしめいていた。
ほんの数10年前、ここはさまざまな思いや、喜びや悲しみ。
人々のエネルギーに満ち溢れていた。

今、その周囲のたたずまいからその当時の面影をしのぶことは難しが、
つまり現在この公園は、
安田侃というたぐいまれなる異能の作家と
町が死んでゆく様をその目で見てきた町の人々とのコラボレーションで作られまた、進行形で整備がすすむ、鎮魂の場所なのだ。
土地に込められたさまざまな物語の上に、今この石碑は静かに置かれている。

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そんなことに思いをはせて改めてこの場所の空気を吸い込んでみると
深い所に吸い込んだ澄んだ空気が不意にふれる。
ああ、ごみ一つ、落書き一つ、あってはならない場所なのだな、と感じる。
 
とりもなおさず、そのことは、
清められた状態を保つ努力を惜しまない人の手が
現在進行形で存在していることを示唆している。

芸術作品は、確かに一人の芸術家の思いを形にしたものには違いない。
もっと言えば、それは研磨された大理石にすぎない。
ただの“もの”だ。
しかし、この場所で今、無機質な石たちは
特別な役割を得、
たくさんの人々の過ぎ去った思いの上に静かに立ち、
風景に溶け込みやがて一体となってゆく。

そういう芸術の在り方があるということに
改めて新鮮な驚きを覚えた。

校舎の1階は今も幼稚園として使用されており、
カフェや体育館で時折行われる、朗読会やコンサートには
地元の人たちの心のこもった手料理などが並ぶことがあるという。
ここに残った人々の、また戻ってきた人々と新たに移り住んだ人々の
ささやかなつながりが生まれ始めている。

北海道ならでは、なのか、炭鉱町のその歴史ゆえか、
はたまた、その場所に住む人々の純粋な願いゆえか。

美味しいコーヒーをいただき、職員、Nさんの愛情あふれる案内ガイドに耳を傾けながら、
こんな場所が近くにあったらなあ、、、。
とこころからうらやましく思えた。




posted by 前川秀樹 at 21:23| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月24日

北海道記 その2、再会!君の椅子

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さて、君の椅子。
である。

中村好文さんから、一本の電話をいただいたのが、昨年夏。
それからすこし間が開いて、今年の1月。
僕ははじめて北海道という所に行った。
そのときのことは、以前このブログにも書いた。

まず急遽だったので、1泊2日という時間の中で、
札幌から特急スーパーカムイで旭川まで、
さらに車で東川へ。
とにかくすべてがはじめて。
会う人全部はじめまして。
風景って言ったって、視界全部どっちむいたって真っ白。
何が何やら、というくらい詰め込んだ二日間だったなあという印象だった。

「君の椅子」プロジェクトというのは、
最初、現在北海道文化財団の理事をなさっている
イソダさん、という方が教鞭をとっておられた旭川大学の
ゼミ生とともに考え出された、斬新で素敵で、
なにより暖かなプロジェクトだ。
 場所は件の東川町と、となりの剣淵町。
対象はその年に生まれた新生児とそのご両親。
その家庭に、ようこそ、と君の場所を、といった意味をこめて、
町が椅子をプレゼントしよう。
といったもの。
デザインは1年目、2年目と、中村好文さん、伊藤千織さんときて、
3年目が僕。
実際に形にして、おおよそ5〜60人に上る新生児のために椅子を製作してくださるのは、東川で家具を作っている家具作家の方。

1月に僕はそれも無論初めて、
むう工房の向坊さんという一人のビルダーに会わせていただいた。
挨拶もそこそこに僕は、いつも持ち歩いているクロッキー帳に描いたアイデアスケッチを、ぽん、と向坊さんの前のテーブルの上に置いてみた。

さて、
そこからのやりとりのスピードには驚いた。

とは、連れてきてくださったイソダさんの言葉。
作り手同士、とはいえ、僕は美術家。最終的な形を絵にすることはできても家具の構造や家具のための木の選び方なんてさっぱりわからない。

一方、向坊さんのほうは
普段の制作とは全く違うゴールを提示されたのだ。
この形が、この曲線がゴールです。
ここのゴールに入ってさえいただければ、
どんな道を通っても、どういう速度でもすべてお任せします。
というむちゃ振りに職人のプライドで答えなくちゃならない。
しかも締切は数ヶ月後。
普段の制作のお仕事の合間に割り込ませていただいて。
返す返すもむちゃ振りだ。

