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梱包を解くたけちゃん。
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しきりに感心するイシカワさん。
「う〜ん、こりゃ立派だ、、、。」
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一仕事すんで一服。
このあとみんなでお弁当を食べました。お疲れ様でした。感謝!
弁天様の祠が、ルビジノ小屋までやってきた。ようやく。
霞ヶ浦のルビジノの裏の西池のそばの弁天様の塚に
僕が関わってもうすぐ1年半近くになる。
昨年末、像は完成した、
明けて
今年の1月、仮安置の式は済ませたのに、
相変わらず、弁天様は土浦の拙宅にいらっしゃる。
いつまでも、、、。
というわけには行かず、ずっと気になっていたんだけど。
今日の天気は晴天。
小屋の前の屋根の下に祠が到着した。
さるところから出、骨董屋を通してやってきた。
古いけれど、とにかく立派なお社だ。
細部の彫刻など、古の宮大工の技に、一同タメイキ。
運んでくれたのはいつもの、たけちゃん、お手伝いのムッちゃん。
タキシタあっくん、それとイシカワさんと、千恵。
塩とお酒を、あらかじめ地面に円を描くように振りまく。
丈夫な総欅造りとはいえ、長年の風雨にさらされ、
部分的にはがたが来ていたり、材の耐久性に不安を残すものもあるので、僕は今度はこれをこつこつと修理することとなった。
修理が済んで、土台が完成したら、
今度こそ本当に、池を望む南向きの丘に
祠は安置される。
できるだけ早く池の定位置に、納まっていただかなくては
どうにも、こちらも気持が治まらない。
とはいえ、これまたすぐというわけには行かない。
実際にはもう少し先の話だ
が、とりあえず先んじて、
6月22日、夏至の翌日、暦の上では癸巳(みずのとみ)大安。
その日に、祠に主役に納まっていただくこととなった。
弁天様を動かすには、
もっとも適した日だと、信頼できる筋からのご指示があったのだ。
その日がリミットで、それを超えて、持ってはいけない、とも。
急遽、その日の早朝、内内で仮に祠に入っていただく式を執り行う事となった。
とにかく急ピッチで、いろいろなことが動いている。
いや、というより、ここ一月あまり、
弁天様を中心に関係者がいやおう無く役割を振られて
動かされているように強く感じる。
まるで、見えない脚本家がいて、
僕らは、それぞれの解釈でその支持を受け止め、舞台の上で演じる役者のようだ。
うちの2階のテレビの上の棚、
そこには昨年の冬至の日から像は置かれていた。
半年たって、やっと本来の場所に。
夏至がお別れの日だ。
器が満ちて、水がその縁からあふれ出すように、
さまざまな、不思議なことが相次いだ。
それが、脚本家の指示だ。
前兆、だったのだろう。
と解釈すると、すんなりストーリーの糸が見えてくる。
像刻展の作品の素材は今回、ほぼすべて、
その西池の周囲から、僕に提供されたもの。
その展覧会の終了を待っていたかのように、かみさま事が動き始めるのも
これまた不思議だ。
ぼくは今度は、芸能芸術の神様にお返しをしなければならない。
そういうことなのだろう。
かみさまは、
決して自分に都合よく動いてくれる、
ありがたいだけの存在では
ない。
願えばかなえてくれる、甘い存在ではない。
本来、もっと、“わけのわからないもの”
であるはずだ。
一歩間違えば、ぞっとするほど
恐ろしいものになる。
少なくとも、僕ら日本人は、
そういう不可視の存在を“カミ”
と呼んで来た。
この科学万能の時代に、そんな昔話を、、、。
と、言う人たちが多数かもしれない。
が、実は、そんなことは無い。
見えず、さわれず、
けれど確実に、自分に深刻に影響を及ぼす“何か”だよ。
と、
僕は強く思う一人だ。
かみさまは、恐ろしいものだよ。
だからこそ、
礼を持ってきちんと関わらなければ
ならない。
それは、他人事や、昔話ではなく。
今現在の話だ。
そう思うと、僕の丸い背中も
いやでも背筋が伸びる。
きちんと、祠を直させてもらおう、
今日改めてそう思った。