1月の打ち合わせは、
時間切れでひとまず打ち切り。
それでもぐぐっと前進の手ごたえはあった。
あ、でもこのひと、やってくれそう。

翌月は、東京でお会いすることになった。
僕は今度は実物大で、ベニヤで模型を作っていった。
そして改めて、現実的に工程を教わる。提案もする。

実は打ち合わせらしきものは、その2回だけ。

4月には旭川大学で、発表記者会見があった。
僕は同席できなかったんだけど。

その模様と完成品の写真を向坊さんから送っていただいて
何となく、おー!そうか!できたんだ。
4月からもう贈呈が始まるんだ。
との感慨はあったが、実物を触っていない僕は、
どこか遠いところの話みたいに聞いていた。
像刻展の準備と重なってもいたので、
時期的のも、印象は薄いものになっていた。

前置きが長すぎるけど、
その椅子に初めて、今回会うことができたのだ。

東川町の役場の入り口には過去2回の椅子と一緒に
確かに僕の描いた絵の通りのそれが並んでいた。
タイトルは「スタンプ」
切株という意味と、印という二つの意味を込めた。
上下をひっくり返して高さが変わり、
横にしてごろごろころがすこともできる。

しかしだ、僕は絵を描いて名前をつけただけ。
実際に長い時間をこれと過ごして、
お腹ならぬ頭を痛めて無事出産したのはビルダーのほうなのだ。
と、見た瞬間、その時間の質と重みが、ずどん、と伝わってきた。
それほどに、絵 では描かれなかった細かい工夫がなされていたからだ。
さぞや難産だったでしょう。と向坊さんに問えば、
「普通の仕事じゃやんないよね(笑)」
その笑顔にすべてが詰まっている気がしたので、
僕はただご苦労様でした。ありがとうございます。
とだけ返した。
種をまいたのは自分だけど、
形になったそれを見て、いい椅子だな。と掛け値なしに思えたからだ。
 
その日の午前中のワークショップでのコーラスもそうだったけど、
一つのことを、パートに分かれて、それぞれががんばる。
相手を見ながら、自分も力を出す。
一つの目的に向けて合わせていく。
そんなことが僕は最近とても大事に思えるようになった。
“群れ事嫌い”の僕でも、人と一緒に力を合わせることは楽しいのだ。
また、それができる自分に、新鮮に驚いている。
そういえば、夏の水泳リレーもそんなだっけね(笑)

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東川町の役場の方々を中心に、夜、懇親会を開いていただいた。
内陸の街なのに、やけに美味しい新鮮な魚や町で作っているギュッと硬い美味しい豆腐や、いろんなごちそうが並んだ。
それにしても、写真甲子園だけじゃなく
もともと気質がウェルカムな町なんだなあ。
君の椅子は、生まれたての子供たちにも
ウェルカムを発するプロジェクト。この街ならでは。
ということなのかもしれないな、
と思った。

今回、君の椅子
文化出版局のおなじみ「銀花」
の取材が行われた。
どんな記事になるか、初めて見る第3者の目に
この町を挙げてのプロジェクトはどう映ったのか、
楽しみにしている。

議会の最中にも関わらず、
会見の場をまたまた設けてくださった、町長さん。
差し出がましいようですが、僕に椅子ひとつくれるって言った御約束。
僕のほうはいつでもかまいませんよ。
お忘れでさえなければね。(笑)

最後に向坊さんちの愛犬
チャッピー
今回はなでさせてくれてありがとね。
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posted by 前川秀樹 at 23:21| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道記 その1、 木偶の棒〜東川


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一緒に給食


 ご褒美に、お礼にと、15人の子供たちから歌をもらった。
これには不意を突かれた。
こんなことは全く初めてのことだった。

そのあまりに美しいハーモニーに、済んだ声に
何度も何度も僕はこみあげてきた。

これはまずい。
その声はいやおうなく、まったくのノーガードで僕の深いところに入り込もうとする。
泣きそう。
いろいろと笑えることを思い出そうとした。
前の晩、ホテルのテレビで見た友近のコントとか。
そんな複雑な表情を見られたくなかった僕は
彼らの正面でなくて斜め前に立っていてよかった。
僕は体育館の真ん中でそんなことを思っていた。


北海道の東川町
第2小学校の5,6年生の子供たち、15人。
彼らと一緒に、白樺の木から神様を彫り出した。
北の木偶の棒。
この人たちの中にきっとある、北の神様の姿を見てみたかったのだ。

はじめて小刀を手にする子供たち。
最初はこわごわだったけど、
すぐに慣れ始めて、どんどん白樺の皮をむいてゆく。
手を切ったって気にしない、
彫ってる枝に血の模様がついたってなんのその。
何というか、勇敢というか動揺しない人たちだなあ。
いや、夢中なのか。

担任の先生は最初心配そうに生徒たちを見ていてくれたんだけど、
途中から自らも太い丸太のような枝を彫り始めて、
その自らの視界と集中力を、目の前の丸太にのみ向けていた。
ふと見ると、ほかの先生方も、カメラマンの方まで、、、。
そう、こういうのが面白い。
見てるとついやりたくなっちゃうでしょ?
校長先生も教頭先生も自ら子供たちに手を貸して下さっている。
助かります。

今回も本当にたくさんの人たちに出会ってお世話になった。
参加してくれる人たちだけじゃなくて、
その周りにはたくさんの役割の人たちが
この尊い時間を支えてくれている。
そのことに
ただ感謝だ。

いつも思うことなんだけど、
この場所でのこのいい空気って、2度はないということ。
たった2日間。
ほんの一瞬交差するだけの貴重な時間。
もしまた縁があって、僕がここを訪れることがあっても、
もうこの人たちはこの場所にはいないかもしれない。
いやきっといないんだろう。
だってここは学校なのだ。
毎年沢山の生徒や先生が通り過ぎる場所なのだ。

数年後、いったいこの子たちのどれほどがこの町に残っているのだろう?
いく人の子供たちがここを去っていくのか?
この子たちはこれからの人生の中で、どれほどの先で
この清い水の湧く美しい大雪山を仰ぐこの場所を、心から大切に思うようになるのか、、。

僕自身島の学校で、同級生はたったの17人だった。
その時にはその場所が一瞬の交差点だなんて思いもしなかったなあ。

なんて、ふと僕は昔思いに頭を任せてみる。

「先生、できました!」
「腕をここにつけたいんです。」

ぼんやりを打ち破る声。

「おお、いいねえ!、なるほど、なるほど。」

ここから、この枝から神様を彫り出して″

それが僕から彼らへの最初の問いかけ。

その返答が次々帰ってくる二日目。

どの返答もあまりににまっすぐで透明だ。
ああ、きれいだなあ。
僕の一番幸せな時。
どうにもまいったね。という“ためいきもの”の返答も少なくない。

うーん、負けそう。
でも、関心ばっかりしてても仕方がない。
ただただ心地の良い言葉でほめてばっかりじゃ芸がない。
僕だってね、立場ってものがあるからね。
ゲイジュツカ、いや、その前に先ず大人だからね。
最初の問いかけをした責任ってものもある。
だから
全力の言霊を打ち返すよ。礼儀だからね。

彼らの最初の返答にもう一度うち返す僕の言霊は、
生まれたての神様の対する、寿ぎの言葉。
礼を払って
言葉が祝う。

ときにその言葉は難しくてキョトンとする子もいるけれど、
僕はそれでいいと思っている。

きっといつかわかるよ。
まあ、これから先いつか、何となくでもいけど、
その言葉を思い出して
ふっとわかるような気がするときがきたら、
その時はじめて、あなたが彫り出したその神様に触れることができた瞬間だと思うといい。
その時は今度はあなたが祝ってあげるといいよ。

 たいていはここまでで終わり。

 ところが今回は、さらにもう一回僕は打ち返された。
彼らからもう一回打ち返された言霊はピアノの旋律に乗っていた。
これは反則だよ。

参りました。

いや、でも
負け、、、、、たわけじゃないよ。
うん、そう簡単に大人はね。(笑)

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展示作業もその日の夕方一気に行った。
町にある小ぎれいな唯一のギャラリースペースで。
展示台にシナベニヤを敷き、木偶が倒れないように両面テープで張り付けたあと、僕はひとりひとりの作者の顔を思い浮かべながら、
板に彼らの名前を書かせてもらった。
せめてもの歌のお礼に。

僕の木偶や像刻も一緒にいくつか並べた。

いい展示だと思う、展示期間は2週間だそうだ。
ああ、ここではじめて僕は一仕事終わった。

 最後に改めて。
事前に用意してくださった白樺の枝が足りなくて、
急きょ前日に電話で根回しをして下さったばかりか、
自らネクタイに長靴といったスタイルで、
古びた役場のダットサンを運転して
山に新たに枝を取りに連れて行ってくださった、
教育委員会の室長さん。
素早いレスポンスのおかげです。
間に合いました!あの枝がなければ二日間なり立たなかった。

事前連絡から、当日の枝運び、道具の用意、
ヴィデオ撮影まで大活躍してくださった教頭先生。
あちこちにクマ出没注意の看板の立った山での枝採り。
勇敢に朗らかに快く
付き合っていただいてありがとうございました。
そのおかげで、夕方の職員会議をひとつ
すっぽかしてくださったこと、
この場にて感謝と陳謝いたします。

今回の素晴らしい出会いを、わが学校にぜひ!と
大きな熱意で推し進めて実現してくださったT校長先生。ならびに各先生方。お世話になりました。
御役に立てましたか?

そして何より、こうした出会いのチャンスをまず拵え、育て、お膳立てして下さったばかりか、すべてのコーディネイト、長い旅の案内役と御供をしてくださった、
北海道文化財団のイソダさん、ムラヤマさん。
まったくことばでは感謝が足りません。ありがとうございました。

最後に、これは余談ですが、
T校長先生は、俳優の阿藤海によく似ています。
少なくとも僕はそう思います。
声も、言葉の調子も、また背格好も。
僕は何度も誘い球を投げていたこと、お気づきだったでしょうか?
もちろん、阿藤海の声で「なんだかな〜〜〜。」
を聞きたかったからです。
残念ながら、最後に握手をする瞬間まで、
その願いはかないませんでした。
ワークショップに関しては、僕は勿論100点満点の印象ですが
そのことだけが、少なからず心残りでなりません。

心残り、がある以上、また御縁があるやもしれません。
次にお会いした時に開口一番、
発してください。

「なんだかな〜〜。」

心より楽しみにしています。

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日が暮れますよ。

つい数日前、半そでで東川の町から仰いだ大雪山旭岳、
今日初冠雪、のニュースが茨城でも流れましたよ。
秋を通り越して。冬ですね。
みなさんお元気で。


















posted by 前川秀樹 at 21:50| Comment(2) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月14日

秋色を見たさに。

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 つい最近、初めて行った素敵なサンクチュアリ。
同じ市内にこんな素敵な場所があったなんて。
もっと早くに来ればよかったなあ。
ここもまた時間の止まった場所のようだ。

 ところで僕は来週から北海道、旭川の傍の東川町に出張なのだ。
学校の子供たちとワークショップをする。

東川町は大雪山のふもとに位置する町で、
町のすべての蛇口をその伏流水で賄っている、
清い水源の街でもある。
そして、写真で町おこしをしている町でもある。
そこでのイベント、写真甲子園がNHKでつい昨日放送されたらしい。
僕は見逃してしまったんだけど、再放送の予定はこちら

大雪山ではもう紅葉が始まっていると聞いた。
絵のように美しいそうだ。
前に僕が行ったのは1月。2月だったかな?
もう視界すべて真っ白の風景しか記憶にない。

今回はどんな色で織られた風景が見られるか、心から楽しみだ。
一応仕事なので、自由に動くことのできる時間は少ないのだけど、
気がはやってガイドブックなんかも買ってみた。
それにしても北海道のガイドブックって、
食べ物の写真が目立つなあ。
どれもなんておいしそうに映っているんだろう。

ああ、楽しみだなあ。
何食べよー。

今日の午前中は、東川に向けて無事大きな8個の荷物を発送した。
準備ぬかりなし。いよいよだ。


posted by 前川秀樹 at 18:44| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月04日

9月ルビジノ

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9月ルビジノは、

6日 7日 8日 9日 オープンです。

今年は雨は多いですが、
台風が一度も上陸しなかったせいか、
畑の蓮も破れたり折れたりすることはなく、
以外にきれいです。
花もまだ見られますよ。

今月は千恵作
レザーにペイントのカバン新作がお目見えです。

それにしても、
ああっという間に9月。
窓の外ではまだ蝉が賑やかですが、
人の耳は勝手なので、
9月1日を境に、夏を謳歌する彼らの鳴き声が、急に名残を惜しんでいるかように聞こえてしまいます。
今年は、うちにいてもたびたび、
せっせっっせっっせっ と、こちらでは耳慣れないクマゼミの声を聞きました。
元来、どちらかというと南方系のクマゼミ。
温暖化の影響か、いよいよ彼らの北上戦略が着々と進んでいるようですよ。

posted by 前川秀樹 at 08:54| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月01日

男エプロン

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 おなじみ「銀花」第百五十五号
またちょこっと顔を出させてもらっています。
モデルで(笑)

同じ文化出版局から出版されている、
嶋崎隆一郎さん著

男のエプロンの本

すごくかっこいい本なのですが、ここに登場したエプロンを実際につけて使用してみて、現場で写真を撮る。という銀花の企画。
要するに本当のモデルは、少しよれっとなったエプロンの方。

僕のところにやって来たのは。ペインターズエプロン。
ヒッコリー生地で、裾が二つに割れているので、イスに座った時に
割れて足が突っ張らない。軽くて丈夫。
なるほど。考えられてる。

エプロンの本のほうは、
古いヨーロッパのマエストロ達のモノクロのエプロン姿が満載されていいます。いろいろな形のエプロンの作り方も載っているので、手に覚えのある方は是非。
写真集としてもかなりかっこいいのです。
posted by 前川秀樹 at 17:48| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

増水。

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 それにしても良く降る。今更ながら。
今夜からまた低気圧が発達してくるらしい。
高知のダムは貯水率がゼロ%だというのに。
アメリカ ルイジアナにはハリケーングスタフが迫っている。
 
 ここのところテレビ画面から流れる映像。
大雨で、ごうごうと流れる土の色の河。
湖のように水没した街の風景。
災害被害は困る、これは絶対に困る。自分に起こったならどうしようもない憤りと、自然に対する理不尽を恨むに違いない。

が、僕の中には不安と背中あわせに、目の前に広がるいつもと違う風景に、どこかわくわく期待してしまう子供の自分がいる。
紫色のイナビカリ、ずどんと家に壁を打つ台風の雨風、防波堤をはるかに超える波しぶき、橋げたにぶち当たる流木。
すごい、、、、。
情け容赦のない自然。
言葉を無くす瞬間。
日常が引きはがされてゆく。

“おおきなちから”に対して抱く、恐れや杞憂、期待、
そうしたものはとりあえずワンセットなのだ。

今日は朝から脳内子供を抑えきれず、仕事の合間にちょこっと川を見に行った。

 市内を流れる桜川が増水して、氾濫警戒水位まで水位が上昇していると、注意を呼びかける放送がテレビからも流れてきていた。
それはここ数日前のこと。
桜川は霞ヶ浦に流れ込む河川の中では一番大きい。
土浦の街はその河口にあるのだから、いくら降ったって、そんなに水かさなんて増えるわけないよ。
と思っていたのに、今回はそうでもなかったらしい。
上流から流れついた流木や川船、倒され、流れでなめされた中州のアシを実際に目にすると、
川幅の広い下流域でこれなのだから、
上流では本当に警戒を要する水位だったに違いないと想像できた。
残念ながら(?)すでに水位はとっくに下がった橋下の流れ。
やっぱり一昨日雨の中見に来ればよかったな、、、。
脳内子供、ちょっとがっかり。

 いや、繰り返すが、自然災害そのものは困る、水没被害にあわれた方には心から気の毒に思う。

押し寄せる怒涛の波や
湖のようになってしまった田圃を眺めながら
ポーニョポーニョポニョ、、、♪
なんて脱力して歌ってる場合じゃないのだ。








posted by 前川秀樹 at 17:20| Comment(0) | LOLO CALO HARMATAN | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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